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ビジュアルレビューマガジン

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琳派-描かれなかったもの・受け継がれなかったもの「風神雷神図屏風」三木学

 

京都 琳派をめぐる旅 (京都を愉しむ)

京都 琳派をめぐる旅 (京都を愉しむ)

 

 

rinpa.exhn.jp

11月23日(月・祝)まで。京都国立博物館・平成知新館

 

「琳派 京を彩る」展で、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一が描いた3作の「風神雷神図屏風」を見たことは以前書いた。時代が連続しておらず、師弟関係なく、流派や派閥として継承された技法もない琳派にとって、「風神雷神図屏風」の模写は、精神的なつながりを示すシンボリックな意味を持つ。

 

「風神雷神図屏風」が3作揃うのは、前回は東京帝室博物館特別展覧会の1903(明治36)年であり、112年前のことになる。まるで約100年ごとに発掘・再評価される琳派のようである。次回、揃うのは100年後かどうかはわからないが、いつみられるか保証はない。
※2008年に東京国立博物館平成館 特別展示室で、尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」展が開催されており、その際は鈴木其一も含む4作が一堂に展示されていたので訂正いたします。

東京国立博物館 - 展示 日本の考古・特別展(平成館) 尾形光琳生誕350周年記念「大琳派展-継承と変奏-」

 

それでこの機会を逃すまいと朝一で60分待ちを並んで、大混雑の中見たのだった。正面に俵屋宗達、右面に尾形光琳、左面に酒井抱一の「風神雷神図屏風」が並んでいた。一望すると一目瞭然、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が持っているオーラが全然違う。残念ながら、光琳と抱一は、小手先の工夫、模写の域を出ているとは思えなかった。そういう実感を持っていたのだが、今日「歴史秘話ヒストリア」で尾形光琳が特集されており、「風神雷神図屏風」を模写するにあたり、自分の実力との差に絶望している様子が描かれていた。番組に出ていた日本美術史家の河野元昭は、「格が違う」と表現していたがまさにその通りだと感じた。

 

なぜ「格が違う」と感じたのか?理由はいろいろある。俵屋宗達の絵は、経年劣化が原因かもしれないが、金箔と風神・雷神が上手く溶けていて、そこから浮かび上がっているように見える。この世ならざるものが、光とともに現れていると感じることができる。それに比べて、光琳や抱一の模写は、風神・雷神が主役として描かれており、画材の進化もあって全体的に彩度が高く、金箔から乖離しているように見える。金箔はあくまで金地という、地に過ぎない。光琳、抱一の物足らなさ、オーラの無さは、宗達が描いたものが描かれていないからだろうと直感的に感じた。

 

俵屋宗達は本当は何を描きたかったのだろうか?風神・雷神のモデルは、「北野天神縁起絵巻」などから参照されたという説があるが、個人的には三十三間堂の風神・雷神像だと考えている。

北野天神縁起絵巻 甲巻 - e国宝

菅原伝授手習鑑|文化デジタルライブラリー

 

三十三間堂の手前の両端にある風神・雷神像の奥には、二十八部衆と千体の千手観音立像と中央に大きな千手観音坐像がある。つまり、金箔の部分は、地ではなく、千手観音の後光の光で見えなくなっている状態であり、それこそが図であり、主役なのである。だから、宗達の「風神雷神図屏風」には、千手観音は直接的には描かれていないが、確かに表現されているといえる。そうでなければ、中央の大きな金地の余白、金地と溶け合うように出現する風神・雷神は説明がつかない。宗達の屏風から醸し出されるオーラは、千手観音が放つ後光を意識していることに起因していると思う。

蓮華王院 三十三間堂

 

そもそも当時の町衆は法華経信者が多い。光悦も熱心な法華経信者であり、光悦村にいる職人ほとんどが法華経信者だっただろう。もちろん宗達もそうだった可能性が高い。展覧会では、光悦が書いた、日蓮の主著である「立正安国論」の模写も展示されていた。個人的には光悦の書では一番感銘を受けた作品だった。法華宗では、名前の通り、法華経を根本経典とする。法華経は釈迦が最後に説いた教えと位置付けられていることもあり、経王と言われている。

 

三十三間堂の正式名称は、蓮華王院であり、法華経の世界観を現したものである。宗達がそれを意識していないとは考えにくい。京都府の職員と琳派400年記念祭のことで話していたとき、そのことを話していたら、京都の僧侶は「風神雷神図屏風」の金箔は、だいたい観音菩薩の後光と捉えていると言っていた。仏教に親しい京都の僧侶にしたら当たり前の話なのかもしれない。

 

残念ながら、光悦・宗達から約100年後の光琳や、さらに約100年後の抱一には、そのような理解がベースになかった可能性はある。表面的に意匠だけ模写をしても、宗達の意図を理解することは不可能だろう。描くことなしに、描いているわけだから。

 

だから、3作の「風神雷神図屏風」を見て思ったのは、受け継がれたものではなく、逆に受け継がれなかったものの方が際立つということだった。もちろん、宗達の描いた意匠的、様式的な要素を、光琳が咀嚼したことは大きい。しかし、それはやはり表面的なものの域を出ていないのではないかと思えた。逆に、表面的な装飾性や様式性が新たな価値や伝統を生んでいるといえかもしれない。

 

今日、デザインの観点から、琳派を解釈する動きがあるが、それが表面的な引用やオマージュに終わるのなら、劣化コピーにしかならない可能性が高い。光悦・宗達をもう一度参照するのなら、描かれなかったものこそに、本当の意図があると考えた方がよい。余白は存在しないのではない。目に見えてるものより大きなものが存在しているのだ。

 

※追記

宗達の「風神雷神図屏風」を元に、光琳は宗達の金に対比させ、中央に銀を使った「紅白梅図屏風」 、抱一は光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に、対となるよう地の「夏秋草図屏風」を描いて、それぞれの作風の最高傑作を完成させた。そこにはすでに優劣はなく、受け継がれた美意識と様式はあるといえる。ここでは宗教性をあえて取り上げた。

 

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