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なぜそこでシャッターを押したのか?「色景学に向けて」三木学

 

フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

 

 

先日、心理学の分野で「身体化された認知」と呼ばれる、環境や感覚が無意識のうちに理性的な判断を操作している事例を研究した『赤を身につけるとなぜもてるのか?』をご紹介した。

 

ポイントは、我々が影響を受けていない、と思っている、ささやかな環境変化でさえ、感覚を通じて無意識的に理性的な判断に影響を及ぼしているということである。それほど理性は危うく、感覚は敏感である、ということでもある。

 

特に色彩分野においては、赤や光の明るい、暗いが人間の心理に大きな影響を与えていることが紹介されている。無意識のうちに、赤い色を着ている人間には、セクシーで魅力的と判断してしまう。それは意識に立ち上らず、意識下でうごめき、結果的に行動を促すことになる。

 

それは、「写真を撮影する」ということにも影響を与えているだろう。例えば、赤い服を着ている女性と、青い服を着ている女性なら、赤い服を着ている女性に反応して、撮影するということはあるだろう。その判断は一瞬であり、無意識のうちに魅力的な被写体であると認知して行動に移行する。

 

もちろん、風景や街角のような被写体であっても影響はあるかもしれない。魅惑的な光や色彩が撮影行動を促しているケースは思いのほか多い。写真家であり映像人類学者の港千尋さんと編著した『フランスの色景』は、写真から色彩分析を行い、色空間における配色分布や日仏の色名を抽出することで、撮影における色彩の影響を視覚化した試みである。

 

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 (C)Chihiro Minato

 港千尋さんの写真を分析していると、計算されたかのように配色のバランスが取れていることが多い。しかし、スナップショットという、瞬間の判断において複雑な配色計算は不可能である。そうであるとしたら、「身体化された認知」によって、環境が撮影することを促した、という可能性はある。そして、写真における配色バランスもその延長線上で行われているといえる。「身体化された認知」に加え、写真家としての長年の経験が、さらに高次の判断を瞬間的に下していることは考えられる。

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マンセル表色系による色空間分析(色相・彩度)

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マンセル表色系による色空間分析(明度・彩度)

 

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フランスの伝統色名

 

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日本の慣用色名

 

それ以前に、洗練された配色のフランスの風景もまた、環境とそこに住む人々の感覚のフィードバッグによって熟成されたものであり、環境が感覚を通じて行動を促し、さらに人が介入した環境が感覚に影響を与える、という循環を繰り返しているといえるだろう。

 

我々は、そのような意識下において、人々の行動や撮影を促す風景の色彩を、便宜上「色景(しきけい)」と名付けた。そのような色景の在り様を明らかにするのは、心理学的、脳科学的アプローチもありえるだろうが、瞬間瞬間に変化し、複雑多岐にわたる風景や、それに応じた写真家の判断を詳細に調べる術はまだない。したがって、結果的に撮影された写真から、コンピュータによって色彩分析することでそれらを明らかにしていくことに注力した。

 

「身体化された認知」の影響がある一方、言語による影響も無視できない。例えば、サピア=ウォーフの仮説と言われる、言語相対論の立場からすれば、母語によって「見え方」が変わる。思考全体が母語の違いによって翻訳不能とまではいかないかもしれないが、知覚に影響を与えることはわかっている。例えば、青が二種類あるロシア語を母語にしている人は、青が一種類の言語の人よりも、青色内の二つの言葉の変わり目あたりで知覚する速度が速くなる。

 

色景は、そのように環境の感覚を介した影響と、母語によって異なる知覚の影響によって構成されているといえる。写真から色名を抽出する分析は、母語の影響をある程度明らかにしているかもしれない。

 

ともかくも、我々は「なぜそこでシャッターを押したのか?」という問いに対して、自分でも自覚してない感覚や母語の影響を受けている。「色景学」は、無意識を視覚化し、人間と環境、写真と環境の相互作用の謎を明らかにする一つの方法論であり、同時に環境と色彩と言語の関係の謎を解く鍵にもなっているのだ。それは、アートやデザインなど様々な創作活動にとっても大きなヒントになるだろう。

 

参考文献

 

赤を身につけるとなぜもてるのか?

赤を身につけるとなぜもてるのか?

 

 

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

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