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ビジュアルレビューマガジン

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見ても見えない秘密「パウル・クレー|だれにもないしょ。」展 三木学

展評 アート

兵庫県立美術館「パウル・クレー | だれにも ないしょ。」展

www.fashion-press.net

 

パウル・クレーほど世界のインテリに愛されているアーティストもいないだろう。ヴァルター・ベンヤミンがクレーの天使の絵を終生、持っていたのは有名である。日本では、シュルレアリストであり、デュシャンやアンドレ・ブルトンと交流し、多くの海外のアーティストを紹介してきた美術評論家の滝口修造に始まり、多くの批評家を魅了してきた。クレーには知性と感性の両方をくすぐる何かがある。

 

その魅力はズバリ何かと言われたら、わからないことだろう。様々な角度で分析してもクレーを理解したことにはならない。もちろん、断片的に言えることはあるかもしれないが、総合的にいえば、クレーの絵画の魅力を完全に理解するのは不可能だろう。

 

クレー自身いろいろなウィットに富んだ謎かけをしている場合もあるし、本人もはっきりわかっていないこともあるだろう。それらを含めて、「だれにもないしょ」というわけだが、タイトルとは裏腹に、展覧会では過剰なまでに雄弁にわかっていることを解説している。

 

クレーの絵画を年代別ではなく、6つの章に分類して展示しており、それらに対して細かく解説がなされている。1章「何のたとえ?」、2章「多声楽(ポリフォニー)―複数であること」、3章「デモーニッシュな童話劇」、4章「透明な迷路、解かれる格子」、5章「中間世界の子どもたち」、6章「愚か者の助力」である。

 

解説が雄弁すぎて直感的な印象よりも、主催者の強い解釈の枠にはめ込まれそうで面くらったくらいだ。それもそのはず、展覧会が開催される宇都宮美術館の学芸員と、兵庫県立美術館の学芸員と緊密に連携しながら、パウル・クレー・センターの研究部門の部長ミヒャエル・バウムガルトナーが選定し、企画・構成に協力したという。また、日本人のパウル・クレー研究者として、パウル・クレー・センター研究員と、チューリッヒ大学美術史研究所の研究員も協力している。

 

通常、展覧会をみる場合、あまり主催者の解釈に左右されたくないので、最初は解説パネルの類は読まないのだが、今回は6章の構成が強く、章別の解説、個別の作品の解説を思わず読んでしまった。

 

とは言え、読んでもなお残る謎は多い。特に輪郭線を強調する線画、輪郭線を超える点描、色面のコンポジション、吹き付けたような色のにじみ、空想と現実の境…。見ていてもわからないことばかりである。わかるのは魅力的であることだけだ。

 

クレーと言えば、カンディンスキーと同様に、音楽からの影響を絵画に描いたことでも知られている。カンディンスキーは、共感覚者であったかどうか議論がある(ジョン・ハリソンによると、なかったとされている)。クレーについては、共感覚者であったかどうかという議論さえない。しかし、楽曲のイメージが画面上に散りばめられたカンディンスキーの絵画より、クレーははるかに構成的であり、図形楽譜に近い要素を持っている。クレーの絵画を元にある程度、楽曲を構成することは可能かもしれない。

 

色彩感覚は独特であるが、線の方が目立ち、色彩の画家というには難しいだろう。しかし、画面上に色を微妙に変えていく点描を施したり、砂を混ぜることで、色彩と質感の微妙な表現をする技法も突出している。何が特別に優れていてというわけではなく、すべてが同程度に優れていて併置されている印象である。

 

解説の中にクレーの文章が引用されている。

「ポリフォニー絵画は、音楽より優れている。そこでは時間的なものはむしろ空間的であるからなのだ。同時性という概念が、ここでははるかに豊かに表れている」


つまり、音楽のポリフォニーは、一見(一聴?)複数の要素が並列に展開されているようであるが、時間軸によって段階的に展開されるため、一瞬ではそれが把握できない。しかし、絵画であるならば、複数の要素を一つの画面に入れることができ、同時に表すことが可能である、という意味だろう。

 

このような音楽的エッセンスを絵画に構成的に展開できるのは、カンディンスキーよりもはるかに、高度な音楽的訓練をしているからかもしれない。だからといって、理知的過ぎるかといわれればそうでもない。知覚的であり直感的にも優れている。この辺のバランスが絶妙なことが多くの人々を魅了する要素だといえるだろう。

 

クレーに、感情に訴える力を持ちながらも、構造を見れば数理的とさえいえる音楽の影響がどこまであったかはわからないが、理性と感性を同じレベルで働かせることができたのだろう。さらに、空想と現実のバランスも同程度であったかもしれない。

 

それを絵画という同一平面で見せられたとき、幾つもの異なる要素が同時に入ってくるため、理解できなくなるのだろう。秘密は見えている。しかし、我々が捉えきれないのだ。もちろん、隠喩のようなものが込めらている可能性があるが、本質的なものはそのような裏のメッセージのようなものではないだろう。表面にありながら、把握できないことこそ、クレーの秘密だといえるのではないだろうか。どれだけクレーの分析が進んでも、我々はクレーに魅了されることになるだろう。同じ音量で複数の楽器を鳴らされたら、聞き取ることは土台不可能なのだ。