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ビジュアルレビューマガジン

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港千尋レクチャー「『光の世紀』から『記憶の世紀』へ」三木学

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港千尋さんと「もうひとつの電車 ~alternative train~」展会場。

 

昨年、京阪電車なにわ橋駅アートアトリエB1開催された「鉄道芸術祭vol.5 ホンマタカシプロデュース もうひとつの電車 ~alternative train~」展に合わせて、2015年11月20日に港千尋さんのレクチャーが開催された。

 

それは、アートアトリエB1を京阪電鉄、NPOダンスボックスとともに共同運営している大阪大学が企画している「ラボカフェ」と命名されたレクチャー&対話プログラムの一環でもある。毎月、幅広い分野の識者を呼んで、市民に開かれた「ラボカフェ」を開催しており、大学のアウトリーチ活動といってよいだろう。あるいは、イギリス、フランスが発祥のサイエンスカフェに理念は近いかもしれない。最先端の科学者や研究者も登壇しており、個人的にも関心がある内容も多い。

 

毎年、開催されている鉄道芸術祭の期間には、連携したテーマ設定、識者が招聘されており、港千尋さんは「『光の世紀』から『記憶の世紀』へ」というテーマでレクチャーを行った。

 

このレクチャーに関しては、「もうひとつの電車 ~alternative train~」展の展評を書いた際にレポートする旨書いたが、そうこうしているうちにすっかり年が明けてしまった。すでに記憶も遠のいているが、出来る範囲で書き止めておきたい。ただ、すでに時間が経っているので、港さんの論旨と個人的な感想が交錯していることをご容赦いただきたい。

 

「『光の世紀』から『記憶の世紀』へ」とは、展覧会にぴったりなタイトルであるが、これはそもそも港さんの著書『映像論』(NHK出版、1998)の副題である。すでに発刊から10年以上の時を経ているが、書かれた内容は今だからこそリアリティをもっている。奇しくも評判になったNHKのドキュメンタリー「映像の世紀」が再編されて放送が始まっており、改めて見てみても「映像=光の世紀」から、21世紀になって、「記憶の世紀」になっていくことがはっきりし始めている。

 

『映像論』は、単なる歴史的な変遷を追う映像論ではなく、「映像革命論」といってよい。光学的、物質的な映像から、非光学的、非物質なデジタル・イメージが主流になった時、映像の認識自体が根本的に変わっていくことが、幾つもの角度と例を挙げて、予言的に書かれている。港さんは『映像論』のまえがきに以下のように述べている。

 

すべての革命は、認識の変更を要求する。もし現在のマルチメディア化が本当に「第四の革命」になろうとするなら、それは「映像」というものを、表現内容や技術的達成の彼方にある、認識と想像力の問題としてとらえることを要求しているはずである。「〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ」とは、そのような要求への解答のひとつである。映像は、〈光〉によって現実を変える魔術として誕生した。非光学系のデジタル・イメージが登場した今、19世紀から20世紀までを映像の 〈光の時代〉とするらば、わたしたちは21世紀へ向けて、映像の本質を〈光〉から〈記憶〉へとシフトすることを求められているのではないか。

 

『映像論』にも書かれているが、港さんは映像の歴史を考えるにあたって、1995年にフランスのリヨンで、リミュエール兄弟によるシネマトグラフィー=映画誕生100年を記念して開かれた現代美術ビエンナーレの時代区分が参考になるという。以下のような区分である。

 

1910年~50年までを「映画の時代」

1950年~90年までを「テレビの時代」

1990年以降を「ヴァーチャル・リアリティーの時代」

 

この3つの区分は、映像の歴史を技術史ではなく、「新たな表現の歴史」として整理されている。技術史であれば、シネマトグラフィーが実用化された1895年が起点となる。テレビは定時放送が開始された1930年代となる。つまり、「映像は常に二度誕生する」というのだ。一度目は技術的な誕生であり、二度目は表現の誕生である。つまり技術がアートになることが二度目の誕生なのである。1995年の展覧会は、新たに開発されたデジタル・イメージが、技術からアートへと第二の誕生の幕開けを迎えることを想定して開催された。

 

1995年時点では、ヴァーチャル・リアリティ技術もまだ稚拙であったが、現在ではアニメーションなどでは3DCG映画は主流であるし、インターネットが爆発的に普及したことで、YouTubeなどで大量のデジタル映像が流されるようになった。デジタル映像はいまやスマートフォンでも撮影でき、簡単にインターネットにUPされ、シェアされていく時代である。そして、現代アートでも映像が主流になってきている。

 

一方で、写真、映画以前の光学装置として、カメラ・オブスキュラがある。カメラ・オブスキュラとは、暗い部屋という意味であり、カメラの原形である。暗い部屋に針穴を開けると、外の風景が上下反転して反対側の壁に映し出されるのだ。この仕組みにレンズがつき、さらに、化学的方法で画像を定着できるようになったのが写真、映画の歴史である。

 

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マールブルグにあるカメラ・オブスキュラに映る外の風景。角材をかざす港千尋さん。

 

もうひとつの電車 ~alternative train~」展においても、光善寺駅の上にカメラ・オブスキュラが制作され、反対側の壁面に電車が上下反転して移動する像を観察することができた。ヨーロッパでは、19世紀に各地でカメラ・オブスキュラが制作されており、現在でもヨーロッパで10カ所程度復元されているとのことだ。当日は、港さんが訪ねたドイツのマールブルグにあるカメラ・オブスキュラを紹介してくれた。簡易的で安価に作れるカメラ・オブスキュラは庶民のアトラクションとして人気を博したが、20世紀になり映画の発明によって急速にその地位を奪われたという。それはパノラマ館の普及と衰退と近いかもしれない。マールブルグのカメラ・オブスキュラのレンズが屋根の上にあり、360度の風景を机に映すようになっていることが、パノラマやジオラマとの関係を思わせる。

 

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Googleフォトのプレゼンテーション。

 

しかし、カメラ・オブスキュラを起源とする光学的装置は、写真、映画、テレビへと発展したが、デジタル化されたことで、非物質的になっていく。現在では、光は物質に定着されず、デジタル・イメージとなり電子空間に蓄積される。それは個人所有のデバイスやメディアだけではなく、自分の知らない巨大なデータセンターに預けられている。Googleは1998年に商用開始し、たった20年で我々の生活を劇的に変えている。Google自らが主張しているように、今や「DARKROOM=暗い部屋」とは、Googleのデータセンターなのではないかと港さんは指摘する。

 

それは、スマートフォンとクラウドが登場したことによって、物理的痕跡がまったくない、「影なきイメージの時代」となってしまったともいえるのではないかという。それは、常時繋がっていながら、中がどうなっているかも、どこにあるのかもわからないブラックボックスだといっていいだろう。我々はもはや見かえすこともできない膨大な写真を何のために撮影するのかわからないままブラックボックスに放り込んでいるといえるだろう。

 

しかし、「影なきイメージの時代」の漠然とした不安は、大量に撮影することと逆説的に忘却への不安といっていいだろう。実際、撮影依存症に陥っている現代人は、長期記憶が行われず、忘れやすくなっていることが研究から明らかになってきている。港さんのいう「記憶の時代」とは、「光の時代」のように光学装置で撮影することを主としたものではなく、蓄積する膨大なデジタル・アーカイブを再編する時代という意味もあるかもしれないが、デジタル化して失われていく身体的な記憶を取り戻さなければならない時代ともいえるだろう。

 

参考文献

 

映像論―「光の世紀」から「記憶の世紀」へ (NHKブックス)

映像論―「光の世紀」から「記憶の世紀」へ (NHKブックス)