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展覧会をどう読むか?「美術館と本」三木学

 

 

展覧会と本は構造的に似ているところが多い。その証拠に、大きな展覧会には必ず図録があり、図録の構成は展覧会の構造と類似している。物体や音楽は図録には掲載できないが、出品作品は画像として、展覧会に掲示している解説文はそのまま掲載できる。

 

必然的に展覧会を企画する場合、図録も同時進行で考えることができるだろう。展覧会は一定の期間しか開催されないので、どちらが多くの鑑賞者を獲得するか、という観点に立てば、図録の方かもしれない。最近では、市販流通されることもあるので、どのような展覧会だったか後から追うことができる。それは会期終了3か月後の読者かもしれないし、会期終了10年後の読者かもしれず、研究対象としても残り続けるのだ。

 

それはともあれ、展覧会と本が似ているとしたら、その見方、読み方も似ているといえる。個人的に本を読むとき、小説のようなリニアな構造をしていない限り、全体を流し読みしてから、重要そうなところを重点的に読む。どちらにせよ、著者の考えていることと、自分の知識では開きがあるので、はじめから全部を理解することは不可能である。

 

しかし、小説のようにリニアに読んで、わからないところで留まって、本がなかなか読み終わらないという生真面目な人がいる。これは展覧会にもいえて、展覧会の主催者の意図通りに、最初から生真面目に見ていく人も多い。だから、人気の展覧会では渋滞が起こるのだが、たくさんの展覧会を見ている人は、最初に全部見通してから、展覧会の全貌を把握した上で、重要な作品を重点的に見直すことが多いだろう。

 

このような動きをするにあたって、美術館の構造というのは大変重要になる。なぜなら、最初から最期まで見渡してから、順路を引き返して、さらに見ていくので、フロアが複数にまたがっていると上下移動を繰り返さないといけなくなり、非常に疲れる。

 

最近、展示スペースを確保するためか、複数の階層の美術館が多く、その場合、最初に最上階に階段かエレベーターで昇り、そこからフロアを一層ずつ降りていくように設計されている。このような造りは、何度も往復する人間にしたらはなはだ迷惑だし、建築家が展覧会を見るという、人間の振るまいをわかっていないのではないかと文句が言いたくなる。みんなが最上階まで行って、順路通りに見て、フロアを一層ずつ降りて、一階まで行って帰ってくれると信じているのだろうか?

 

もちろん、敷地が広かったこともあるが、戦前の美術館・博物館は両翼がついており、縦移動ではなく、横移動のため、引き返したりしやすくありがたい存在である。しかし、最近の美術館はそのようなフラットな構造はめったにお目にかかれない。

 

そういう意味でも、金沢21世紀美術館は、メインフロアは1階で、円形の美術館になっており、引き返したりしても負荷がかからず心地よくみれる画期的な造りだろう。大阪の国立国際美術館は地下にある美術館で、洪水や湿気など問題を考えると、問題が多いといえるかもしれないが、エレベーターで地下3Fまでいって、メインの展覧会はほぼワンフロアで見られるという構造になっており、嫌いな造りではない。

 

どこ、とは特定しないが、本当に展覧会をみる人間の行動を把握しているのかと疑いたくなる美術館は多い。美術館は百貨店やデパートではない。高率的に上まで上げて、下までリニアに下ろせばいい、という単純な動線設計をするなら、是非考え直してもらいたい。そのような造りを見れば、展覧会を見ることに慣れてない建築家なのだな、とこちらは捉えてしまう。そして、本もまたリニアに読んでいるのかもしれない。美術館も本もリニアに見て欲しいのは、建築家や著者の希望であって、鑑賞者や読者の認知とはまったく違うということを認識すべきだろう。