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三瀬夏之介『日本の絵』三木学

 

三瀬夏之介作品集 日本の絵

三瀬夏之介作品集 日本の絵

 

 三瀬夏之介君は、奈良県にある公立高校の美術部の1年下の後輩にあたる。私は早生まれなので互いに1973年生まれである。その三瀬君が、画家「三瀬夏之介」として浮上してきたのは、2000年を過ぎてからのことだろうか。最近では次代を担う日本画家として、メディアを介して彼の目覚しい活躍を目にするようになった。

彼を覚えていたのは「夏之介」という個性的な名前もさることながら、その画風の強烈さが忘却を拒絶するものだったということもある。混色を繰り返し泥のようになった絵の具を塗り重ね、塑像を作るかのような手法で、平面を岸壁のように「立体化」させていた。それは今日の画風と印象は変わらず、高校時代から確固たるものを持っていたのは間違いない。彼がなぜ日本画を専攻したのか理由はわからない。少なくともポスターカラーでケント紙に描いていた頃は、その画風から洋画家になると思っていた。

しかし、彼は日本画家の道を歩み、20年後『日本の絵』という画集を上梓することになった。この本には、私が記憶している画学生・三瀬夏之介君と画家・三瀬夏之介の連続性と亀裂が混在となっており、彼特有の継ぎ接ぎのような絵によって脳裏をえぐられるような感覚になる。その亀裂は彼の画家としての成長と、この20年間に起きた出来事の両方に要因があるだろう。

彼が転機となった出来事として本の冒頭に上げている1995年の阪神大震災と地下鉄サリン事件は、日本が安定した空間ではなく、むしろ、自然や人間社会が戦後のある期間、奇跡的に力が拮抗する安定状態にあったことを逆説的に明らかにした。奈良に育った人間にとって、それは二重に衝撃的な出来事であった。一つは「地震は関西では起こらない」、もう一つは「宗教は人間の心を安らげるものである」という思い込みである。その根底をひっくり返されると、安定性の拠り所を喪失してしまう。その衝撃と傷は私にとっても同様に深いものだった。

 

それでも、奈良の山に囲まれた盆地の風景は、心に安定性を与えるものであることは間違いない。それは災害の多い列島で暮らていた古代の倭人=後の日本人が選んだ最もリスクが少ない土地であるから当然だろう。しかし、京都と違って早々に都ではなくなった奈良の持つ歴史性はあまりに日常と離れており、大阪のベットタウン、新興住宅地街でもあるため日本で一番新旧の分裂状態をもたらしている場所であるとも言える。

 

彼が奈良から日本の起源を問う時、距離的な近さと時間的な遠さを埋めなければならず、さらにそれを日本画という明治以降の作られた伝統で描こうとすると、矛盾を埋めるために様々な継ぎ接ぎを強いられることになる。しかし、彼のモチーフの一つである奈良の大仏が、地震による崩落や二度の兵火を経て、継ぎ接ぎされながらも今日まで現存するように、彼は信心と疑念、過去と現在、西洋と日本に引き裂かれている状態を、 ギリギリでありながらも力強く繋ぎとめているようにも見える。

 

彼の射程は、京都での学生生活、イタリアへの留学、東北への移住、さらに東日本大震災を経て、日本全土に拡がっている。今日、彼の描く「日本」は、破壊れさ続け、亀裂を生み続けることを宿命的に背負っている日本列島を、何度も何度も継ぎ接ぎしているように見える。時に泥のように浅黒く、岸壁のようにどす黒く塗り重ねられ、深く皺の入った和紙の「不連続面」の中に散見される日本画の顔料、鉱物を砕いた色彩を帯びた光が僅かな期待や希望の糸のようにも思えてくる。そして、それはこの列島で採れたり加工されたりした石や木が定着した地肌であり絵なのだ。

 

それが分野として日本画であるかのかないのか、という議論はあるかもしれない。あえて言うなら明治以降の日本画ではなく、戦後日本画と呼ぶべきものであっただろうし、現在では、二つの震災を経て震災後日本画となったのだと思う。しかし、それはいつでも「後」が「前」に変わるような不安定さを秘めたものだ。その不安定さの起源を辿るため、彼は日本列島で描かれてきた様々な「絵」の古層を発掘しようとしているように思える。それらの試みは逆説的に彼を日本画を牽引する存在にしている。

 

今となっては、高校の時彼が描いていた絵は、今日の不安(定)な時代を予言的に描いていたのかもしれない。彼の絵が本質的に変わらない部分があるとしたらそのせいだろう。奈良という日本の起源の場所にいたからこそ、見えてくる日本の姿があった。そして、今日、彼は移動と経験を重ねたことによって、地理としての日本、社会としての日本が混在した姿を捉えようとしている。それを掴まえたと思った瞬間、手からこぼれ落ち、バラバラに砕けてしまったとしても彼は継ぎ接ぎを続けるだろう。それが三瀬夏之介の絵であり、日本や日本人の似姿なのだから。