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ビジュアルレビューマガジン

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トークショー「I’M NOT SURE-関西におけるグラフィックデザインを記述する試み」三木学

デザイン

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http://imnotsure.jp/

少し前になってしまったが、2014年12月6日にナレッジキャピタルで行われた竹尾ペーパーショウの関連のイベント、「I’M NOT SURE.」について簡単に報告しておこう。

 

これは、関西のすでに中堅になるかもしれないが、グラフィックデザイナーの有志が集まり、関西のグラフィックデザインの歴史を記述していく、つまり系脈を振り返り、未来へと繋げる運動のような試みである。

 

あまりに盛りだくさんで印象をまとめるのが難しいのだが、ともかく、18:00から始まるイベントに、16:00から整理券が配られ、5分もたたないうちに席が埋まったということと、18:00から21:00までという夕食時に時間帯に超満員の人数が押しかけたという事実が、この試みにけられた「期待」を雄弁に物語っていた。会場はキャパぎりぎりの人数で熱気に沸いていた。

 

3時間超のイベントをまとめるのが難しいので、幾つか気になった点を指摘しておく。まず、植木啓子さんの関西のデザイン史を辿る話は非常に面白かったのだが、「デザイン」という概念が入ってきてから、1950年くらいまでで時間がなく終わってしまった。田中一光らの東京進出、東京オリンピックや万博、1950年~1970年代の日本の現代グラフィックデザインの礎となった日宣美(日本宣伝美術会)に至るまでの紹介がなされなかった。ある主、今日まで関西で歴史が編まれない「忘却期間」を生んだポイントが語られなかったのは残念であった。そのことは、あとで三木健さんが指摘されていたが、つぎの回を期待したい。

 

しかし、気付いた点としては、デザインは絵画と異なり、洋画に対する日本画という対概念を作る必要がそもそもなく、図案と翻訳され、まったく新しい職能として発展してきたというところだろう。写真と同じくらいの新しさだったかもしれない。事実、中山岩太らとの関係も深い。

 

非常に刺激的だったのは、後藤哲也さんの東アジアのデザイナーとの交流と紹介である。東アジアといっても、台湾、香港、北京、ソウルなど、それぞれまったく異なる特色を持つ。同時に、彼らはひまわり革命や雨傘革命など、民主化運動の只中にあり、社会的なアクティヴィズムをデザイナーも担っているという点は特徴的である。

 

おそらく、最近の世代のデザイナーは欧米留学をしており、西洋的なアクティヴィズムを経験していることも大きいだろう。それと比較して、日本は民主化が一定程度なされているため(そうじゃないという向きもあるだろうが)、政治や社会への関与は低い方だろう。これは良くも悪くもだと思うが、日本も政治の季節を迎えているので、社会運動としてのデザインという側面はもう少し見習うところがあるかもしれない。

 

一方、日本では地方振興やNPO社会福祉などのデザインは活発に行われており、大文字の政治よりも、地域密着型の社会問題と向き合っているケースが多いのも違いだろうと思う。若手のデザイナーのプレゼンテーションでは、そのような例が数多く見られた。

 

あとどうしても触れなければならないのは、経済とデザインの関係で、戦前の大大阪時代のデザインは近代の日本のデザインの牽引しており、経済の中心地であったことがその背景にある。1950年代以降は、完全に東京に商業都市の立場も奪われ、個として目立った人はいても、関西自体が日本のデザインを牽引したことはないだろう。

 

ただし、三木健さんが指摘していたように、デザインは経済のためだけにあるのか、と言えばそうではない。今日のような社会問題を解決するためのソリューションでもあり、ソーシャルなものにもなってきている。

 

その中で、関西が果たす役割が、新たなフェーズに入ってきているということはあるだろう。植木さんが指摘したように、当初、領域横断的であったデザインが次第に分化されたわけだが、関西の場合は分化するだけの市場を持っていないので、最初から領域横断的にならざるを得ない。その蓄積が新たな可能性になってきているのではないかと思う。

 

このような「デザイン会議」が自主的に立ち上がるのも関西の可能性だと言えるだろう。関西といったときに、大阪、神戸、京都などひとくくりにできず、多様な面があるのも重要である。

おそらくこれからは、領域横断的で包括的な「生きるためのデザイン」というのがますます重要になってくるだろう。今後の彼らの活動を注視したい。