「色彩の授業」三木学
先日、畠山直哉さんと伊藤俊治さんの対談の打ち上げで、伊藤俊治さんが教える東京藝術大学の学生たちと歓談する機会を得た。東京藝術大学の先端芸術表現科の院生たちなので、メディアはバラバラである。そとのきは、写真、インスタレーション、アニメーションなどを扱っている学生だった。
彼女たちと色彩の話をしたら、一同にちゃんと習ったことがない、と言う。一応授業としてはあるようだが、色彩の演習や色彩学をちゃんと教えられたことはないようだ。ニュートンやゲーテなどの基本的な色彩理論の系譜についても知らなかった。東京藝大ですら習ってないのだから、他の美大や芸大も当然、カリキュラムにしっかり入っているとは思えない。
僕の個人的な推測だが、日本だけではなく、世界の芸術大学は、バウハウスのカリキュラムが一つのモデルになっている。だからバウハウスにその理由があると考えられるかもしれない。
バウハウスは、1919年にドイツのヴァイマルに設立された。初代学長は建築家のグロピウスである。それ以前の、芸術家を養成するための美術学校(アカデミー)や職能学校のように分化した造形教育ではなく、芸術と技術(技能)の統合を目指した先進的な造形芸術の学校だった。バウはドイツ語で建築の意味があり、総合芸術として建築が中心に据えられていた。
バウハウスは、6か月の予備課程を経て、木工・金工・ガラス工・織物など7つの工房で3年間の専門教育を受ける。さらに、実際の建築現場で、建築教育を受けるという三段階のシステムになっている。
バウハウスの予備課程を担当していたのは、最初は画家・教育者のヨハネス・イッテンだった。イッテンは表現主義の画家であったが、「さまざまな材料やテクスチャ体験、形や色に関する素材の表現性、リズムや空間把握のための構成、形態・色彩の基礎理論、名画の分析などの実習」(三井秀樹『美の構成学』)を行った。イッテンは後に『色彩論』を著したことでも知られる、色彩学のエキスパートでもあった。
しかし、その表現主義的、芸術至上主義的傾向、直観を重視する東洋思想に響受けた教育方法が、工業と接近するグロピウスと対立し、イッテンはバウハウスを去ることになる。代わって、モホリ=ナジに予備課程が引き継がれることになった。モホリ=ナジは、(ロシア)構成主義に影響受けており、写真やタイポグラフィなどの新しいメディアや、アルミニウム、プラスチックなどの新素材を積極的に取り入れた。しかし、当時は写真はモノクロであったし、画家であったイッテンのような色彩理論は持っていなかっただろう。
ただ、イッテンの時代に教えを受けた、ジョセフ・アルバースが色彩についての探求を続け、卒業後はバウハウスの教授となり、ナジとともに予備課程を教えた。しかし、アルバースも構成主義的な色彩観であり、イッテンの要素は含まれているものの、科学的志向が強かったといえる。アルバースの著した『色彩構成』を見ると、配色の知覚的効果を重視しているように思える。
このイッテンと、ナジ、アルバースの予備課程の断絶が、日本の大学における色彩の位置づけを不安定にさせたという可能性はあるかもしれない。また、そもそも色彩教育を実践的に行うのは歴史的、科学的知見と、それを実現する技能の両方を要するので難しい部分はある。色彩理論を教える先生と、実習をする先生に乖離がある可能性は高い。
とはいえ、彼女たちは、ニュートン、ゲーテ、シュブルール、マンセルのような色彩学の基本的な流れさえ理解してなかった。これは驚くべきことである。当然、シュブルールが、印象派、新印象派、ポスト印象派に与えた影響も知らない。色彩学の基本を知らなければ、近代絵画すら理解できないのだが、そこが大きく欠落している。写真がデジタルになり、色彩を扱う割合は大幅に増えている。カラーマネジメントなどの新たな知識も必要になっているが、それ以前の知識を知らないと理解できない。新たに実践的な色彩のカリキュラムを作るのは必須の課題だろう。
港千尋さんと書いた『フランスの色景』を紹介したころ大変関心を持っていた。色彩学が、ニュートンに始まり、色相環から色の三属性による色立体になっていく過程を教え、彼ら自身色立体を2次元でしか表せなかったので、コンピュータによってようやく彼らの仮説を3次元としてシュミレーションし、検証できるようになったことを伝えた。
3次元の色立体を想定して理論化されてきた色彩学だが、当時の技術的制約から2次元でしか図示することができず、彼らも細かいところまで理解していない。それを3次元化して見られる現在は、色彩学の大きな飛躍の時代にあたる。
『フランスの色景』の序説では、そのことを踏まえ、色彩学の大まかな流れが理解できるように書いている。まずは、3次元化の意味を理解することが重要だ。一応、フランスを題材にしているが、それは色彩環境として、西洋で発達した色彩理論が一番適応し、理解しやすいからでもある。もちろん、日本で応用するヒントについても書いている。
美術表現に携わりながら、色彩理論について知らない人にも、概論を掴むと同時に、実用できる配色レシピのようなものでもあるので、是非活用してほしい。
色彩教育の問題については、今後も歴史的な経緯を含めて検証していきたい。
参考文献