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再び縄文か弥生か?「新国立競技場再コンペ」三木学

新国立競技場整備事業に関する技術提案書 | 新国立競技場 | JAPAN SPORT COU

archipelago.mayuhama.com

 

エンブレムとともに、新国立競技場の再コンペについても、現在の日本の建築業界の様々な問題を浮上させており、改善を促すために批評すべき点はたくさんある。本来は専門家だけではなく、総合的な視点で批評が加えられるべきだろう。とはいえ、デザイン以上に建築業界の方が、内部の力学で働いているところがあり、外からは見えにくい。建築批評のような専門的な批評では袋小路になっていることもあり、いかに社会的に開かれた批評ができるかが今後の課題だろう。

 

さて、新国立競技場のコンペは、実質、二択ということになり、開かれたコンペとは言い難いが、日本というお題に対する典型的な二つの解答が提示されたといえる。すなわち、縄文か弥生か、である。縄文時代弥生時代が、はっきりと分かれたものとは限らないが、土器や住居に象徴される二つの異なる日本的伝統の対立軸として21世紀においても火花を散らすことになった。

 

大阪万博において、縄文を体現したパビリオンといえば、誰でも「太陽の塔」というだろう。事実、岡本太郎は戦後、縄文文化を発見した第一人者であり、その影響は大きい。

 

それに対して、エキスポタワーを設計した菊竹清訓は、弥生文化を意識し、巨大な高床式住居のような構造を作った。具体的には出雲大社のような巨大な柱と、高床の住居を、21世紀の高層都市のイメージに重ねたのだ。大阪万博は、太陽の塔と、エキスポタワーという二つの塔が、縄文と弥生を象徴するように並立し、向かい合っていたのである。

 

今回の新国立競技場コンペ案では、両方木造が使われていながら、法隆寺の垂木などをイメージさせる屋根の構造を持つA案と、諏訪大社御柱祭御柱などをイメージさせるB案という、弥生以降の建築と、弥生以前の建築が提案されている。

 

このどちらが良いのか?というのは、設備的、工法的な合理性は除外するとして、とても難しい問題であるし、いまだ日本の伝統はこの二つに縛られるのか、という思いもわいてくる。岡本太郎太陽の塔は、縄文的と言われながら、実は曼荼羅であると明言されており、地下、地上、空中を突き抜け、内部と外部で対となる複雑な立体曼荼羅を構想したことを思えば、どちらもややベタなのではないかという感想を抱かざるを得ない。

「太陽の塔」の図像学 試論 | 三木学 ‹ Issue No.36 ‹ 『10+1』 DATABASE | テンプラスワン・データベース

 

新しい日本の伝統というならば、縄文や弥生、五重塔以上の新たなアイディアが欲しかったと思う。誰もが縄文や弥生、五重塔というと、なるほどな、と適当に了解してしまう。そもそも明治神宮自体も新しいものであるし、神社のないところに神社を作り、森のないところに森を作った極めて新しい伝統である。そして、明治神宮の建築指導を行ったのは、それまでの造家を変更し、アーキテクチャーの翻訳を建築とした、日本近代建築の祖である伊東忠太でもある。伊東忠太は寺社仏閣を大量に作っているが、そこにはかなりの独創がある。

 

伝統とは、形の継承だけではなく、起源への遡行である同時に、大胆な挑戦や独創の結果であることも多い。アスリートや観客など多くの利用者の使いやすさや快適さの追求の裏にどれだけ挑戦があったか、それが勝敗を分けるだろう。結局、大阪万博において一番突飛に思えた太陽の塔が今でも残っているのはその証拠である。

 

 

参考文献

 

建築における「日本的なもの」

建築における「日本的なもの」