アレックス・カー『ニッポン景観論』三木学
東洋文化研究者で、古民家再生を積極的に行っている、アレックス・カー氏の最新刊『ニッポン景観論』は幾つかの書評も出ており話題になっている。この本は、彼が各地で行っているセミナーで使っている資料を再編し、新書の形態にまとめたものとのことだが、写真、図版を大量に使った構成はかなり苦労したことが伺える。しかしそれだけに価値はある。
この本では日本の景観が、全てとは言わないが、あるボリュームの外国人にどのように見られているか、その実態を否が応でも突き付けられる。戦後、コンクリート等による土木、建築技術、電力技術は急速に発展したが、それは景観や環境、地域性を無視して作られたといってよい。それは芸術にとっても無縁ではない。
日本各地の土木工事の実態は、柴田敏雄の『日本典型』。
郊外住宅地の造成は、小林のりおの『LANDSCAPES』。
コンクリートを作るための石灰岩の採掘は、畠山直哉の『LIME WORKS』。
都市計画の破綻による無機能化した物体については、赤瀬川原平の『超芸術トマソン』。
複雑怪奇に組み合わされた建築物については、塚本由晴、貝島桃代、黒田潤三らの『メイド・イン・トーキョー』。
日本中のロードサイドにある珍奇な建造物については、都築響一の『ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行』。
など枚挙にいとまがない。この後、長い経済低迷期に入り、廃墟の作品が増える。
以上のように、戦後日本の地域開発とその破綻は、芸術と深い関わりをもっている。それは技術が環境をいかに変えてきたかという記録でもある。それらは芸術家の美学で一つの作品として昇華されているが、元来、その風景を積極的に肯定するという動機ではあまりないだろう(もちろんそれが生成されるメカニズムに面白味を発見するという動機はあるだろうが)。
しかしながら、それらに影響を受けた人の中には、ある種破綻した風景を好む人も少なからずいるかもしれない。外国人にとっても、物珍しさもあって肯定的な見方をする人も多少はいるだろう。
それを膨大な例を出しながら、どこがどのように問題なのか、克明に指摘したのが本書であるといってよい。先行例として、郊外都市や電柱・電線については、松原隆一郎の『失われた景観』、都市の看板については芦原義信の『街並みの美学』で詳細に指摘されているが、やや専門的な内容なので門外の読者をそれほど多く獲得しているわけではないだろう。一方で、日本橋の上の高速道路を移動させるという論議が盛んだったころに書かれた五十嵐太郎の『美しい都市・醜い都市』のように、そもそも都市における「美しさ」とは何かを検証しようとする論考もある。「美しさ」を求めることが超管理社会の「危うさ」を秘めているからだ。
とはいえ、概ねこのような景観や環境は、高尚な景観論争以前の、住民にとっても観光客にとっても心地よいとは言えないというラインがあるはずで、本書はその線引きを長年日本に住んでいる外国人として明確に指摘しているように思える。過剰な看板と広告、コンクリートによる過度な土木工事、巨大な建築・モニュメント、工業社会的な様々な慣習。そして、その奥にある日本の伝統文化を否定して工業大国になったマインドについても指摘している。日本の景観によくある看板や標識、土木建造物を、ヨーロッパの美しい街に移植するコラージュによって「日本化」させることで、その効果を自覚させる手法はユーモアもありプレゼンテーションとしても秀逸である。
現在のような日本の風景は決して当たり前にできたわけではなく、戦後の土木工事優先の地域経済振興や、景観や環境を無視した交通網や便利さを追求した結果である。それに馴染んで生活してきた人々にとっては自己肯定したい気持ちもわからないわけではないが、それが世界に誇れる風景か?と問われると疑問をもたざるをえない。今流行りの「絶景」に日本の風景がほとんど出てこないことでも資本としての価値がなくなっていることがわかるだろう。東日本大震災は、自然に対する土木技術の脆さを突き付けたが、その後に起こっている防潮堤論議は、さらなる景観と環境破壊を巡って、日本が今後向き合う根本的な問題を提起しているように思える。
色彩研究の観点からいっても、原色を使い景観を完全に無視した巨大な看板には辟易する。だからと言って天然染料や顔料に戻すわけにもいかないため、それらが歩み寄るための一つのヒントになればという思いもあり、環境の色と人工の色のバランスを測っているフランスの色彩文化を題材に、『フランスの色景』をまとめたという経緯がある。フランスにせよ最初から景観を重視していたわけではない。
明治維新後に、急速に産業革命にキャッチアップしようとし、過去の牧歌的な生活や技能を否定してきた日本人にとって、景観を見直すのには時間がかかるだろうし、単純な復古主義に陥ってしまう嫌いもある。しかし、答えは開発優先の中にもないし、技術否定の復古主義にあるわけでもない。新しい良さと古い良さのバランスの中にしか答えはなく、実現するためには市民レベルの合意が必要になってくるだろう。景観も民意の上にしか成り立たない。
ただし、そこに介入する芸術家や建築家、デザイナーの役割も当然大きい。地方創生という政府の掛け声だけではなく、地域プロジェクトは多くのクリエイターが関わっている。今後、地域がどのような景観や環境を築けるかは、彼らと住民の関係性も大きく影響するだろう。
『ニッポン景観論』はややもすれば、業界的なポジショニングトークになりがちな景観論争に、外部の視点とコラージュなどを使った巧なプレゼンテーションによって、問題点を鮮やかに切り出した点で特異な本だといえるだろう。
参考文献