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ビジュアルレビューマガジン

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プロとアマの境界とデザインの対価「東京オリンピックとデザインの行方(15)」三木学

www.itmedia.co.jp

前回の東京五輪エンブレムが白紙撤回された後、日本では前代未聞の国民参加のデザインコンペが行われ、1万件以上の募集が集まった。今後もこの規模以上のコンペが開催されるのは、なかなか無いかもしれない。

エンブレム選考特設ページ #東京2020エンブレム>>TOKYO 2020

 

その中で以前から懸念してた、著作権の無償譲渡契約、著作者人格権の非行使契約と、それに対する対価の破格の低さについて、100年の歴史を持つプロのグラフィックデザイナーの協会、AIGA(米)のエグゼクティブ・ディレクターRichard Greféから、キャリアのあるプロデザイナーも含めた公募コンペの反対とそれらの条件について再考を促す、公開書簡がウェブサイト上で発表されたことが話題になっている。

 

実は第一回目のコンペでも、プロデザイナーの公募コンペであり、譲渡契約の対価は100万円(税込)であった。だから、本来で言えば、その時点で国内外のデザイナーからの反論があってもよかっただろう。しかし、それはなかった。おそらく、エンブレムが入選し採用されれば、オリンピック・パラリンピックに関する様々なビジュアル・アイデンティティ(VI)の設計は、当選したデザイナーが請け負うことになったことは予想される。だから、エンブレム以降の仕事でそれに見合う報酬を受け取ることが可能であるという暗黙の了解があったのではないかと思う。だから、「展開力」という言葉がある種の暗号のように使われたのだろう。

 

しかし、盗用疑惑のはてに白紙撤回されたために、公募条件は変わらないどころか、盗用し損害を与えた場合には、賠償責任を負うこともかなり強く明示される厳しい条件となり、責任は重く、対価は低い、しかも競争者は多いというプロにとっては異常にハイリスクなコンペになったことは間違いない。

 

しかし、今回プロのデザイナーが、入選しなければ、さらにプロのデザイナーの仕事は軽んじられるようになるだろう。だから、ここで勝たないと未来はないの確かである。一方で、一連の騒動をプロのデザイナーが招いたため、対価に対するアンフェアな条件について、誰も意見できなくなっていたかもしれない。そういう意味では、アメリカのデザイン協会からの提言は救いだったかもしれない。同じ趣旨のことは、東京在住の外国人デザイナーからも指摘がされていた。

なぜ東京オリンピックのビジュアルアイデンティティーを真剣に考える必要があるのか — Medium

 

つまり、オリンピック委員会、組織委員会は、エンブレムのライセンスに対して、ロイヤリティで破格な利益を企業から得るにもかかわらず、デザイナーには100万円と開会式への招待、そして名誉以上の対価がないことに対して、デザイナーと言う職業への軽視であるという指摘である。そして、それは安上がりにたくさんのデザイン案を見ていいのものを判断したい、というクラウドソーシングの負の側面を大々的に示すことになりかねない、ということである。

 

ロンドンオリンピック・パラリンピックのエンブレムの対価が、62万5000ドル(約4890万円当時)だったことはすでに指摘されているが、少なくもこれだけの責任と負担を強いるならば、正当な対価として5000万円程度は妥当であろう。

あのロゴ、このロゴ、お値段はいくら? : ギズモード・ジャパン

 

本来のボタンの掛け違えは、第一回目のコンペにあり、そこで入選したプロが正当な対価をもらい、総合的なビジュアル・アイデンティティ(VI)の設計をすれば何の問題もなかった。しかし、プロがプロたるゆえんを、1回目のコンペで大きく失墜させてしまったがゆえに、現在に至っている。そこはアメリカのデザイン協会も指摘がされていない。

 

デザインはクライアントとの協働作業、合意形成が仕事であるのは指摘の通りである。第一回目ではそこで破綻が生じてしまったわけだが、本来のクライアントがオリンピック・パラリンピック組織委員会ではなく、国民であったところに難しさはあっただろう。しかし、国民はデザインの審査過程が閉鎖的であったとしても、素晴らしいデザインが提示されていたら、文句は出なかったに違いない。問題は、国民の知らないところでデザインが決定され、かつ国民がそれに満足ができなかったところにある。公開性や民主性、透明性、公平性などが求められるのは、あくまでヘッジに過ぎない。それで良いデザインが選ばれるとは限らない。しかし、国民の合意形成のためにはそれが一番、不平・不満がでにくいということである。そういう意味では、この審査の過程自体が、協働作業に他ならないのである。

 

それでも、問題はある。今回のコンペの結果、経験の浅いデザイナーやアマチュアが選ばれる可能性は十分ある。しかし、その後に発生する大量のアートディレクションは誰が行うのかは未定だ。それは、経験豊富なアートディレクターやデザイナーが担わないと難しいだろう。招致エンブレムも、当時の美大生の案が選ばれたが、プロのデザイナーによって修正が施されている。そのようなことは考えておかなければならない。

 

プロと同じ、デザインのソフトウェアを使いこなせるアマチュアが大量にいる時代にプロフェッショナルなデザイナーとはどのような存在なのか?本来は、1人もしくはそのチームが、首尾一貫したアートディレクションをできるのが一番だろう。しかし、プロのデザインが、国民の満足を得られるかどうかは分からない。そもそも資格の不要なデザイン業務において、プロとアマチュアの境界はかなりあいまいである。デザイン業界に賞が多いのは、デザイナーが消費者と直接向き合い、売上を得るような、ミュージシャンや漫画家のような職業とは異なるため、資格の代わりに別の権威を必要とするからである。

 

今回のコンペを負のクラウドソーシングにしないためにも、入選したデザイナーには正当な対価を与える必要があるし、その後の総合的なビジュアル・アイデンティティ(VI)を設計するアートディレクターも新たに決める必要があるだろう。それはコンペの上位者から優先的に選ばれるべきである。デザインの変革期に起きた様々な問題は、必然的なものである。それをいかに解決できるかがデザインの今後を決めていくといえる。