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ビジュアルレビューマガジン

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「スクランブル交差点と広場」三木学

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外国人旅行者 つぶやきで「すし」「ラーメン」 NHKニュース

 

昨日、観光庁が外国人がツイッター等のSNSでつぶやいしてる内容について発表したと報道された。その中で「スクランブル交差点」が外国人の間で観光の名所となっている事実がわかった。これほど大量の人が整然と流れていくことに驚きを感じるのだという。

 

スクランブル交差点と言えば、サッカーの日本代表戦の後に集まる光景が、名物のようになっている。熱狂しながら、横断歩道を渡る人々の交通整理をする警官が話題になったことも記憶に新しい。しかし、このようにスクランブル交差点という、滞留するのではなく、行き来する場所に人が集まることは、公共空間としての広場がないことを表している。

 

年始にEテレでやっていた、「建築は知っている ランドマークから見た戦後70年」という番組がその経緯を伝えていた。西洋由来の広場はもともと日本にはないのだが、戦後民主主義の理念を体現する場として広場を作ることは何度か試みられてきた。そして、学生運動が盛んであった頃、新宿西口前広場には、多くの学生が集結していた。しかし、新宿西口前広場の封鎖によって決定的に挫折してしまった。

 

togetter.com

 

それ以降、巨大都市東京には広場がない。集会をするにせよ、デモをするにせよ、広場がないので、群衆が集まれる場所がないのだ。磯崎新は、新都庁案において、都庁内部に大きな吹き抜けを作ることで、広場自体を内包する低層案を提示したが、コンペに落ちている。どちらにせよ、都市において、西洋のように市庁舎前にも、駅前にも広場のない、歪な近代都市東京の歪な姿をありありと見た気がした。

結局のところ、スクランブル交差点に代表される「辻」が、日本においては、出会いあるいはすれ違いの場所になっている。それは、近世的な町の原理を残していることに他ならない。

結局、日本にはパブリック・スペースがほとんどないまま今日に至るわけだが、それは政府、国民、建築家のいずれの問題でもあるだろう。そのような経緯を無視し、スクランブル交差点が名所になることは、ある種の倒錯だといえるかもしれない。

 

参考文献

 

UNBUILT

UNBUILT

 

 

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」