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鈴木崇『BAU』@梅田蔦屋書店 三木学

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鈴木崇《BAU》

先日、JR大阪駅に隣接するルクアイーレ(LUCUA 1100)にある梅田 蔦屋書店のオープン当日に行ってきた。その日がオープンということはつゆ知らず、写真家の鈴木崇さんの作品が、書店内に展示されているとのことなので見に行ったのだ。

 

梅田 蔦屋書店は、代官山 蔦屋書店(東京・渋谷区)をモデルとした、ライフスタイル提案型の書店で、代官山と同じくクライン・ダイサム・アーキテクツによって設計されている。鈴木崇さんの作品は、店舗を構成する一部として展示されることになったようだ。クライン・ダイサム・アーキテクツは、アストリッド・クラインとマーク・ダイサムによって設立された総合デザイン事務所で、建築、店舗設計、インスタレーションなど幅広いデザインを世界中で手掛けている著名なグループだ。

 

梅田 蔦屋書店は、フロア全体を覆う楕円状の本棚を中心に、旅行代理店やウェディングプランイング、Apple正規サービスプロバイダ、スターバックスなどを配する、本を中心にして具体的な行動を支援する構造になっている。ライフスタイル提案型の書店は、スタンダードブックストア等が近いと思うが、ここまでの規模で書店以外の業種と連携するスタイルは西日本では初めてだろう。そのようなスタイルが、巨大書店がひしめく大阪・梅田エリアでどこまでポジションが確保できるか話題になっている。

 

また、ルクアイーレのビルには、当初JR大阪三越伊勢丹が入っていたが、東京風のハイソな店舗設計が関西に受け入れられず撤退後したため、ルクアを手掛けた敏腕の社員が一からマーケティングし直し手掛けたことで新たな台風の目になるかもしれないと言われている。

 

その中でも、梅田 蔦屋書店は、一つの目玉なのかもしれない。8日(金)の4時頃についたときには9Fのフロアにはすでにお客さんは一杯おり、入場制限がかかっていた。そして、5Fに降りて、再度エレベーターで並んで入場しなければならないほどの活況ぶりだった。

 

鈴木さんの作品《BAU》は、一度、shadowtiemsでも紹介させていただいた。その後、愛知県美術館で開催された「これからの写真」展にも出品され高い評価を得ており、昨年、海外の版元から写真集も出版されている。この度、蔦谷書店で常設展示されることは、非常に喜ばしいことである。

 

《BAU》と言えば、美術・建築に通じた日本人なら、バウハウスを連想するので建築と捉えるが、ドイツ語には構成・構造などのような意味もあり、鈴木さんはもう少し幅広いドイツ語の概念を意図しているようだ。

 

作品は、百円均一などで売られている、類似した形態の洗剤用のカラフルなスポンジを、レゴブロックのように即興的に組み合わせ、何パターンもの色と形の仮設的な構造を作って撮影し、それらをさらに構成して展示されている。それらが並ぶと、形と色がリズムとメロディを奏でているように感じられる。

 

非常に弾力性があり、不定形にもなる素材を、不安定な形で組み上げていることに、現代アートを知らない人でもクスっとするユーモアが感じられる。しかし、デュシャンのレディ・メイドやベッヒャーのタイポロジーモンドリアンコンポジションを連想させ、現代アートとしてもしっかりとした背景が読み取れる。また、近年、建築界で流行している、コンピュータを使った自動生成の設計手法である、アルゴリズミック・デザインとの共通点も指摘できるかもしれない。

 

鈴木さんは、ドイツ現代写真の名門、デュッセルドルフ美術アカデミー出身である。トーマス・シュトゥルート のアシスタントとなりその薫陶を受けると同時にシュトゥルートのはからいにより、デュッセルドルフ美術アカデミーの学生になり、トーマス・ルフに学んだ。現代写真界を代表する二人のトーマスの教えを受けている。

 

タイポロジー(類型学)という独自の方法で、溶鉱炉や給水塔など、匿名性の高いドイツの近代産業建築群を撮影したベッヒャー夫妻は、写真を現実を撮影しながら概念を表象するメディアに昇華させたことで高い評価を得ている。カメラだけだけではなく、天候や角度など撮影条件を厳密に定めることで、建造物の類型と無限の差異が見えてくる。その集積によって写真的な言語を作ったといえるかもしれない。

 

同時に、デュッセルドルフ美術アカデミーで教鞭をとり、トーマス・シュトゥルート、トーマス・ルフアンドレアス・グルスキーなど、ベッヒャー・シューレ(派)と形容されるくらい著名な写真家たちを輩出しており、教育者としての功績も大きい。ベッヒャー・シューレは、タイポロジーを参照にして、被写体との関係の結び方によって、概念や思想を表象する様々な方法論の写真群を生んだ。鈴木さんはベッヒャー・シューレの直接的な流れを汲む日本では稀有な存在でもある。

 

現代写真界の大物の流れを受け継ぐことはプレッシャーでもあるだろうが、鈴木さんは日本的なモチーフを使いながら、それを発展させているといえる。ドイツのような固い構築性ではなく、今にも崩れそうな、柔らかい形と厚みのない原色を積み上げることの不安定さ、脆さ、危うさは、そのまま日本の風土を表しているようにも思える。 

 

単純なアイディアのように思わせておいて、実は何重もの仕掛けをしているところが、鈴木さんの上手さであり、知識のある人でもない人でも楽しめる許容量があるのも特徴だろう。

 

梅田 蔦屋書店のトイレに至る通路に飾られているので、是非見に行かれることお薦めする。その後は、写真やアートの書籍が充実しているので、スターバックスでコーヒーやラテでも注文し、ゆっくりくつろぎながら大量の写真集や美術書を見て関連する文脈を読み込むのも楽しいだろう。

 

 

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