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「スタジアムの解体」三木学

www.huffingtonpost.jp

 

国立競技場が解体された。解体されるまでに、ザハ・ハディドがコンペで提案した新国立競技場のプランを巡って、景観論争やコスト論争が起きたのは記憶に新しい。住民だけではなく、日本の著名な建築家や建築史家もこぞって反対し、伊東豊雄は国立競技場のリノベーション案を提案していた。

 

幸か不幸か、建築家や住民の様々な懸念は建てられる前に的中した。難解な構造を持つザハのプランの費用は膨れ上がり、オリンピックまでに屋根が間に合わない、という事実が公表された。本来2020年に間に合えばいいのだが、2019年にラグビーワールドカップが開催されるので、それまでに完成しなければいけない条件だった。しかし、2020年のオリンピックにさえ、開閉式の屋根は間に合わない。それどころか、コンペの条件であった8万人クラスのスタジアムは撤回され、5万人の常設席と、3万人仮設席で対応することになった。それならば、国立競技場のリノベーションで良かったのではないか?という身も蓋もない話に。しかし、国立競技場はすでにない。

 

問題はさらにある。ドーム式では日照量が減るため、天然芝を育てるのは極めて難しいので、生育や維持にかかるコストも膨大になる。しかも、8万人クラスのスタジアムを維持できる、スポーツやイベントも日本には不足しており、早々に膨大な赤字を垂れ流す施設になってしまう可能性が高い。

 

かといって、各種のスポーツイベントのスケジュールを考慮すれば、真夏に大会を開催するしかなく、ここ数年の急激な気温の上昇や、スコール、台風などの天候に対してどのように対処するかも検討しなければならない。1964年には統計上も、雨の少ない10月10日が開会式だった。秋の大会なので、気温については心配する必要もない。夏の大会ならば、屋根は必要だろうし、屋根がなければ逆に、前の国立競技場を補修することでなんとかなったかもしれない。もちろん、その上で熱さや豪雨の対策は不可欠になる。ここまで、明確な責任者が不在のまま、懸念だけが露出してしまうことに驚くが、それが日本的なシステムであるとしたら問題の根は深い。

 

しかし、そのような懸念があるなか、国立競技場の解体は非常に早かったように思う。日本の解体の技術やマニアルはかなり進んでいるのだろう。この光景にはデジャビュを覚える。大阪球場の解体の際、僕は定点観測をしていた。空中写真ではなかったが、手前のホテルから撮影していたのだ。150mのホテルから球場の中は丸見えであり、写真だけ見れば空中写真に見える。今ならドローンがあるが、その頃はそんなものはない。

 

Naoya Hatakeyama

Naoya Hatakeyama

 

 

同じ視点から、畠山直哉さんが、大阪球場の写真を撮影し、解体前と解体中の写真は、外国人に日本の都市が生み出した稀有な風景として評価され、ベネチア・ビエンナーレにも出展された。解体前には、球場の中に住宅展示場があったので、その光景は、まるでベンサムのパノプティコンのようにも思えた。住宅展示場の解体の様子については、勝又公仁彦さんが撮影し、東京国立近代美術館などで発表している。

 

関西のスタジアムは、大阪球場をはじめ、電鉄会社などが球団を手放す過程で次々と解体されている。藤井寺球場や日生球場、阪急西宮球場もそうである。

 

スタジアムには思い出がつまっている。プレーした人々も、応援した人々もそうだろう。国立競技場はサッカーファンの聖地であったし、東京オリンピックの記念碑でもあった。同じ場所で、学徒動員のパレードが開かれたという負の歴史もある。

 

オリンピックには国家の威信という要素も確かにあるだろうが、そこでプレーする選手や応援する人々が主役だということは忘れてはならない。新国立競技場の議論で一番欠けているのは、責任者の不在もさることながら、それを使用する当事者の不在ということだろう。