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自然体のグラン・ジュテ(跳躍)「ULTRA GIRLS COLLECTION」三木学

hotel-anteroom.com

ULTRA x ANTEROOM exhibition 2017 「ULTRA GIRLS COLLECTION(ウルトラ・ガールズ・コレクション)」

会 期:2017年7月27日(木)ー 8月27日(日)
会期中無休・入場無料 
営業時間:12:00-19:00
トークイベント&レセプションパーティ
ゲスト:清川あさみ(アーティスト)聞き手:ヤノベケンジ(美術作家)
日 時:7月27日(木)18:00-20:00
会 場:ホテル アンテルーム 京都 GALLERY9.5

 

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清川あさみをゲストに迎えた出品作家たちとのトークイベント

 

7月27日(木)からアンテルーム京都で「ULTRA GIRLS COLLECTION(ウルトラ・ガールズ・コレクション)」が開催されている。アンテルーム京都は、ギャラリーを併設し、関西において、アートを積極的に展開するホテルの先駆けとして、様々な企画を行っている。昨年には、名和晃平や蜷川実花など第一線で活躍するアーティストから若手まで、各部屋に作家の作品を設置する大規模な改修を行った。なかでも、「ULTRA x ANTEROOM exhibition」は、京都造形芸術大学の共通造形工房ウルトラファクトリーとの共同企画として、2014年から開催されており、今年で4回目となる。

 

3回目までは、ヤノベケンジや名和晃平、やなぎみわなどを筆頭に、ウルトラファクトリーに集う世界的に活躍するアーティストや気鋭のアーティストの作品を一堂に会する顔見せ的な展示が主であったが、今年は、これから台頭する若手女性アーティストを紹介する展覧会へと舵を切り、教育機関としてのウルトラファクトリーのある種の成果発表となった。ウルトラファクトリーも2008年に設立して10年、実践的な工房として、国内外の芸術祭には欠かせない存在になりつつあるが、そろそろ次世代のアーティストを輩出する段階にきている。

 

ウルトラファクトリーのディレクターであるヤノベケンジが選んだ作家は、井上亜美、浦田シオン、小野由理子、長尾恵那、成田令真、油野愛子の6名、ほとんど90年代生まれで、偶然、全員が女性であったこともあり、「ウルトラ・ガールズ・コレクション」と銘打たれたという。そこにはウルトラファクトリーのガールズ、そしてウルトラ・ガールズ(超越した少女たち)という二重の意味が含まれている。もちろん、ファッションブランドの紹介ではないし、「少女性」を打ち出している作家はいないのであるが、女性ならではと思える共通性も見えてくる。

 

初日のオープニングトークのゲストであった清川あさみとヤノベケンジ、出品作家のトークイベントでは、清川あさみがホストとなり、個々の作家のプレゼンテーションと繊細な対話がなされ、「ウルトラ・ガールズ」の魅力がつまびらかにされた。清川あさみは、言うまでもなく、女優の写真に刺繍を施す「美女採集」やNHKの連続テレビ小説『べっぴんさん』のオープニング映像のアートディレクション、そして本展の引用先ともいえる「東京ガールズコレクション」の今年度のアートディレクターを担当するなど、幅広いシーンで活躍しているアーティストである。

 

清川あさみは、若手女性アーティストの講評をする機会ははじめてのことらしいが、キャリアのあるアーティストの立場からではなく、同じ女性としての目線で作家たち過去作品まで遡って個々の着眼点に注目し、共感を持ちながら語りかけていた。通常のアート系のインタビューなどではなかなか聞き出せない細かな心情や工夫を引き出していたのが印象的であった。清川あさみが引き出した作家たちの共通点を、あえていうならば、「詩情」と「小さな物語」、「日常生活の重視」といえるかもしれない。ではそれぞれの作品を見ていこう。

 

生活の中の狩りー井上亜美

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 井上亜美《猟師の生活》2017

一番の注目株は、来年開催されるシドニー・ビエンナーレに最年少で選ばれた井上亜美だろう。井上亜美は、宮城県出身で祖父が猪猟をしていたが、東日本大震災の福島第一原発事故により、食用ではなく間引きだけの猟になったことで猟師を辞めたことを機会に、「自然と人間」の関係を再考するために自ら猟師の免許をとり、狩猟をテーマに映像作品やインスタレーション作品などを制作している。

 

そのスタンスは、フィールドワークなどの参与観察に近いが、さらに踏み込み猟師として生きる中で起こる自身の「内的変化」を表そうとしているといえる。宮城や横浜などでも猟をしていたが、現在はスタジオのある京都を中心に猟をしており、今回は京都の猟を撮影した作品《猟師の生活》を発表した。

 

《猟師の生活》は、京都で実際行われている「巻き狩り猟」に参加し、タツマ(射手の待ち伏せ場所)で待っている自身を固定カメラで撮影する様子を中心に編集された映像作品である。「巻き狩り猟」では、ほぼ陣形が決まっており獲物が通る幾つかの場所が、「タツマ」に設定され、獲物が通るまで延々と待つことが求められる。「獲物を待っている間は、動いてはいけない。話してはいけない。鼻をすすってもいけない」と教わるらしく冬場に2時間同じ場所で待つこともあるらしい。

 

それはまさに自然と同化することであり、我々が「狩り」で連想する「追う」イメージとはほど遠い(勢子の場合は猟犬とともに追うことになる)。もちろん猟であるので殺傷された鹿を犬がくわえたり、川で洗われたりする場面もあるが、大半は井上が山の中で銃を持って佇む静かな風景が映し出される。その佇まいは、狩猟というより釣りに近い。井上の意図は、まさにそのような猟師のリアルな生活の描写にあるだろう。

 

そのような長い沈黙とは真逆に、獲物である鹿が現れたときは、銃口を向けて引き金を引き、極度な緊張状態を強いられる。鹿は音がするとそちらをじっと見る習性があるしく、見つめ合いながら殺傷しなければならないという。この作品では、鹿を狙う井上と、井上を狙うカメラが二重構造になっており、カメラの暴力性によって銃の暴力性を露にしているといえる。しかし、一方で映像による狩猟の描写について限界も感じており、同時期に開催される展覧会では映像以外の方法で狩猟を記述する試みを行っているそうである。

 

おそらく井上が勘づいているように、猟師の頭の中にあるジオグラフィックで心理的なイメージは、平面的、映像的なものではないだろう。また待つ時間感覚も打つ時間感覚も一定ではない。映像という外面的かつリニアな描写ではない方法で今後《猟師の生活》をどのように描き出せるか、自然と人間の関係を表せるか、大きなテーマであるが期待したい。

  

日常のおかしみー長尾恵那

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《今日は三つ編み》2017

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《grand jete》2016

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《普通のクローバー》2017

 

長尾恵那は唯一80年代生まれの作家であるが、ウルトラファクトリーのテクニカルスタッフで木彫を専門としている。日常生活のささいな出来事を、ユーモラスに描き出すことを特徴としており、本展では3つの小品を出展している。制作期間は本展が決まった1カ月弱らしく、小さいながらもそれぞれが精巧に作られており、力のある作家でることがわかる。

清川あさみに、すべての作品を一度に見て脳の中を覗いてみたいと言われていたが、1つ1つの作品に小さな物語とユーモアがあり、話を聞くと余計にクスッとしてしまう。《今日は三つ編み》は、三つ編みの少女の頭像であるが、なぜだか結った髪が太い。普通に考えればプロポーションの間違いだが、作家自身の髪が多く太い三つ編みになることがモデルだという。

 

《grand jete》は、バレエの股を広げた跳躍のことだが、なぜか左手にフライパンを持っている。非日常的な世界への脱皮ではなく、あくまで日常の中での次のステ―ジへのジャンプであり、作家が大切にしている価値観がよくわかる。

 

《普通のクローバー》は名前をだけでも笑えるが、幸福の象徴である四葉のクローバーではなく、三葉のクローバーを指でつまんでいる手の彫刻である。これもまた、日常そのものの肯定とも捉えることができるだろう。一つ一つに「詩情」と「小さな物語」が含まれている典型例であるといえる。

 

長尾自身は、「ウルトラ・ガールズ・コレクション」の出展に際し、女性的なものを意識的に遠ざけていたが、今回の展覧会タイトルに即して、改めて考えて作り出した作品だという。それが図らずも長尾の持つ「少女性」をうまく引き出す機会になり、多くの女性に共感が得られるものになったと思う。本展が制作におけるターニングポイントになるかもしれない。

 

 影のざわめきー浦田シオン

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《翳りに潜む》2017

 

浦田シオンは、存在の痕跡をテーマに、円形のガラス板にヤモリを彫り、壁面に影が浮かび上がる作品を制作した。浦田は昨年のウルトラアワードで、政治的なデモの音声を加工し、スピーカーの上に透明なシートを張って水を置き、音が強くなると水しぶきが跳ね上がる作品を制作しており、ポリティカルな問題意識を背景に持ちつつ、影や無意識の存在を表象する作品に転化させているといえる。

 

ガラスなどにヤモリが貼りついていて、ぎょっとした経験を持つ人も多いだろう。何日も同じ場所に貼りついているので死んでいるのではないかと思うくらいである。しかし、夜行性であるため、昼間は物陰に潜み、夜になって昆虫の集まる外灯の周辺などに現れるので、実際は移動を繰り返しているのだろう。まさにヤモリ自体が影のような存在である。

 

ヤモリは、不快な生き物として扱われることも多いが、害虫を駆除するため、漢字では「守宮」とも書かれ縁起のいい動物とされることもある。また、蛇のように尾を自切して、再生することもできるので、人間や文化の再生を託すこともできるだろう。

 

光を当てることで、ヤモリが壁面に浮かび上がり、本当のヤモリのようぎょっとするような驚きを与えることができれば、もっと効果的であろうと思う。また、色彩が不得意で影に注目したというような発言もあったので、日本の陰影文化などをもっと考察して、歴史や文学などのモチーフとからめて多層的な意味を持たすというのも手かもしれない。そして、現代の社会だけではなく、歴史に潜む闇や影をうまく取り込むことができればより面白い展開ができるのではないかと感じた。

 

メディアとしてのスカートー小野百里子

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 《circular skirt》(2011)

 

小野百里子は、アパレル会社勤務を経て、自身の洋服づくりとともに、アートとしても展開している。シルクスクリーンで刷ったスカートには、「マイムマイム」や「水泳」など、見ていて楽しい独特なキャラクターが描かれており、スカートを履いている姿を想像しても面白いと思える。

 

フェナキストスコープ(驚き盤)のように少しずつ動きを変化させ、スカートをはいてて回転すれば、キャラクターが動き出すような仕掛けがあれば一層効果的だっただろう。同じくスカートの刺繍作品も1点出品されており、スカートを平面と立体の中間的メディアとして扱っているところに特徴がある。

 

次回は、巨大なスカートを制作して、天井画のように下から覗いて絵を見ることができる作品を構想しているとのことで、スカートのメディア性を拡張していることが伺える。逆にランプシェードのような「小さなスカート」があってもいいだろう。

 

日本人ではあまり使わない色彩なのでそのことを確認したら、大阪の難波近くで生まれ育ったが、フランスなどのヨーロッパの色彩に憧れ、取り入れてきたということで謎が解けた。テイストからいっても、大正時代の銘仙の配色や竹久夢二のような作風を取りいれ、着物にアプローチしても面白いと思った。

 

日用品のドラマ化ー油野愛子

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《viva La viva》(2017)

 

油野愛子は今回、ロンドン留学中で唯一出席していなかったが、蛍光のロール紙をセットした複数台のシュレッダーを壁面上部に取り付けて、定期的に一斉に裁断する作品《viva La viva》(2017)を出品しており、同じ仕掛けの作品を昨年のウルトラアワードで発表していた。また、別のシリーズとして、巨大なネイル作品《suger nailⅼ》(2017)を出品している。

 

《viva La viva》は、シュレッダーという日常的な道具を使って、特別な状況を作り出すという、油野の一つのスタイルといえるのかもしれない。裁断されたロール紙が空中で混色され、瞬間的な平面を生み出す効果があるため、ウルトラアワードの時ほど天井高が高くないので、落下する時間が短く効果が半減されているのは残念であった。そのため意図的かどうかわからないが、落ちていく紙よりも積もっている方の存在感が強く出ている。

 

シュレッダーが裁断する様子や積もっていく紙も面白いと思うが、ロール紙が裁断されて、落下する時に一瞬だけ現れる色や平面性を、もう少し強調するならば、シュレッダーや積み上がる紙は、遠間では見えないように隠したり、落下する壁面部分だけ少し強いライトを当てるなどの工夫があってもよいのではないかと思えた。

 

落ちた紙を持って帰ってもよいということにするなどすれば、よりフィリックス・ゴンザレス=トレス的で、観客との「関係性」が生じると言えるかもしれないが、その辺は作家の意図次第なので、どのような意味と効果を求めていくかによるだろう。様々な可能性を秘めているので、表現したいことを突き詰めて次の展開に進むことを期待したい。

 

巨大ネイルの作品《suger nailⅼ》は、トークでもそこまで話題になっていなかったが、個人的には車の塗料と同じくらい、化粧やネイルの色や質感は洗練され、商業的にも研究されている分野なので、そこに着目し作品化していることは評価するし、もう少し練って意味を持たすことができれば面白いものになると思った。

 

 

表皮のポートレイトー成田令真

 

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《portrait#3》2017

 

今回、最年少でありながら、巨大な自画像を描き出すことで、「グラン・ジュテ」の機会になったのは、成田令真であろう。すらっとした身長、個性的なファッション、派手な化粧、アクセサリーをしている成田は、自画像をテーマにしたアーティストである

 

親に自分の個性を大切にすように教わり生きていたが、いざ社会に出てみると、個性的でありすぎるために、バイトも面接で落とされるなどの経験を経てきたエピソードが開示されたが、美大・芸大出身者には少なからず心当たりがあると思う。成田にとって、鏡の前に映る自分に化粧をする行為と、自画像を描く行為は変わることはない。自分の見られている姿や個性を再確認する行為だろう。

 

アンテルーム京都の玄関屋上に設置された巨大な看板のような成田の自画像は、自画像の作品としても最大サイズであろう。清川あさみがタクシー到着したときに、運転手の間でも話題になっていることを明かしていたが、まさに自画像が社会という鏡に映し出された機会になっただろう。

 

自意識の肥大化ともいえるが、成田にとってはおそらく無理をした姿ではない。そもそもある種のコスプレともいえ、派手になればなるほど自分の姿は隠される。長く自身と向き合うことで社会的自我を表象しているのが、彼女の外形だといえるだろう。

 

入念に描くほどに、裏の姿が見えなくなり、表皮だけの自画像になっていくという反比例が興味深いが、巨大看板のような自画像《portrait#3》の裏側にはおそらく何も描かれていないだろう。また、アンテルーム京都内の鏡に貼り付けた《portrait#4》には裏側は存在しない。スマートフォンで自撮り?している肖像のように見えるが、成田の内面があるとしたら、スマートフォンの情報の中にあり、それを隠喩的に表現してているのかもしれないが真相は定かではない。 

 

ともあれ、内面をなくし、徹底的に外在化して表皮だけになっていく方が、今日的であるかもしれない。長く日本の芸術家が捉われている「内面の表出」に対するラディカルな批評であり、反ポートレート的な作品であるとするならば、新たな可能性も開けてくると思われる。

 

現在、美術・芸術大学の大半は女性であり、母数としては圧倒的に多い。女性の作家の活躍が目立たなければ逆におかしいのだが、日本の場合は(世界的にも?)そこまでいっていないだろう。

今回特に感じたのは、それぞれの気負いのなさであり、ジャンルやメディアに関わらず片意地を張っていない自然体の作家たちの姿である。先行世代との感覚の違いであり、新鮮に映る。

その上で、井上亜美のような現代アートのシーンにのっていくような作品もあれば、ファッションなどで展開できる小野由里子のような作品もあり、様々な形で表現の場を開拓していく可能性が開けていることが伺えた。90年代生まれ以降がもっと社会の中心になっていったとき、本展の状況が当たり前の風景であり、女性の活躍が叫ばれない状況になることを期待したい。本展にはその萌芽を見ることができるだろう。