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今アーカイブを考える「NAMURA ART MEETING アーカイブルーム」三木学

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クリエイティブセンター大阪(名村造船所跡地)

 CCO クリエイティブセンター大阪

 

今、アーカイブという言葉は氾濫しているが、何をもってアーカイブとするのか、その定義はいまいち明確ではない。元来は公記録保管所、公文書館という意味なのだが、デジタル化が進んだ2000年以降は、大量に保存しているデータもアーカイブと言われることが多い。公文書とまで言わなくても、図録や商業出版、あるいはパンフレットやフリーペーパーなどに編集されていたら、アーカイブとして成立するかもしれない。また、ネット上にアクセス可能なウェブサイトとして構築されていてもアーカイブといえるだろう。つまり、パブリックかどうか、というのはアーカイブとして成立する一つの線引きになるだろう。近年、アメリカやヨーロッパの美術館、博物館では大規模アーカイブサイトが続々公開されているが、日本ではまだまだ少ないのが実状である。

 

それとは異なり、今多くのNPOや社団法人などの非営利団体(個人や任意団体にもえいるが)が保有しているのは、未編集のアーカイブである。それはアーカイブとは言わず、アーカイブ未満といっていいかもしれない。しかし、デジタルカメラやデジタルビデオの登場で、等比級数的に増加する未編集のアーカイブがどんどん溜まっていく状態になっている。2005年頃からデジタルカメラやビデオでの記録は一般的になり、2010年度ではフィルムカメラより圧倒的にデジタルでの記録が主流になっているだろう。

 

デジタルが主流になったことで、誰もがある程度品質の高い写真を撮影できるようになると同時に、データが大量に溜まることになった。しかし、それをどのように編集するか、ということは想定していないことが多い。想定していない場合は、データの扱いに後で(誰かが)苦悶することになる。団体によっては、人が交代することもあるため、もはや大量のデータが誰が撮影したのか、どのような内容なのか判別するのも難しい。もっと酷い場合は、メディアの新陳代謝によって、閲覧すらできなくなるケースも出てきている。

 

僕がアーカイブというものと付き合うことになったのは2000年代であるが、その頃は、本やフィルムなどの、物質があった上で、物質の劣化を防ぐために、複製としてのデジタルアーカイブを構築するという趣旨であり、同時に、ウェブを介して、多くの人が閲覧や、貸出を可能にするという状況だった。つまり元データは物質だったのだ。その頃は、デジタルになれば、劣化しないという幻想すらあった。しかしそれはまったくの誤解であることはすでに多くの人が理解しているだろう。

 

今は全く様相は異なっている。デジタルデータが元データになっており、それらを維持管理するノウハウはまだスタンダードなものはない。メディアはどんどん変わっているし、ハードディスクもどこかで壊れてしまう。また、クラウド上でも永続的にアクセスが保証されているわけではない。データが多くなればなるほど、テラやもっとその上の莫大なデータのバックアップをし続けなければならない。劣化しないどころか、一瞬にしてデータは痕跡もなく消失するし、それを維持するためには莫大なお金がかかるのだ。その意味でははるかに物質の方が手間がかからない。国や地方自治体の単位ならまだしも、小さな団体でそれが可能な経費や人材がいるところは現状ほとんどないといっていいだろう。我々はそういうまったく未知の状況を迎えている。

 

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名村造船所跡地

 

前置きは長くなったが、大阪、北加賀屋の木津川河口沿岸にある名村造船所跡地において、2004年から2034年まで、30年間継続する長期間のアートプロジェクトとして、「NAMURA ART MEETING」というものがある。千島土地株式会社が保有していた名村造船所跡地を、アートを介して、創造する場に変換していく壮大な社会実験である。木津川河口域は、大阪のみならず日本の近代産業を支えてきたエリアだが、産業構造の変化により空白地が増えていた。

 NAMURA ART MEETING '04-'34 趣旨


現在、名村造船所跡地は、クリエティブセンター大阪(CCO)となり、その運営はおおさか千島財団に引き継がれ、様々なアートプロジェクトを場所と資金面からサポートしている。おおさか千島創造財団は、北加賀屋一帯を、クリエイティブビレッジにする構想を打ち立てており、ファブラボや農園、巨大アート作品の収蔵庫MASKなど、様々な活動が行われている。関西の著名アーティストのほとんどがその恩恵にあずっているといえ、日本の現代アート界でも台風の目のような場所になっている。「NAMURA ART MEETING」は、名村造船所跡地を中心とした北加賀屋が、新たな創造の場へと変わる起点になったことは間違いない。

 

「NAMURA ART MEETING」もすでに、2004年から始まり10年が過ぎた。様々なアートに関わる人々が集まり、展覧会やライブ、トークショーを介して、対話や出来事を起こす集まり(ミーティング)も6回開催され、錚錚たるメンバーが名村造船所跡地を訪れている。第一回目の「NAMURA ART MEETING」では、橋爪紳也(建築史家)、服部滋樹("graf"代表)、甲斐賢治(NPO remo/NPO recip 理事)、松本雄吉(「維新派」主宰)、五十嵐太郎(建築批評家)、浅田彰(批評家)、岡崎乾二郎(美術家・美術評論家)、TEI TOWA 、高谷史郎(DUMB TYPE)などが集まり、36時間連続のイベントに参加した。それはすでに歴史になりつつある。

 

その記録写真や記録映像、テキストデータなどの「アーカイブ」だけでも膨大なものになっており、次の20年を考えるにあたって、アーカイブいかに利活用していくか、発信していくかという課題を考える時期に来ている。どのようなアーカイブを作るかは、それ自体がメッセージであり、その体系は何を歴史に残していきたいかという意志に基づく。

 

我々はアーカイブという言葉を、凍結したような固定したイメージを持ちがちだが、日々アーカイブは増えていくし、人々が参照する動的なものである。だから、アーカイブは常に進行形といえるが、公的になった状態をアーカイブとすると、一方で、いかに公的にしていったかというプロセスも重要である。そのためには、アーカイブを作ると同時に、作る段階で何があったかということを、記述していかないと、アーカイブ自体の歴史的意義は誰にも伝わらない。

 

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アーカイブルーム予定地

 

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左:甲斐賢治さん 右:樋口貞幸さん

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家成俊勝さん

 

今回、「NAMURA ART MEETING」では、次の20年に向けて、新たにアーカイブを元にした創造の実践に加え、その基盤となる空間を作ることになった。物理的なアーカイブルームとして、過去の情報を閲覧できるような空間を作ることを検討している。僕も及ばずながら、その空間の情報編集に参加することになった。

 

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右から、大島賛都さん、甲斐賢治さん、木ノ下智恵子さん、家成俊勝さん

 

先日、アーカイブルームを作るにあたり、「NAMURA ART MEETING」の実行委員の大島賛都さん(関西・大阪21世紀協会チーフプロデューサー/学芸員)、甲斐賢治さん(せんだいメディアテーク企画・活動支援室室長)、木ノ下智恵子さん(大阪大学コミュニケーションデザインセンター)、事務局の樋口貞幸さん(アートNPOリンク)、そして、空間設計を担当する家成俊勝さん(ドットアーキテクツ)とミーティングを行った。甲斐さんは、せんだいメディアテークでアーカイブに取り組むプロフェッショナルであるし、実行委員の方々もそれぞれの分野で活躍しているが、アーカイブのデジタル及び物理空間の設計はなかなか難しい。

 

空間的にも、権利的にも、予算的にも、すべてを残し、公開することはできない。何を伝えるか、という観点に基づいて、見せる情報と収納する情報をより分け、体系化する必要がある。ミーティングでもその体系化について侃侃諤諤の議論になった。ただ、先に書いたように、情報の整理や取捨選択をした後に、それを公開するよりも、この葛藤自体を出来る限り、公開した方が同じ悩みを持つ人々の役に立つ可能性は高い。今やアーカイブを作るプロセスこそが、重要な価値を持つアーカイブとなり得るのだ。ポスト・インターネット、ポスト・デジタル時代において、膨大なデジタルデータをどのように扱っていくは誰も答えを知らない。しかも、その団体や個人によって、内容や規模、予算、人材が異なるので、それぞれのあり方を模索しなければならない。

 

「アーカイブを考えること」は、インターネット、デジタルデータが一般的になったこの15年によって浮上してきた課題だろう。そのあり方を試行錯誤し、記述していくことが、次のアーカイブの歴史を作っていくだろう。このトピックについては、継続的に記述していきたい。NAMURA ART MEETINGはそれ自体が歴史となっていくことで、NAMURA  ARCHIVE MEETINGというもう一つの要素が加わったといえるだろう。