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「忘却術としての写真」三木学

www.afpbb.com

www.cnn.co.jp

近年、スマートフォンが急速に普及し、毎日のように写真を撮影している人も多いだろう。しかし、大量に撮影された写真を覚えている人は少ないかもしれない。そのような経験的に多くの人が思っていることが少し前に実験によって明らかになり話題となった。

 

実験では、カメラで撮影した人より、撮影せずに観察した人の方が、その時のイメージを記憶しているという結果が出た。ということは、覚えるために写真を撮影したのではなく、忘れるために撮影したといってもよいかもしれない。

 

それは心情的にもよくわかる。つまり、そこには、その時に見るという行為を放棄して、後で見るために撮影するという意識が働いているからだ。長期記憶をするための、注意をする行為をしていないから、当たり前といってしまえば当たり前かもしれない。

 

しかし、写真家のすべてが忘却のために撮影しているわけではあるまい。撮影の段階で、様々な出来上がりのイメージを想定し、マニアルでシャッター速度、絞り、感度、ホワイトバランス等のパラメーターを調整するなどをしていたなら、イメージを忘却しなかったかもしれない。あくまですべての撮影を自動で行っていたから、意識として弱くなってしまったということはあるだろう。また、近年のデジタルカメラスマートフォンは、モニターで撮影するので、ファインダーを使用していたならば違う可能性もある。片目で見て身体的な構えを必要とすることによって意識が集中することもあるだろう。

 

その証拠に、カメラのズーム機能を使えば、イメージの記憶が、写真を撮らなかった人と同程度だったという結果になっている。つまり、忘却のためではなく、積極的に現実からイメージを創ろうとする意志があれば、記憶している量も増えるかもしれない。その意識の違いや写真を撮ることを専門とする、写真家を対象とした調査がまたれるところである。

 

しかし、膨大な写真を撮影しながら、見なくなっているのは確かで、見ない以上、長期記憶をしてないわけだから忘却したままになってしまう。それはコストの問題と無縁ではない。もし、フィルム写真であるならば、残りのフィルムの枚数やコストを考え、何を何枚撮影すべきか撮影前に考えるだろう。つまり、撮影前にすでに記録するイメージの選択や編集が行われているのである。また、フィルム写真の場合は、撮影してかから現像するまでに時間がかかる。1枚1枚撮影の出来栄えを確認することができない。だから撮影に集中できるし、現像までの間、イメージを想像することもあるだろう。そのようなデバイスの違いとも記憶は無縁ではあるまい。

 

どちらにせよ、通常、見れば見るほど記憶に残るが、写真の場合は撮れば撮るほど、忘却してしまうという反比例が、ある条件下で起こることは確かだろう。それは意識の問題でもあるし、デバイスの問題でもある。

 

写真も記憶もあくまで創造的な行為である。見ることですら創造的であるといえる。創造的ではない限り、写真は忘却の道具になりかねないのは確かであろう。

 

参考文献

 

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)