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色立体の普遍性と限界・色感と質感「日本人の色彩感覚(2)」三木学

 

フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

 

 

正直に言って、日本人のアーティスト、デザイナー、ファッションデザイナー、建築家など、あらゆる日本のビジュアルを扱うクリエイターで世界に通用する色彩感覚を持つ人間はいない、と大変失礼ながら思っていた。もしいたとしたら、こんな破壊的な景観はできないはずだ、と。

 

実際、世界で戦うときは、たいていの日本人は素材と質感で勝負する。建築やファッションの世界では顕著だろう。それは圧倒的に色彩感覚が優れている西洋のクリエーターと色で勝負しても敵わないことが分かっているからだ。一方、日本人の質感は世界的にも優れていると思う。

 

色彩学では、色相、明度、彩度という3つのパラメーターで3次元の立体を作った。現在に至るまで、色彩を表す客観的なメモリは、3次元の色立体で表される。西洋の配色を、色立体に分布させると、見事に立体上でバランスがとれていることがわかる。そのバランスは、色彩調和ともいわれ、印象派に多大な影響を与えた、シュヴルールが発見した数パターンの法則は現在でも活用されているし、色彩調和論の基本になっている。

 

しかし、この普遍的とも思える色立体と色彩調和の法則は、日本の配色ではまったく適合しない。かといって日本の配色が不快であるとも思わない。色彩調和の法則は、近代色彩学が始まって以来、心理学的、統計的な手法で検証されてきたが、西洋でも日本でも適合するルールはほとんどない、ということはわかっている。

 

これは少し音楽に似ていて、音楽は西洋において12音階と楽譜による記譜技術によって発達してきたが、非西洋圏の音楽のすべてが記譜できるわけではない。ある程度までできないことはないが、そこから漏れ落ちるものはたくさんある。特に日本の能の囃子のようなテンポが一定ではなく、時間が状況によって伸縮するようなものは難しいだろう。

 

日本の配色体系もそれに似ている。色立体のような固定的なものでは、色に伸縮性がある場合はどうしても表記するのに無理が出てくる。表している色が、点ではなく、広い領域を持っている場合も難しいだろう。

 

そこに質感のような別のパラメーターが含まれると、さらに難しくなる。しかし、前回も書いたように、日本人にとっては質感の方が色感よりもはるかに重要な場合が多い。色を塗ったり染めることで、質感を打ち消してしまう場合は、素材が持っている元々の色を優先する。おそらく、質感と異なる色が塗られることで、認知が狂うことを嫌っているのではないかと想像する。そういう意味では、素材に対して、西洋人よりはるかに敏感なのだ。

 

かさねの色目のような配色体系は、色もさることながら、質感も重要であったのではないかと思う。もちろん、四季と衣装を合わすことが重要であったので、環境と呼応するようにも考えられていた。質感を打ち消さず、活かすことでようやく発揮されるのが日本の色彩感覚なのではないかと思う。

 

ではなぜ、原色の看板で、まったく隣接するものが考慮されていない破壊的な景観が生まれるのかという謎が残る。そのような景観のことを、騒音にかけて、騒色とか色彩公害という場合もある。

 

おそらく、それは看板のパネル自体に質感が存在せず、その感覚が働かないからだろうと思う。おそらく色彩だけの関係性で配色を選ぶ感覚や文化が発達していないのだろう。もしそういう感覚が発達していとしたら、自然にある程度バランスの取れた配色、景観になるはずである。

 

その意味では、質感のないものの配色を考える場合は、西洋的な配色体系を大いに参考にすべきだろうし、色立体上の関係も参考になるだろう。しかし、質感に特徴があるものの配色は、素材の色が優先されるため、素材と色を融合させた配色を考えなければならない。

 

昔はカラーマーケティングなども色だけで考えることができたが、現在は質感を抜きにしては難しくなってきている。車のボディやファッションの生地も、今や様々な質感が開発されおり、それらをマッピングするのは色立体では不可能である。そのため、質感を評価し、マッピングする様々な方法が提案されているし、僕も車の塗料については、新たな方法を提案し、特許の申請に関わったことがある。

 

最近では、質感が視覚野のどの部位で処理されるかもわかってきており、日本人がなぜ質感に対して敏感なのか分かる日も近いかもしれない。ここで説明されているV4野は色彩の情報処理する部位でもあるのが興味深い。もしかしたら、色も質感認知の延長線上にあるものだとも思えてくる。

www.nips.ac.jp

 

僕の仮説である質感と色感が並列したとき、日本人は質感を重視する、というのもあながち検討違いではないかもしれない。木、鉄、石などの質感に、色を塗ってしまい質感情報が失われたとしたら、危険なのは間違いない。つまり物質を判断するために、質感認知は必要不可欠なのである。

 

だから、質感のない素材に関しては、西洋的な配色体系は大いに応用できると思うが、質感のある素材に関しては、質感を失わずに色を加えていくという方法を積極的に開発すべきだろう。それと環境との親和性を重ね合わすことができるようになれば、色彩感覚で日本人が世界をリードする日も来るかもしれない。

 

参考文献

 

シュブルール 色彩の調和と配色のすべて

シュブルール 色彩の調和と配色のすべて