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捻じれた戦争画の歴史-藤田嗣治「FOUJITAと日本」三木学

www.nhk.or.jp

 

先日、京都文化博物館に、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』」展を見た際、戦争画はダ・ヴィンチやミケランジェロ以来(あるいは以前から)の西洋絵画の重要なテーマであり、フランス生活でそれらの絵画に馴染んでいた藤田嗣治も、その系譜を引き継ごうという意識が強かったのではないかと思って家に帰った。

 

ちょうどその後で、NHKEテレで「FOUJITAと日本」という特集番組がやっており、今年、オダギリジョーを主役に映画化されたり、戦争画も含めた展覧会が開催されている、藤田嗣治の画業と人生の変遷について、様々な角度から分析がなされていた。

foujita.info

MOMAT コレクション | 東京国立近代美術館

 

そうすると、出演していた西洋絵画史の専門家の眼から見ると、藤田のみが日本の絵画史ではなく、西洋絵画史の線上におり、戦争記録画(いわゆる戦争画)もその一環にあるという旨の発言がされていた。

 

たしかに、藤田の戦争画の大作《アッツ島玉砕》などは、戦局が激しくなっており現場は見られないわけで、番組でも紹介されてたように、情報を元に西洋の戦争画の構図やポーズを積極的に採用して、劇的な情景に仕上げている。凄惨な状況も克明に描いているので、反戦的な絵画と捉えられる向きもあるが、はるかに残酷な状況を描く西洋の戦争画の歴史を踏まえると、特別な意図はないかもしれない。

 

もちろん日本にも戦争画がないわけではない。しかし、国内の戦争は、大坂夏の陣以降、大きな争いはなく、戦争画の伝統はそこで途絶えたといえるだろう。

 

明治期に入り、西洋文化の一つとして、西洋絵画を貪欲に吸収した日本の画家にとって、戦争画は埋められていなかったピースだったいえる。藤田は、軍医を父にもち、親戚に軍関係者が多いため、国に協力することには積極的だったということも解説されていた。藤田は、軍の依頼としても、個人の思いとしても、国威発揚は意識していただろうが、日中戦争、第二次世界大戦を舞台に、西洋絵画史に残る偉大な作品を描こうとしたことは間違いないだろう。そもそもダ・ヴィンチにせよ、ミケランジェロにせよ、戦争画は勝者として歴史を描くものであり、国威発揚は戦争画の前提になっている。

 

それが戦後に世論が大転換し、戦争犯罪者のように扱われたのは藤田にとって不本意だっただろう。また、日本において、長らく戦争画はそのような、芸術家の過ちや、反戦の材料としてしか見られることはなかった。しかし、少なくとも芸術の観点から見ると西洋画の重要な題材である戦争画の歴史として、藤田らの戦争画を見ないと、本質を見誤る可能性がある。

 

当然、戦争を奨励するような芸術は今後あるべきではないが、少なくとも芸術の歴史では、宗教画が描かれる一方で、歴史画として戦争画も描かれてきた。ダ・ヴィンチやミエラジェロ、ラファエロの戦争画がよくて、藤田の戦争画が駄目だというのは、あくまで現在の価値観でみるからにすぎない。

 

藤田は正当な西洋画家として、戦争画の歴史の系譜に連なろうとしたが、皮肉にも西洋諸国との戦いに負けて罪人のように扱われた。まさに、近代の捻じれに翻弄された画家だといってよいだろう。藤田の宿命は、時代背景から考えると必然だと考えた方がよい。はたして藤田嗣治の抱えてきた矛盾を、我々は解消できたのだろうか?我々もまた、捻じれた歴史の途上にいるのかもしれない。

 

藤田は洗礼を受けてレオナール・フジタとなったが、レオナルド(イタリア語読み)の系譜に連なることはできたのだろうか?あるいは、日本人、藤田嗣治と分裂したままだったのだろうか?

 

参考文献

 

美術手帖 2015年 09月号

美術手帖 2015年 09月号