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デザイン・建築・都市「大大阪デコ・大大阪モダン建築」三木学

建築 デザイン

 

新装版 大大阪モダン建築  輝きの原点。大阪モダンストリートを歩く。

新装版 大大阪モダン建築 輝きの原点。大阪モダンストリートを歩く。

 

 

大大阪モダン建築 輝きの原点。大阪モダンストリートを歩く。

大大阪モダン建築 輝きの原点。大阪モダンストリートを歩く。

 

 

osaka.thepage.jp

【写真特集】大丸心斎橋店本館 | THE PAGE 大阪

 

大阪を代表する近代建築、大丸心斎橋店本館が、本日をもって一時閉館することで話題となっている。関西を中心に活躍した、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計し、1922(大正11)年から1933(昭和8)年にかけて建てられた名建築である。

 

長らく心斎橋、御堂筋の顔であり、解体の報道が出た後は、市民から保存を望む声が多く聞かれた。その影響もあって、外壁や内装などできるだけ意匠を残す方針が打ち出されている。

 

ヴォーリズは、ご存知の方も多いが、もとは英語教師でありながら、プロテスタントの伝道者として活動し、赴任していた滋賀県八幡商業学校を辞めさせられた。その後、大学で勉強した建築の設計やメンソレータムの販売など、様々な事業を行ったことで知られている。

 

建築のバリエーションは豊富で、用途に応じてそこにあった意匠を選択していたように思う。大丸心斎橋店本館は、ネオゴシック、アメリカン・アールデコと言われたりするが、ゴシック的な垂直性と、結晶のような幾何学文様を多用しているところは、まさにアール・デコと言ったところだろう。時代的にも本場フランスやニューヨークだけではなく、アール・デコは世界中で普及していた。

 

現在ではアール・デコがインターナショナル・スタイル(国際様式)やモダニズム建築以前の世界的に普及した様式として研究が進んでいる。日本で一番アール・デコが流行した都市はどこかと言われたら、間違いなく大阪であるといえるだろう。

 

アール・デコは、1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会、正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)から取られたとされている。植物的な文様を取り入れた、アール・ヌーヴォーと比較して、アール・デコは幾何学的な文様を取り入れたところに特徴がある。

 

日本にもほぼ時間差なく流入した初めての西洋の建築様式といえるかもしれない。大阪で流行したのは、幾つか理由はあるだろう。東京は1923(大正12)年に関東大震災が起こったため、流行を受け入れるだけの余裕がなかったということはある。

 

一方、大阪は関東大震災を受け、企業や人口が流入するなど、商業都市として繁栄をみせた。1925(大正14)年には近隣町村を合併し、第二次市域拡張の結果、人口200万人を超え、東京市をしのぎ、日本最大、世界でも6番目の大都市となる。そして、大大阪と呼ばれるようになった。

 

関東大震災によって耐震性や防火性が意識されるようになった結果、新しくビルディングを建てる際、鉄筋コンクリート造りが多く採用されるようになる。鉄筋コンクリート造りは、それ以前のレンガ造りと違って、意匠と構造が分離している。外壁はひっかき跡が残ったようなスクラッチタイルやテラコッタが採用された。それはまさに、アール・デコ建築の代表的な組み合わせである。つまり、耐震、防火の要請と、商業的な華やかさを兼ねるのに、アール・デコ様式はぴったりと大阪にはまったのである(それは結果的に、第二次世界大戦における空襲から建物を守ることになった)。

 

しかし、アール・デコは建築だけの用語ではない。大丸の内装にみれるように、内装やインテリア、工芸、ジュエリー、広告のためのグラフィックデザイン、ファッションなど、多くのビジュアルカルチャーに影響を与えている。百貨店はまさに建築を中心としたアール・デコの発信地であったといってもよい。

 

アール・デコは、アメリカン・デコやマイアミ・デコ(トロピカル・デコ)など、それぞれの場所特有の文化と溶け込みながら、独自の発展を遂げたところが面白い。大阪にも大大阪デコと呼べるものが存在したと思っていいだろう。大大阪時代の大阪は、世界に普及したアール・デコ・シティの一つであり、そのような地球規模の観点から見直した方がその特徴がよくわかる。

 

その上で、大阪の都市の独自性を理解する必要がある。例えば、秀吉時代から続く格子状の町割の区画や、交通網の転換、写真文化の普及、着物から洋服への移行など、様々な文化を横断しないとわからない。建築という「点」だけみても見落とすことが多すぎるのだ。

 

建築と都市の観点では、主な交通手段が、船から車や地下鉄に移行したため、東西の「通り」から、南北の「筋」へとメインストリートが変わり、建築の顔の向きが変わっていく。あるいは、通りと筋の角地にある建築は、パワーバランスの拮抗と見栄えによって、コーナーに入り口を持っていくものも出てくる。しかし、町割という区画の制約があるため、建てられた時代や意匠が異なってもある種の統一感を出している。

 

僕は2007年に大阪の近代建築を紹介する『大大阪モダン建築』の編著を、建築家の高岡伸一さんと行ったが、書ききれなかったことは多い。当時の僕の目的は、大きく言えば、世界的なアール・デコ再評価の潮流を伝え、大阪の近代建築には歴史的価値があることを示すこと。近代建築を解体する動きを止めて、少しでも利活用する機運を広げること。大阪の下町文化だけがメディアに取り上げられている状況を変えること。目に見えて街に残っている近代建築を介して、大大阪時代の文化全体を注目させること、だった。

 

その後、大阪の近代建築や大大阪時代の大阪はマスメディアに多く紹介されるようになり、朝の連続ドラマでは毎度のように、大大阪時代が取り上げられるようになった。「カーネーション」(洋服)、「ごちそうさん」(食と西洋建築)、「マッサン」(洋酒と宣伝美術)そして、「朝が来た」(金融と保険、モデルの広岡浅子が創業した大同生命の建築は姻戚関係にあったヴォーリズが設計した)に至るまで、すべて関わりがある。「いもたこなんきん」、「ウェルかめ」は時代的に関係がないが、近代建築が要所要所に使われている。

 

それ以前は、大大阪時代や近代建築が注目されることはほとんどなかった。監修を行った建築史家の橋爪伸也さんや実兄で美術史家の橋爪節也さんが訴えていたくらいである。それだけ大阪の近代建築は、日本の建築史的にも盲点のような存在であり、少なくとも2000年以前は、街づくりや観光においても、たいした役割をはたしていなかった。今日の注目は喜ばしい限りだが、景気が回復するにしたがって、多くの近代建築が解体されるか、大規模改修された。今回の大丸のように、商業地区の一等地で外観や内装の一部が残されるだけでも大きな進歩ではある。

 

しかし、先に述べたように大大阪の遺産は建築だけではない。大大阪デコとしてもっと広範囲な文化を再評価するべきだろう。大丸はその象徴的な存在だっただけにできるだけ意匠を残し、このような機運がさらに他の文化に広がることを期待したい。

 

参考文献

 

アール・デコの建築―合理性と官能性の造形 (中公新書)

アール・デコの建築―合理性と官能性の造形 (中公新書)

 

 

 

日本のアール・デコ建築入門

日本のアール・デコ建築入門

 

 

 

 

アール・デコの建築 (NHK美の壺)

アール・デコの建築 (NHK美の壺)

 

 

 

 

図説 アール・デコ建築---グローバル・モダンの力と誇り (ふくろうの本/世界の文化)

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