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ビジュアルレビューマガジン

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誌上講評(3)「ポスト・インターネット・アートー新しいマテリアリティ、メディアリティ」三木学

川村夢《ごーもんくらぶ》

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「ごーもんくらぶ」という名の元に、日用品を組み合わせた拷問具を制作し、それらの使い方をプレゼンテーションする紹介ビデオとともに展示するインスタレーション作品。

例えば、扇風機の羽をとって、包丁を取り付ける拷問具など、日常的に使っているものが少しの工夫をすることで残虐性を帯びることを提示している。基本的には、私的な復讐のための道具として作られており、実際には使わない(使えない)が、それを見ることである程度心理的に昇華されることを狙っている。

本人はそんな残虐なことをしそうにない、という容姿で、料理番組でレシピを紹介するようにプレゼンテーションすることがギャップを生んで面白い。

ただし、正確に言えば、制作された拷問具は、拷問のためにはなっていない。復讐のための道具として作られており、本当に使うと殺してしまう。拷問具が処刑具を兼ねていることはある。しかし、拷問は残虐性があるが、結果的に殺すことはあっても、痛めつけることで自白の強要を促すなど何らかの目的が必要であり、拷問という言葉を使うと少し矛盾してしまうかもしれない。

例えば、拷問を字義通り実行するならば、黒板をひっかく音を鳴らす道具など、不快感は極めて高いが、殺傷能力のないものを提示した方がいいだろう。それなら復讐を兼ねられる可能性もある。

現在は拷問具は拷問等禁止条約で使えない。ただし、拷問具は人間の作った道具の負の歴史であるといえるが、想像力の産物として一見の価値はあるし、現在は無用の長物ということで言えば、アートに近いものと捉えることもできないことはないだろう。

そういう意味で、拷問具に目を付けたのはよいと思うが、それが復讐の道具なのか、拷問の道具なのか、体験可能にするべきか、見ているだけにするべきか、再検討した方がいいだろう。

それぞれ説明ビデオがないと使い方がわからず、完成度の低い彫刻になってしまうし、ビデオの作り方次第では擬似的なテレビショッピングやブラックユーモア的なお笑いとして消費される可能性もあるので、映像がなくても成立したり、実際体験できるという方向もありえるだろう。自分のやりたいことを突き詰めて、次の展開に進んで欲しい。

 

田村琢郎《Empty》

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 まどみちお作詞の童謡「やぎさんゆうびん」をモチーフに、ネット時代になって紙の手紙が届かずガリガリになるリアルの黒ヤギと、逆に大量のメールが届いてぶくぶく太ったネット上の白ヤギを対比させたインスタレーション作品。

当初は、夜になれば光る特殊な塗料を使った作品を考えていたようだが、イギリス製で輸入することが困難なため、コンセプトを変えて制作した。

やや一発ギャグや大喜利に近い作品であり、それ以上でもそれ以下でもない、というものだが、黒ヤギを、ヤギの剥製が高価なので、鹿を使って内臓部分を取り出して痩せさせて角を付け替えたり、モニター上の白ヤギに届くメールの着信音がドキっとするような効果音になっていたり、細かい造作が良くできていた。

他の作品と比べてわかりやすいこともあって、観客の投票で選ぶオーディエンス賞にも選ばれた。

アイディアを実現する造形能力は非常に高いので、どこまで批評性を獲得するかがこれからの課題だろう。ある種の大衆の心を掴むポップな才能があるようなので、ポップさと批評性を兼ね合わせるような方向性で今後も努力してほしい。独自性のある手法を開発したり、批評性のある作家と組むというのも手かもしれない。

 

片山達貴《INTRENET MAFIA/INDEPENDENT AREA(CYPHER01+CYPHER02)》

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展覧会場に他の展覧会やイベントを持ち込むという、展覧会内展覧会。ストリートアート系の作家の作品を、展覧会場に仮設した空間に展示し、最終日には展覧会場全体をクラブイベント会場にハッキングする。

「ポスト・インターネット・アート」展としてではなく、自分のオーガナイズした展覧会を、様々なメディアにプレスして自律した展覧会として機能させ、展覧会をハックしたり混線させる試み。

クラブイベントを美術館のレセプションやクロージングで行うのは、欧米ではよくやられることなので、それ自体は珍しくなく、長谷川さんなどももっとやるべき、という観点で勧めていた。

ただ、仮設した空間(といっても展覧会場自体が仮設であるが)が、造作が荒く掘っ立て小屋、ストリートハウスのようになっていたことが残念であった。見せ方の問題ではあるが重要なことである。

例えば、壁面を大きく使って、巨大なライブペインティングをその場でしてもらって飾っておくなど、痕跡を残す、ハッキングをするという要素を強く押し出しても良かっただろう。こじんまりまとまり、階段の下の本来ならデッドな空間で展示しているため、ハックしたように見えず、イレギュラーな展示ですよ、と明示化されてしまっているように思えた。展覧会自体を食ってしまうくらいの意気込みが欲しかったところである。

ただ、美術館とクラブイベントやストリートアートが日本では遠いのも確かであり、当人は企画やプロデュースに関心があるようなので、このような試みは継続していき洗練していってもらえればと思う。

 

ジョン・ピロン《深海の空》

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京都を舞台にして、小津安二郎の映画文法やフレームワーク、セリフを断片的に使いながら、被写体となっている女性の個人史と映画のストーリーを混線させていき、風景を読み替えていく作品。プロジェクターによって大きな壁面と、テレビモニターに同時に映像を上映し、メディアが持つ時代性によって、過去を新しく、現代を古く見せるなどの効果を入れたインスタレーションとして展示。

やや盛り込み過ぎて、映像の上映時間も長かったため、全体を見ていない鑑賞者(あるいは全体を見ていたとしても)、意図が伝わりずらかっただろう。小津安二郎の映画文法を使うにしても、もっと典型的なものを使い、セリフと映像も極力減らして、一番効果的なカットだけを抽出した方がよかったように思う。

もともと映画製作が専門で、現代アートとしての展示は初めてのようなので、映像の見せ方に少し難があったように思う。また、セリフに関して、字幕を入れた方が伝わりやすかっただろう。

次回は、映画を作るようであるが、このような映画やCG制作者が現代アートとして展示することも増えているので、次の機会がれば言いたいことをできるだけコンパクトに抽出する方法でチャレンジしてもらいたい。

 

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