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ビジュアルレビューマガジン

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評価という教育「ポスト・インターネット・アートー新しいマテリアリティ、メディアリティ」三木学

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公開審査をする審査員
左から名和晃平、浅田彰、椿昇、遠藤水城、後藤繁雄、やなぎみわ、長谷川祐子、ヤノベケンジ

 

先日「ポスト・インターネット・アートー新しいマテリアリティ、メディアリティ」展の公開審査会が行われた。前回(5回目)までは、京都市中心街にあるARTZONEで行われていたので、京都造形芸術大学内のギャルリ・オーブは、交通の便は悪くなっているが、長谷川祐子さんのキュレーションであるということと、浅田彰、後藤繁雄、椿昇、やなぎみわ、名和晃平、ヤノベケンジ、遠藤水城といった、影響力のあるアート関係者が一堂に会して、審査を行うということで、大学外からのオーディエンスも多かったようだ。

 

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大勢のオーディエンスの前で、作品をプレゼンする村上美樹さんと審査員

 

前回説明したが、長谷川祐子さんのキュレーションといっても、すでに一定の評価を得ているアーティストを選考したわけではなく、主に80年代、90年代生まれの京都造形芸術大学の学生、卒業生を対象に募集をかけ、「ポスト・インターネット」という非常に広いテーマを設定し、既存作品ではなく、新作のプロポーザルに対して選考審査を行い、制作指導をしながら作り上げられた展覧会である。

 

だから、展覧会自体が実践的授業の枠内といえるが、それでも本格的なキュレーションをされたことのない若いアーティストにとっては、絶好の機会となっただろう。参加したアーティストの中には、今まで発表した作品の延長線ではなく、今回のテーマや長谷川さんの指導に合わせて、新しいフォームで制作したケースも多くみられた。あるいは、フォームは同じであるが、今までにない表現に挑戦したり追加したりしている。その指導方針が短期的な効果として良かったかどうかはわからないが、経験としては絶対的に良かったといえるだろう。

 

特に芸術大学の指導は、アーティストが行う場合が多く、キュレーターやギャラリスト、批評家、編集者、コレクターなど、評価者が行うことはあまりない。だから、指導教官の価値観や作風のバイアスがどうしてもかかってしまう。もちろん、制作する上での基礎的な技能の教育はそれでいいのかもしれないが、学生が自我を持って自分の作品に取り組む場合において、弊害になるケースもある。往々にして、アーティストは自分の作風に似た作品で、自分より劣っているものを評価する傾向がある。それは競争を勝ち抜いているものの本能のようなものだろう。そのことで縮小再生産が起こってしまう。

 

対外的な作品として押し出す場合、キュレーターやギャラリスト、批評家、編集者、コレクターなど、評価する側が若いアーティストを教えるメリットは大きい。つまり、芸大・美大に欠けていた、マーケティング的な視点が入るということなのだ。いくら作品を作ったとしても、評価する側の琴線にふれなければ、飛躍することは難しい。そういう意味でも、とても意義のある試みであったといえるだろう。さらに、審査会にも、批評家、編集者、キュレーターが参加しているということも重要な機会となっていた。

 

公開審査会は、13名と1組のアーティストに対して、個々が作品の前でプレゼンし、審査員がそれぞれコメントを述べていくのだが、百戦錬磨のメンバーだけに指摘も容赦がない。指摘する角度は異なるし、勧める軌道修正の方法も異なる。それらを聞いた上で、長谷川さんが若いアーティストのコンセプトや、キュレーションにおける位置づけを補足説明し、擁護していたことは感心するものがあった。審査員の厳しい指摘、長谷川さんの擁護も含めて、参加したアーティストは10年分くらいの価値のある経験をしただろう。オーディエンスの中にはアーティストも多く、彼らも同様に勉強になったと思う。

 

厳しい指摘も賞賛も両方あったが、卒業して10年も経てば誰も何も言ってくれなくなる。酷評よりも無関心の方がはるかに問題は大きい。それは酷評された作品が何十年後、評価が逆転してきたアートの歴史が物語っている。昨今では、活躍しているアーティストですら、レビューされる機会はどんどん減っている。しかし、市場で厳しい判断がされるか、批評される機会がない限り、その世界に発展性はないだろう。現代アートに国内の市場がほとんどないことを考えれば、国際的な発信力のある審査員の評価は国際的な市場にのるチャンスでもある。

 

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最優秀賞を受賞した大島真悟さんの作品とプレゼンテーション

 

さて、肝心な評価の結果だが、審査員が選んだ「最優秀賞」は、全員一致で大島真悟さんの作品《奇跡(やっこさん)》に決定した。観客が選ぶオーディエンス賞は田村琢郎さんの作品《Empty》に決定した。大島真悟さんは自身のキャラクターが面白くプレゼンで得をしているところはあったとしても、関心の一貫性と造形力、形のオリジナリティが評価されたといえるだろう。

 

浅田彰さんが、傾いたタブローや、グラウンドなど、荒川修作の作品例を出していたように、作風自体は60年代の現象学の影響を受けた作品に似ているところはある。その上で、生態心理学のアフォーダンス理論や昨今の認知科学などとも関係しており、体重計と奴凧、分裂した木造のオブジェのインスタレーションによって、人が大地に立ち続けるという、重力と知覚、認知の問題を、彫刻的な経験の核に据えて、分裂と統合のフィードバッグモデルを彫刻にしたところが評価されたといえる。元は浅田彰さんが教えた大学院生で、奈義町現代美術館の荒川修作+マドリン・ギンズの部屋でシーソーに一緒に乗ったというエピソードは微笑ましいところがあった。

 

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オーディエンス賞を受賞した田村琢郎さんの作品とプレゼンテーション

 

田村琢郎さんは、まどみちおの童謡「やぎさんゆうびん」をモチーフに、モニター上の白ヤギさんはネット空間でメールを山のようにもらいぶくぶく太っていく一方、リアル空間にいる黒ヤギさんは紙の手紙が来なくて、やせ衰えていくというインスタレーションを制作した。錆びて壊れたポストを作り、鹿のはく製の内部を抜き出して痩せさせ、角を着けてヤギにするなど、造形能力の高さとわかりやすさが評価されたといえる。

 

その他は13名と1組もいるので、一つ一つ掲載することは難しいが、新しい表現の片鱗は色々なところに見られ、自分の長所がはっきりわかれば、今後の展開につながっていくだろうと思われた。

 

来年はどうなるかわからないが、また開催される可能性は高い。他の大学の出身者も参加できるようになればもっと面白いと前回書いたが、それは現実的に難しいとしても、今年チームで出品した虎岩慧(京都造形大学在学中)さんと日惠野真正(東京藝大出身)さんのように、他大学出身者とグループで応募することは一つの可能性を示したように思える。

 

最近では、現代アートのグループも増えているが、コンセプトやアイディアが豊富であるが、技能が伴わない人もいれば、その逆の人もいる。日本では後者の方が多く、コンセプトやアイディアの方が不足しているので、もっとチームを組んでいいだろうと思う。内面の表出のような古典的な近代的自我みたいなものに捉われていてもブレイクスルーは難しいだろう。

 

審査員の評価で共通していたのは、徹底的に開いた状態で、人間を消したポスト・ヒューマン的な方に突き抜けるか、あるいは、徹底的に閉じた状態で、人間性に拘って突き抜けるか、であって、まだまだ中途半端な状態であるということだった。それぞれの方向性でブレイクスルーしてほしいところだ。アートのコーチングは難しいが、キュレーターによる制作指導と、評価者の審査という、これからの美術教育の可能性を示した展覧会だっといえる。

 

参考文献

 

キュレーション 知と感性を揺さぶる力 (集英社新書)

キュレーション 知と感性を揺さぶる力 (集英社新書)

 

 

 

美術手帖 2015年 06月号

美術手帖 2015年 06月号