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悲しみで色褪せて見える「悲しみの色の世界」三木学

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色を見ているのは、眼ではなく脳である。眼は光の情報を網膜を通して脳に送るが、それが色として認識されるのは脳の機能である。時に同じ画像を見ていても、まったく違う色として認識されることは、人によって黒・青と白・金の反対の色に見えるドレスでも理解が深まったのではないだろうか?

 

脳が眼から送られる光の情報がなくても、色として認識することは、様々な共感覚者の証言から明らかになっている。それが音の場合もあれば、文字の場合の場合もあれば、味の場合もある。色に変換するための感覚器は、耳でも舌でも肌でもよい。つまり、色は全感覚的な情報を表すものであるといえる。また、そのような感覚器からの情報がなくとも、色を見ることもできる。色つきの夢もそうであるし、幻視のようなものもそうだろう。

 

さらに、色の知覚は、母語によって左右されることも研究されている。色名は言語や民族、文化によって数が変わる。しかし、19世紀以降の人類学者や言語学者の研究によって、色名の多い少ないに関わらず、人間が見えている色の範囲はほぼ変わらないことがわかっている。かつて西洋人は、未開社会と言われるところに調査をしていたとき、色名が少ないので、色が見えてないと判断していた。そのような誤解をする人はもういない。

 

しかし、色名があるかないかで、知覚は多少変わることもわかってきている。例えば、ロシア語には明るいブルーと暗いブルーの二つのブルーがあり、研究によるとロシア語を母語にしている人々に、明るいブルーから暗いブルーに徐々に変化していく色を見せる実験をした際、ロシア語で明るいブルーに相当する言語と、暗いブルーに相当する言語に境界あたりに至ると、知覚の反応が早くなることがわかっている。他の母語の人間にはそのような反応はみられない。つまり、母語が色知覚を変容させる、母語というフィルターを通して世界を見てるということなのだ。

 

一方、今回の研究では、感情が色知覚を変容させるかを調べている。結果的にはそれはイエスである。研究では、悲しい映像を見せた後、赤、黄色、緑、青の中で、黄色と青が正確に認識できなかったとされている。

 

黄色と青が見えなくなる理由は、ドーパミンの影響と推論されているが正確にはわかっていないようだ。ただ、気になるのはなぜ黄色と青が見えなくなるかである。現在の色覚モデルでは、網膜に赤、緑、青を分光するL錐体(赤錐体)、M錐体(緑錐体)、S錐体(青錐体)があるとされている。黄色の錐体はない。しかし、錐体の後に処理される水平細胞によって、赤と緑の情報が混じって黄色となり、黄色と青は対になるとされている。一方、赤と緑も対になる。それは、赤を見続けた後に、緑が見える補色残像の要因とされている。

 

今回は、そのような網膜レベルの話ではなく、脳の色情報処理に感情が何らかの変容を与えるということだが、脳の処理においても赤と緑、黄色と青が何らかの対の情報を保持している可能性はある。そのせいで、悲しみの感情によって、同時に失われるのかもしれない。

 

どちらにせよ、我々の色の知覚や認識は、光の環境だけではなく、母語や感情にも大きく左右されている。悲しみの中で見たり、描いた絵が、元気を取り戻したとき、まったく違った色彩に見えることもあるだろう。それほど色彩は不確かで相対的なものであり、同時に世界の認識も揺れ動いていると考えた方がいいだろう。

 

参考文献

 

徹底図解 色のしくみ―初期の光学理論から色彩心理学・民族の色彩まで (カラー版徹底図解)

徹底図解 色のしくみ―初期の光学理論から色彩心理学・民族の色彩まで (カラー版徹底図解)

 

 

 

色彩科学入門 ―カラーコーディネーターのための

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言語が違えば、世界も違って見えるわけ

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