読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

shadowtimesβ

ビジュアルレビューマガジン

スポンサーリンク

公開インタビュー「NAMURA ART MEETING '04-'34 Vol.05臨界の芸術論Ⅱ 10年の趣意書」三木学

アート

f:id:shadowtimes:20150415112720j:plain

1月に開催されたイベントだが忘れないうちに記述しておく。すでに忘れているところも多いが、まさにその事実こそがテーマであったといえる。

 

アート関係者の間では、名村造船所跡地、名村(ナムラ)と言えば、近年では大阪のみならず、国内外に知られてきている。もともと名村造船所跡地は、木津川沿いに立ち並んでいた造船所街にあり、千島土地株式会社が所有している土地の一つである。昨今の造船所の減少とともに跡地になっていたが、アートやデザイン、建築、舞台芸術など様々な創造活動の拠点へと転用され、多くのクリエイターが集う場所へと変貌した。

 

そのそもそものきっかけを作ったのが、「NAMURA ART MEETING ' 04-'34」である。' 04-'34」とは一体何の数字かと思うだろうが、2004年から2034年までの30年間継続するプロジェクトという意味である。通常は考えられない長期間のプロジェクトである。しかし、千島土地株式会社の芝川能一社長(当時専務)は、アートプロデューサー小原啓渡との出会いをきっかけに、名村造船所の広大な跡地利用にアートやクリエイティブ活動をテーマに据えることにした。

 

第一回の「NAMURA ART MEETING」は、2004年9月24日(金)~26(日)の期間、昼夜を超えて、連続36時間のイベントを実施した。そして、橋爪紳也(建築史家)、服部滋樹("graf"代表)、甲斐賢治(NPO remo/NPO recip 理事)、松本雄吉(「維新派」主宰)、五十嵐太郎(建築批評家)、浅田彰(批評家)、岡崎乾二郎(美術家・美術評論家)などクリエイティブ活動に関する理論家と実践家の多彩なメンバーを招聘し、ディスカッションが行われた。また、夜にはTEI TOWA や高谷史郎(DUMB TYPE)などによるクラブイベントを開催するなど、ディスカッションとイベントも、展覧会と同等に重視する欧米の大規模展を彷彿とさせる豪華な内容であった。

 

その後、全6回のイベントや研究会が行われ多くのクリエイター、研究者によるイベントや議論が開催されてきた。その間、千島土地は、名村造船所跡地を、クリエイティブビレッジセンター大阪として命名し、北加賀屋エリア一帯を創造的に活用していく拠点として位置づけられるようになり活用するクリエイターも飛躍的に増加した。特に、オランダのアーティスト、ホフマンによる巨大ビニールのアヒル「ラバーダック」をプロデュースしたといえば、アート関係者のみならず多くの人に認知されているだろう。また、おおさか創造千島財団を設立し、アートやクリエイティブ活動に積極的に支援する体制を固めている。

 

活動開始からはや10年。30年という途方もない時間に当初は驚いたが、すでに1/3の時が流れたことになる。そこで「NAMURA ART MEETING」も10年の節目に、Vo「臨界の芸術論 II ―10年の趣意書 」として、3人のゲストを呼び、これまでの10年とこれからの20年について検証する公開インタビューを設けた。 第一回は、小原啓渡(アートコンプレックス)、第二回は松尾惠(MATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w)、第三回は港千尋(写真家・評論家)である。

 

僕が観覧したのは、第三回の港千尋さんの回であり、アーカイブがテーマだった。「NAMURA ART MEETING」に初回をはじめ何度が見に行っているので、まったく知らないわけではない。しかし、広大な場所と膨大な記録をどのように残していくのかは確かに難題である。港さんは、『記憶-創造と想起の力』という本によってサントリー学芸賞もとっており、アーカイブについては深い見識を持っているため、その観点から「NAMURA ART MEETING」に招聘された。

 

公開インタビューの最初は、実行委員会によるこれまでの経緯の説明に費やされた。そして、このようなアート・プロジェクトはどのように残していくのが最適なのか、ディスカッションが行われた。港さんは幾つかの事例を出しながら、非常に贅沢な場所であることを評価するとともに、アーカイブは現在の私たちのためにだけあるのではないので、出来る限り残すことが重要だ、と述べた。アーカイブは未来の人のために捧るものである、というのが港さんの意見であった。

 

アート・プロジェクトや芸術祭はこの10年飛躍的に増加しており、アーカイブはどこでも課題になっていることである。1年に1回、2年に1回(ビエンナーレ)、3年に1回(トリエンナーレ)などの違いはあれども、それが行われる会期は限られており、遠方であったり諸事情で関心があっても来られない人は無数にいる。そのとき、残るのはアーカイブやドキュメントだけである。事後的にはアーカイブの存在の方が実態を上回ってしまうとうパラドクスがある。同時に、アーカイブが公開されてなければ、歴史には記述されないか、記述されても扱いが小さくなり「なかったこと」になってしまうのだ。

 

それだけに、主催者がどのように開かれた形で残していくかは大きな課題だろう。「できるだけ多く残す」は一つの理想であるが、同時に残すために選択をする必要もある。この一見矛盾した方向性であるが、実はそうでもない。選択した記録が残っているから、選択されなかった記録にも光が当たる。選択されなかった記録を捨ててしまわなければいいのだ。

 

「NAMURA ART MEETING」はこれからも続く。続けながら残していくというのは難しい。そして、選択しながら残していくというのも難しい。それは困難であるから価値があるともいえる。イベントはたいていやるまではモチベーションは高いが、やった後は急速にモチベーションが下がってしまう。アーカイブを事後的なものにしてしまうと、記録を整理しないままになるというのが多くの場所で起こっていることだろう。歴史を記述し発信する知恵と技術こそがこれからの課題である。多くの出来事を起こし、その存在感が大きくなった名村造船所跡地だからこそさらに重要なテーマだろう。「選択と集中」ではなく、選択と非選択を同時に行いつつ、アクセスの可能性を残すことこそ、その難題を解く鍵であるように思う。

 

参考文献

 

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)