「葵祭とかさねの色目」三木学
京都では、5月と言えば、京都三大祭の一つである葵祭だ。もとは、賀茂御祖神社(下賀茂神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭の一つであるが、現在では平安貴族の装束を着た人々の行列が有名だ。
かつては賀茂祭と言われていたが、応仁の乱から約200年間中断しており、江戸時代に再興してから、内裏宸殿の御簾、牛車、勅使、供奉者の衣冠、牛などに葵を飾るようになったため葵祭と呼ばれるようになった。
御所を出発し、下賀茂神社を経て、上賀茂神社まで至る行例を見て、京都の人々は平安貴族の雅に思いをはせる。特に平安時代の女房装束の袿の重ねは、襲(かさね)の色目といわれ、日本独自の配色体系として知られている。春夏秋冬や儀礼によって、かさねの色目には種類があり、平安時代の貴族の女性は季節や儀礼に合わせた配色の装束を着こなしていた。
その後、武士の時代になると、禅宗の影響などもあり、煌びやかな色彩よりもシックな、いわゆる侘び寂びのような配色が好まれるようになったため、現在に至るまで、かさねの色目以上の配色体系は日本では作られていない。西洋の紋章の配色体系よりも古く、洗練されているため、それが平安時代の貴族以外にはそれほど広がりを持たなかったのは残念なことである。
西洋ではニュートン以降、色彩の科学的な理解が進み、紋章や染織の配色体系が崩れて、知覚や心理にどのような影響を与えるかという科学的な視点から見直されるようになった。そして、3次元の色立体を想定してはるかに複雑な配色体系が考案されるようになった。
同時に、色彩調和論が提唱され、さまざまな配色が考案されてきたが、その観点からすると、かさねの色目は調和してない配色が多い。そもそも西洋の色彩調和は、色だけの世界の調和であり、日本の場合、自然との調和という観点の方が大きい。
また、西洋が3次元的な配色の理解を進めたのに対し、かさねの色目は、重ね、襲という言葉のとおり、色の違う布を何枚も重ね、時に薄い布を使うことで、下の布が透けるというような、多層性をもっているため、まったく別の評価が必要だということもある。いわば2.5次元的であるともいえるし、尺度の縮尺が変わるという性質をもっている。また、天然の染料を使っていたため、色として自然と調和をしていただけではなく、直接的に自然(の素材)を着るというつながりもあっただろう。
もちろん、染色技術の問題から、貴重な色や作れない色があったため、もしそのまま染色の技術が向上し、使える色数が増えていたならば、どのように進化したのかは想像するしかない。
日本でも、西洋で19世紀に飛躍的に向上した合成染料が輸入され、意味のつながりも、自然とのつながりも分断されてしまった。そして、個々の嗜好による色が氾濫している今日では、平安貴族の色彩感覚や世界観を辿る意味でも、葵祭は生きた文化財としての役割を持っている。
色を通して、自然とのつながりを回復する術もあるかもしれない。西洋由来の色を日本の環境に合わせて活かす方法も、大陸文化を咀嚼して発展した平安時代の色彩文化は大いに参考になるだろう。
参考文献
- 作者: ミシェル・パストゥロー,松村恵理,松村剛
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/09/22
- メディア: 単行本
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