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ビジュアルレビューマガジン

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「Hotel's Window」勝又公仁彦(shadowtimes2012/10/11 Vol.0 創刊号後半)

今回は創刊記念号として2号分を1つにまとめているので少し長くなるが読み進めて頂きたい。

早速、もう1つの展覧会 連続展「風景考 #4」 スザンヌ・ムーニー「Experiences of place」に移ろう。連続展「風景考」は港千尋さんをディレクター、勝又をキュレーターとして、東京日本橋のSatoshiKoyamaGallery を主な会場に、今年2012年から始まった連続展である。

これは東日本大震災などを契機として、風景について再考することを写 真や映像に限らず様々なジャンルの表現者の営みと思考を通して検証する試みである。最初に「プロローグ展」としてグループ展を開催、二回目は港千尋氏の 「縄文に触る」展を新刊写真集である『掌の縄文』(羽鳥書店)の刊行にあわせて開催。三回目はフランス人作家のマリ・ドゥルエ氏を迎えての「むこうの風 景」展である。

また初回のグループ展にインスパイアされた広告ディレクターの呼びかけにより、イラストレーターや写真家による『その先の風景展~「風景考」に導かれて』が8月に開催されるなど、当初の予想を超えた広がりをみせている。
その「風景考」の最新の展覧会が、東京在住のアイルランド人作家スザンヌ・ムーニー氏による「Experiences of place」だ。

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"Walking in the City" #3, 300 x 200mm, Backlight image, LED light box frame
(彼女は視覚芸術における風景表現が、どのように都市空間や文化、そし てそれらの抱える諸問題を反映しているかを考察するアーティストで、ロマン派の絵画のイメージやモチーフを援用した都市風景に特徴がある。元々はメディア アートを専攻し、現在は多摩美術大学の博士課程に在籍している。本展では「Walking in the City(都市を歩く)」と「Tokyo Summit A(東京サミット)」の二つのシリーズを展示した)

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"Walking in the City" #4, 300 x 200mm, Backlight image, LED light box frame

 

さてプレスリリース用に私が書いたテキストがあるので、ここで紹介しておこう。

 

アイルランドから日本に留学しているスザンヌ・ムーニーは我々が住む世界に対する認識を都市の構造と居住地のあり方を通じて思考するアーティストです。

都市の内側を調査し、その建築構造や色彩、パースペクティブに着目した"都市を歩く"では、都市を安定した構図で捉えることにより、環境としての安全や安心をそこに暮らし働き学ぶ、都市の住人に対して与える、都市の正序された美や規律と環境の政治的、家政的あるいは保健医学的といっても良いような観点を明示するものとなっていました。

スザンヌはフリードリヒやターナーといったロマン主義風景画の美意識とその観察者と環境との関係を参照しながら、現代人の環境との関わりと世界認識の体験の方法とを思考し提示しようとしてきました。

目まぐるしく変化しながらも、安定し進化する表象を示す都市空間を走査する中で現代都市環境のイメージを得て来た彼女でしたが、昨年の東日本大震災は、その思考と実践にまさに揺さぶりをかけるように襲いかかってきた事態であったことと想像されます。

その後、彼女は被災地へと赴き、廃墟と化した町の風景を広角のパノラマでとらえることになります。それらは都市や居住環境を構成していた建築や物質の無秩序に破壊された姿との対峙による、思考の深化とロマン主義的美意識の援用への覚悟が看取される作品となりました。

そのような体験を通して始められた"東京サミット"は都 市の内部から垂直的な移動を通して、人工的な山頂に立つことで、シームレスな360度のパノラマ画像を得ることにより、ひとつの俯瞰する視線、都市全体を 包含しその外側へと繋がって行くような超越的でありながら慈悲に満ちた視線を獲得したことを表しているようです。

それは完璧を装う都市とそのシステムの中で、居住者である我々が利便性やクールさを追求あるいは それに追従しているうちに(表面的には)捨て去り忘れかけていた、怒りや畏れ、また哀しみや同情といった様々な感情を、自ら思考することを通して取り戻すような視線と言えるのかもしれません。

この作品は池袋のサンシャインシティのサンシャイン60展望台から撮影されています。建設当時は東洋一の高さを誇ったこの建物の立地は日本人にとっては複雑な感情を抱かざるを得ない場所です。

それはこの場所に1970年まで巣鴨拘置所が置かれ、戦時中はリヒャルト・ゾルゲや尾崎秀実などゾルゲ事件の首謀者たちをはじめとした政治犯などが処刑されあるいは獄死し、戦後は極東国際軍事裁判の被告人となった戦犯容疑者たちが収容され、また処刑された地であるからです。

彼女が意識しているかどうかはわかりませんが、その地がサンシャインシティと名付けられたことの 意味を私は考えざるを得ません。日本という太陽をシンボルとした国の近代の闇を象徴する場所に、敢えてサンシャイン(日光、太陽光)という名前をつけた 人々の想いには単なる日本の復興というだけではない、政治的あるいはもっと根源的呪術的な名付けの意図を感じます。巣鴨拘置所の敷地の処刑場の上には建物 は建てられず、公園となっています。

太陽がサンシャインを照らすとき、その公園の地面に落ちる影は" 東京サミット"から捉えることが出来るのでしょうか?それとも足元の影に視界は届かず、輝かしい我々の「都市」が今日もきらびやかな衣装をまとって明るく 広がっているのでしょうか?そして我々がいつの間にか意識の外に置き、黙認してきたあの人工の「太陽」から放たれたものは、今もこの空を漂い降り続けているのでしょうか?

実際の展示作品を観る前に書いたこともあり、多少的外れな見解があったかもしれないが、そこは大 目にみてもらいたい。作家からは特に抗議もなかったのであながち間違いでもないのだろう。ムーニーはこの展覧会に先立ち、故国のアイルランドでも展覧会を 開催してきた。ここでその画像をご覧いれよう。 上の文章の中にある、東日本大震災に取材した作品も展示されている。

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Installation view, "Experiences of Place" at Talbot Gallery, Dublin, 2012
(少しわかりにくいかもしれないが、震災に取材した作品"Remnant Mass"はプリントを額装しており、もう1つの作品"Walking in the City"はライトボックスによる展示となっている)

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Installation view, "Experiences of Place" at Talbot Gallery, Dublin 

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Installation view, Walking in the City" #5, #1, at Talbot Gallery, Dublin, 2012.
(今回のSatoshiKoyamaGalleryでの展示では、作家の意図により「Remnant Mass」シリーズは展示されず、新たに「Tokyo Summit A(東京サミット)」が展示された。これは直径2mほどの円筒状のライトボックスの側面に、東京池袋のサンシャイン60展望台から撮影された風景がぐるっと360度囲んだものだ)

 

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Satoshi Koyama Galleryでの作品展示風景。左「Tokyo Summit A(東京サミット)」

もう1つの作品である「Walking in the City(都市を歩く)」からは6点が展示されている。こちらもライトボックスの作品のため、会場の照明は落とされ、作品だけが薄闇に浮かび上がるような展示になっている。

 

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Satoshi Koyama Galleryでの作品展示風景

 

会場に入ってすぐにあるのは東京の都市を撮影した「Walking in the City」のシリーズであり観客はまずそれらの作品を見ながら、次第に奥の「Tokyo Summit A」に近づく。これは都市の地上や通路を歩いてから展望台に至るという、実際にビルに登る際の我々の視覚体験と同じ順序での構成になっているようだ。

「Tokyo Summit A」の台座は固定されているため、観客は円形のライトボックスの周囲を自然と歩くことになる。これも実際の展望台での行為と似ている。違うのは、展望台で は観客は風景の円環の内側にいて窓から外を眺めているのに対して、この作品では観客は風景の円環の外側にいる。しかし光はともに風景の側から来るため観客 は自らの影に視界を煩わされることが少ない。

端的にいってこれは360度 のパノラマ作品なのだが、いわゆるパノラマ館が円形の壁面の内側に歴史的場面などを描き、(展望台と同様に)観客を内包することで疑似体験的な効果を高めていたのとは方向が異なっている。観客はより醒めた意識のまま都市の外貌を至近距離の画面の内に遠望し、その外側を歩く。

この透徹した意識は「Walking in the City」を観る際にも共通するものだ。我々は実際の都市を歩く際には視覚のみならず様々な感覚を動員しあまたの情報や危険を処理しながら歩いている。もちろん、日本の都市は諸外国と比べ比較的安全(に感じられるように過保護かつ管理的)ではあるが、気を抜いて歩けるような場所は彼女の作品には写されていない。

しかし、作品として提示された都市の光景を観るものはその視覚的な要素に集中し、ライトボックスの効果と共に実際の空間とは違う新たな身体感覚を再構成してゆく。

「Walking in the City」の展示は実は共通の構図の要素をもつ作品を二つずつ選んで展示されている。しかもそれは一見気づきにくいように、都市の中の全く違う場所で撮られている。同様にさりげなく人影が消されていたり、看板やサインの文字が削られたり、壁面の色の強弱をコントロールするなどの細かいレタッチがなされている。そのことで作品シリーズ全体の画面の統一性が図られているのだ。さらに認識しにくいことではあるが、この作品には必ず一人の人の像が残されている。

ロマン派の絵画、特にカスパー・ダヴィッド・フリードリッヒの絵画の 援用を語る彼女だが、その作品に残る人影はあまりに小さく弱々しくおぼろげで儚い。ある者は何かにせかされるように移動中であり、またある者は携帯電話の やりとりに追われ、悠然と歩いているように見える者もつかの間の休憩時間にほっと気を抜いているだけで、次の瞬間には何か(多くは自分ではない他者の要請)によりあたふたと走り出しそうだ。

荒海に向かい海岸をさすらい、山頂に立ち雲海に挑みかかる、といった フリードリヒの絵画に現れていたような雄々しく自然と対峙する英雄的な人間像はここにはない。あるのは、厳しい自然から自らを隔離し、人工の環境の中で安 心と安全と安逸を作り出し、快楽と平穏な暮らしの中にありながら、それが危ういバランスの上に成り立ち、いつ何らかの原因で崩壊するかもしれないといった 不安を抱えつつ生きる現代の都市生活者の姿なのだ。

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「Tokyo Summit A」 のディテールと展示風景

 

しかしムーニーは東京という都市を必ずしも自然と対立するものとは捉えていない。むしろ彼女の故国アイルランドの有名な世界自然遺産であり、玄武岩の六角柱群であるジャイアンツ・コーズウェー、を東京のビル群に見立てることさえする。

 


それは幾分か冗談まじりではあるが、幾分かの真実を孕んでいるだろう。
ムーニーの生まれ育ったダブリンは馬車道の残るような古都であり、ヨーロッパの他の諸都市と同じように建築の規制により市街地は昔と変わらずに残り続けているという。
それに対して日々刻々と変化する日本の都市はダイナミックな生命体のように見えるだろう。その点でムーニーは都市を一つの自然環境として捉えている。メタボリズムの代表的な建築物である黒川紀章の中銀カプセルタワービルの一部が、作品に写り込んでいるのも、そんな日本の都市の新陳代謝への一人の異邦のアーティストからの驚嘆の視線ゆえなのかもしれない。 そのような彼女の視座を胸に抱きながら、地上を離れてビルの頂きに登頂すれば、東京の街が岩山の堅牢さを見せながら新たな森や川のようにうごめきざわめいているのが感じられるだろう。事実日本の都市は常に自然災害の脅威におびえつつ、それを記憶の外部に押しやることで平静を保っていると言えなくもない。それは反転した自然との分ち難い結びつきを日本の都市が内包していることを示している。

 

連続展「風景考」#4
スザンヌ・ムーニー / Suzanne Mooney
『Experiences of place』
会期:2012年09月01日 ~ 2012年9月22日
13:00から18:00まで 日曜予約制 ※事前にお問い合わせください。月曜・火曜・祝祭日休
会場:SATOSHI KOYAMA GALLERY
〒103-0023 中央区日本橋本町3-2-12 小楼ビル(旧:新みやこビル)501
TEL/FAX:03-3275-9935
web site : http://tokyo.satoshikoyamagallery.com/home
※展覧会は終了しています。

 

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