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鈴木孝夫『日本語と外国語』三木学

 

日本語と外国語 (岩波新書)

日本語と外国語 (岩波新書)

 

 1990年発行、2011年ですでに39刷を超える本書はすでに「古典」といえるのかもしれないが、現在でも示唆的な指摘が多い(まさに古典であるが)。

 

日本語と外国語の違いを、明確に伝えられる人はそれほどいないだろう。少なくとも二カ国以上の深い理解が必要であるし、日本人が欧米の言語をネイティブなみに習得するのが難しいことは自明だろう。

 

本書に関心を惹かれるのは、言語の叙述機能あるいは描写機能と言われる働きについてアプローチしている点である。1990年時点で、この面に焦点を当てる研究が少ないと指摘しているが、現在は増えているのかもしれない。

 

それにあたり、ここでも色の認識が焦点になっている。人類学と構造言語学が深く結びつきながら発達してきたことは本書でも指摘されているが、言語比較において色の語彙というのはもっとも調査しやすい対象なのかもしれない。

 

本書でも、お馴染みの虹が何色に見えるか?という命題と太陽が何色に見えるか?という命題について、複数の言語、文化圏から調査している。日本では当然、7色と答えるが、イギリス、フランスは7色、ドイツは5色、アメリカは6色など、翻訳辞典、百科事典、人々への聞き取り、虹を描いた絵本などから丹念に調査し、その違いと理由について明らかにしている。

 

イギリスについては民衆レベルは6色の場合も多く、学校教育では7色と教えられているので教育水準によって差異がある。フランスはある程度、統一的な教育が行われているのか7色で認知されている。

 

虹は、太陽光を分光したスペクトル(単色光の配列)であり、連続性があるため、本来、‟科学的には”、無限というのが正しいことになる。スペクトルの原理を発見したニュートンが『光学』において、7色と報告したため、それ以降、7色が定説になった。それでは、なぜニュートンは7色に分別したか?


本書では、『光学』その根拠をキリスト教神学における聖なる数字の7が採用されたと指摘している。しかしニュートンが虹を7色にしたのは、『光学』の命題に、色相環と弦楽器の分割が同じであると説明していることからも、音楽理論からの類推であることが分かっている。

 

ルネサンス以降、古代ギリシアの知識が重視され、ピタゴララスが音階や和音を数学的な関係で理解しようとした伝統や、当時の科学の基礎科目が、数学・幾何学・天文学と並んで音楽も含まれていることからも、こちらの方が有力だろう。

 

普通に数えると、だいたい6色くらいが明確に分けられる限度で、7色というのは恣意的に見える。その証拠に、ニュートンは当時、あまり一般的ではないindigoという名前を使ってまで7色にしている。
英語では、Red、Orange、Yellow、Green、Blue、Indigo、Violetの7色である。
日本語では、赤、橙、黄、緑、青、藍、菫(もしくは紫)と教える。

 

本書では日本は元々7色であったとしているが、文献が明らかにされておらず、おそらく明治以降の西洋由来の知識だろうと思う。6色の文化圏では、だいたいIndigo、Violetではなく、Purpleでまとめられている。

 

もちろん、7色に見えないからと言って、色の弁別が劣っているわけではない。虹を2色で表す言語圏もある。虹の弁別は、色の語彙が少ないこと=知覚できていない、とされる誤解を生んできたことでも有名だ。しかし、連続性のあるものはとくに、言葉のカテゴリーが広ければ少なくなり、狭ければ多いという違いでしかない。逆に、色名の多さが、弁別に影響を与えることもわかっているので、言語が知覚を変えるということはあり得るが、見える範囲が違うという差ではない。

 

もう一つ、太陽の例であるが、日本では赤色を理解されているが、西欧圏では黄色、東欧・ロシア圏では黄色で示されれることが指摘されている。月は太陽が赤色の場合は黄色で表され、黄色の場合は白で表される。この認識の違いによって、海外在住の日本人の子どもがいじめられたという例が書かれているが、このような細かい文化による違いは様々なレベルで衝突を起こす。

 

例えば、翻訳でもまったく対応しない言葉の方が違うものとして理解するが、同じ意味の言葉とされる方がやっかいであることについて述べられている。アメリカにおけるOrangeは日本のオレンジ色とは違い茶色までを含む。フランスの黄色は、日本の薄茶色まで含む。それによって、理解の齟齬を起こすことがある。著者は、Orange Carが来ると言われていて待っていたが、いつまたっても来ないので、途中で茶色い車がオレンジの車であることに気付いた例を挙げている。そのことから考えると、同じ意味とされる言葉の方が思わぬ落とし穴がある可能性が高い。勝手に母語の意味カテゴリーで捉えていてしまっているケースは、バイリンガルの人々にとっても多いだろう。

 

余談であるが、アーティストのヤノベケンジは、1997年にチェルノブイリ原発の街に探訪し、廃墟となった幼稚園の壁に描かれていた黄色い太陽を見て、希望のモチーフにしてきた。それ以降、ヤノベの作品には、黄色い太陽はたくさん出てくるのだが、まず旧ソビエト領であったウクライナでなぜ黄色い太陽が描かれていたのか?西欧の文化が流れ込んでいたのか?日本で黄色い太陽について疑問を呈した人はいなかったのか?興味深い問題である。

 

加えて言えば、太陽を黄色と認識するか、赤と認識するかは、緯度が深い関係があるかもしれない。緯度が低いと色温度は低くなり、太陽光に赤みが増す。緯度が高いと色温度は高くなり太陽光に青みがます。西欧より平均的に緯度が低い日本が、太陽を赤く捉えても不思議ではない。ただ、ロシアや東欧が太陽を赤と捉えた理由はわからない。もしかして、もう少し低緯度のアジア圏からの影響はあるかもしれない。

 

また、本書では、他に音素の極めて少ない日本語を母語とする人が、音素の多い英語の理解が難しいことや、漢字の視覚的な理解や音読みと訓読みが日本語の音素の少なさを補完している事実を説明している。そのことについて日本語をテレビ的、西洋圏をラジオ的と称している。これは、多くの英語の習得が難しいと考えている日本人にとって、一つの解答にもなっている。同時に、日本語が西欧の言語と比較して劣っているのではないかという劣等意識についても解消する内容になっているだろう。

 

母語を知るためには、外国語を知らなければならないし、外国語を知るためには、言外の文化を知らなければならない。言外のことを一つ一つ理解しようと意識していかないと、本当に異文化を理解することにはならないことを本書では警鐘している。そして、色は言外の文化を知る大きな鍵の一つだということを、改めて痛感させられる本である。

 

参考文献

 

フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

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色彩学貴重書図説―ニュートン・ゲーテ・シュヴルール・マンセルを中心に

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