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ビジュアルレビューマガジン

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鉄道と映像が結像する空間「ホンマタカシプロデュース もう一つの電車」展 三木学

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展覧会場に設置された京阪電車の等身大模型。

 

artarea-b1.jp


近年、各地で芸術祭やアート・イベントが開催されており、特に美術館ではない会場が使用されているケースも多く、それらを網羅することが難しくなってきている。目の肥えたアートファンでも、今何をやっていて何が面白いかをチェックするのは至難の技だろう。しかし、もっと問題なのは、それが面白かったかどうかさえ、レビューが残っていないことだ。レビューがなければ、それが存在したかどうかも大量の情報に埋もれて忘れ去られてしまう。

 

展覧会に関して、ツイッターなどのコメントはあったとしても、評価を決定するまともなレビューは数少ない。Amazonのレビューによって購買を決定することが多いことと比べれば(Amazonではレビュー自体が評価される)、新聞社や放送局が主催するような大規模巡回展を除けば、オンライン上で確認できるレビューは極めて少ないといえる。もし展覧会に動員すればアフィリエイトのように還元される仕掛けがあれば改善する可能性があるかもしれない。ネットとの接続は今後の課題だろう。レビューがないために、いまいち自分が関心があるかわからず、行かなかった展覧会はかなり多いだろう。

 

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今回、アートエリアB1で開催されている、「鉄道芸術祭vol.5 ホンマタカシプロデュース もう一つの電車~alternative train」展は、写真家、ホンマタカシの企画や参加アーティストの作品、イベント内容ともに非常にエッジが利いていて見応えがある。この展覧会も、情報を見て面白そうだとは思っていたが、レビューがないため実態がわからず、危うく見逃すところだった。

 

アートエリアB1という場所自体が、京阪電鉄なにわ橋駅の地下2階のホームと地上入口の中間地点の地下1階のコンコースにある。動線上にできた踊り場のようになっており、通常は鉄道を利用するために行きかう人々が横目で見ていくような場所である。つまり、物理空間においても見逃される可能性を秘めた場所だといえるが、立ち寄ったときの発見は思いのほか大きい。

 

アートエリアB1は、京阪電鉄中之島線が建設中の2006年から、大阪大学NPO法人ダンスボックス、京阪電鉄の協同事業として立ち上がった経緯があり、現在はアートエリアB1自体で法人格がとられいるが、現在でも三者の共同企画・制作によって展覧会やイベントが開催されている。つまり、場所も主催団体も通行路における踊り場、交差路、広場のようなものであり、存在自体がコンコース的といえるのだ。逆に言えば、アートエリアB1はコンコース的存在の可能性を引きだそうとしている。

 

鉄道芸術祭自体は、毎年、秋に開催されており今年で五回目となる。以前、著名な編集者の松岡正剛さんがプロデュースした際に見に行ったことがあるが、内容はもりだくさんで、展覧会、パフォーマンス、トークショーなど、約2か月間にわたり様々なイベントが開催されていた。それぞれ興味深いのだが、それだけにいつ行くのがいいか迷っている間に多くが過ぎてしまうという印象があった。

 

今回は、並行的に大阪大学コミュニケーションデザインセンターの企画で開催しているレクチャー&対話プログラム「ラボカフェ」で港千尋さんのトークがあったので足を運ぶことになり、鉄道芸術祭も企画をしている大阪大学コミュニケーションデザインセンターの木ノ下智恵子さんに展覧会やイベントの解説をしてもらうことができた。

 

話を聞くと内容は非常に挑戦的で面白く、それを実現するために丹念に時間をかけて制作されていた。松岡正剛さんの回もそうだったが、京阪沿線のリサーチを事前に行い、それを展覧会やイベントに反映するプログラムになっている。しかし、近年の現代アートにも多いが、地域のリサーチを元に作品制作をする場合、地域の特色に引っ張られすぎて、素人の行う民俗学、人類学の研究発表のようになってしまうケースがある。やはり、展示として見せるからには、展覧会やアートとしての完成度が求められる。その点、松岡正剛さんは、リサーチから得た情報を上手く編集して空間に見せることに長けていたし、ホンマタカシさんに関しても、写真家ということもあり、写真が調査と撮影が切っても切れない関係であることもあって、上手く展開されていた。ホンマタカシさんは、かつてアトリエワンとの仕事もしているので、都市分析に関しても深い知見を持っているだろう。

 

特に際立ったのは、写真家のホンマタカシさんならではの視点で、近代の技術として発達した、鉄道と写真、あるいは映像史の親密な関係を、読み解くように展開していたことだろう。「もうひとつの電車」が表わすものは、日常において見過ごされてきた視点といってよいが、同時に写真であり映像そのものといっても過言ではないだろう。鉄道が人間にもたらした動画的で、パノラマ的な視線や知覚といってもいいかもしれない。展覧会のマニフェストのように、会場入り口には、リミュエール兄弟の最初期の映画『ラ・シオタに到着する列車』と、小津安二郎の映画に登場する鉄道シーンが流されている。鉄道はまさに映像とともに始まり、進化したことを端的に示している。

 

そして、なんといっても展覧会の目玉は、「光善寺駅カメラオブスキュラ」である。カメラオブキュラは、ラテン語で「暗い部屋」を意味し、現在のカメラにも通じる根本的な原理として古くから知られていた。文字通り部屋を真っ暗にして、小さな真円を開けると、差し込んだ外の光が、逆側の壁に上下逆転した円形の映像を映す。ピンホールカメラの原理でもあり、芸術の世界でもダ・ヴィンチフェルメールが利用していた、など様々な逸話がある。

 

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光善寺カメラオブスキュラに投影された映像を印画紙に焼き付けたホンマタカシさんの巨大写真作品。

 

今回は京阪電鉄光善寺駅内にカメラオブスキュラを制作し、そこに映る線路などの風景を、ホンマタカシさんがほぼ等身大のサイズの印画紙に焼き付けて展示している。会期中にはツアーが行われており、実際のカメラオブスキュラの中に入ることも可能だ。あたり前の話だが、カメラオブスキュラに映る映像は、動画であって静止画ではない。外の風景が倒立しているだけである。電車が通ったり、踏切を車や人が通るたびにそのことに改めて気づかされることになる。

 

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光善寺カメラオブスキュラを撮影したホンマタカシさんの映像作品《列車の到着 by カメラオブスキュラ》。

 

ホンマタカシさんは写真だけではなく、光善寺カメラオブスキュラの投影された映像を撮影した作品《列車の到着 by カメラオブスキュラ》をプロジェクターで上映することでその事実を示している。そこではカメラという装置がはその起源において、動画であったことが印象づけられるだろう。そして、映画がその起源において、動くものとして列車を撮ったことも無関係ではない。映像史において、象徴的な被写体が鉄道であるといえる。

 

現在のデジタルカメラも、ビデオカメラの装置が多数使われており、ビデオカメラがスチールカメラの歴史を塗り替えているといってもいい。また、人々が写真の次に映画と思っている技術史は、カメラオブスキュラの起源まで遡れば、逆である。それは我々の世界が動いている以上、当たり前の話かもしれないが、近代史に染まっている我々にとっては案外気づいていないものである。

 

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「車窓」から見えるホンマタカシさんの作品。

 

そのほか、会場にはドットアーキテクツによって、等身大の車両の空間が木造で作られ、ホンマタカシさんが京阪沿線の三箇所をピンホールカメラで撮影した写真を、「車窓」から見ることができる。さらに、同じ車両の空間に、音楽家の蓮沼執太が、ホンマタカシさんが撮影した場所をめぐり、環境音を採取して、加工した音響作品《Sound In Obxcura》を流している。

 

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京阪沿線の宿り木を調査した写真、ブックレット、模型による黒田益朗のインスタレーション

 

その他、グラフィックデザイナーの黒田益朗は、ライフワークという宿り木の調査を京阪沿線で行い、宿り木の集積地にになっている中書島駅宇治駅、城南駅の宿り木を撮影、ブックレットにまとめている。さらに、宿り木の模型のインスタレーションも制作していた。本業がグラフィックデザイナーだけあって、宿り木のブックレットは、市販されていたとしても、十分なクオリティの作品になっている。

 

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PUGMENTの電車で寝ている人の服を撮影して、パジャマにインクジェットプリントし、さらにそのパジャマを着て電車で寝てもらうパフォーマスを撮影したインスタレーション

 

ファッションブランドのPUGMENTは、電車の中の行動観察をした上で、眠る人々に着目し、服の写真を撮影して、それをパジャマの型紙にデジタルプリントした作品を制作し、京阪電車車両内の実際の椅子とともにインスタレーションしている。さらに、モデルにそれを着て電車内で寝てもらうというパフォーマンスを撮影し、電車で寝る服こそがパジャマである、という逆転した定義を実行している。それは「寝る」ことも可能な公共空間と私的空間の中間領域にある電車の存在を可視化している。

 

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音漏れを音源にして踊る小山友也の映像作品。

 

アーティストの小山友也のパフォーマンス映像も、電車や街における、公共空間や私的空間の境界を問うている。そういうと大上段な書き方になるが、映像作品はバカ受けである。要するに、ヘッドフォンやイヤホンをして音楽を聴いてる人からの音漏れに合わせてダンスをするのだ。それを記録しているのだが、音漏れをしている人は途中でその存在には気づくもののまさか自分の音漏れと関係しているとは思わず、気持ち悪そうな顔をして去っていくし、それを見ている周囲の人は見て見ぬふりである。電車内でスマートフォンに没入する人は、歩きスマホに比べて、害は少ないかもしれないが、音漏れは明らかに公共空間に私的空間が侵入している。その中間領域を踊ることで示している。

 

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電車やホームを人々を見て抱く妄想のドローイング、街の集積物から制作した鉄道模型、グラフィティーからなるNAZEのインスタレーション

 

アーティストのNAZEは、移動中の電車での観察を元にした妄想を、ドローイングやゴミを集積したような鉄道模型、グラフィティによって表現し、不特定多数が出入りする電車の見えないイメージ空間を可視化している。

 

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街中の隙間の空間を使って、ブランコをするパフォーマンスを撮影したティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフの映像作品。

 

ベルリンを拠点とするマティアス・ヴェルムカミーシャ・ラインカウフの《蛍光オレンジの牛》も最高に面白い。電車のトンネルの中や高架橋の下など、街中の隙間を使って、延々とブランコをするパフォーマンスを撮影した映像作品である。振り子のように、行きつ戻りつする人の体と、動いていく都市の光景のコントラストが、まさにシュールで笑ってしまう。街や電脳空間に置き去りにされた身体を回復しようとしているといるかもしれない。

 

鉄道と写真、映像の起源に遡りながら、複数の視点で一つの空間に表す展覧会としては秀逸だといえるし、関連イベントも魅力的である。またそれは鑑賞者が身体を投入することによって初めて結像するような仕掛けになっている。ぱっとみてわからなくて通り過ぎる可能性があるかもしれないが、是非少し滞留して、この中間領域を楽しんでほしい。

 

 

会場写真と港千尋さんのトークについては後日掲載する…予定。