「バイリンガルの知覚と思考」三木学
以前、ガイ・ドイッチャーの『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』をご紹介した。ガイ・ドイッチャーは、『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』において、言語によって思考が決定される、というサピア=ウォーフの仮説が、今日の認知科学の知見を踏まえた結果、どの程度、有効性があるか解説している。結論的には、言語は知覚に影響を与え、レンズ(フィルター)の機能があるとしている。
例えば、ロシア語のように、明るい青と暗い青がある場合、青が一つの言語と違って、青の識別(弁別)の速度に影響する。あとは、空間概念と言語のジェンダーにも有効性があるとしている。
言語学の世界では、サピア=ウォーフの仮説と言われる言語的相対論と、チョムスキーの生成文法のような普遍論が長らく争いを続けており、結局は程度と、定義の問題なのだが、言語が思考を決定する、とまでは言わなくとも、言語が思考や知覚に影響するのは確かなようである。
では、バイリンガルの場合はどうか?というのは最近の研究になるが、今井むつみは『ことばと思考』の中で、バイリンガルは、モノリンガルと同じ情報処理を二つ並行して持っていて、どちらかの言語を話すかによって使い分けるというイメージをもたれているがそうではないと述べている。言語の音処理などは無意識なので、その人の優勢な言語に特化していて、優勢ではない言語のモノリンガルの処理とは異なると指摘している。
二つの言語をネイティブとまったく同程度話せるというバイリンガルも少ないが(レベルの判断も難しい)、それぞれのモノリンガルの言葉の使い分けと異なり、相互に干渉しあう独特なものになるようだ。もちろん、母語がはっきりしている場合は、第二言語が母語の影響を強く受ける。
ここでは、バイリンガルが、片方の言語を使うとき、モノリンガルと同じ認識体系にならないとしても、それぞれの言語の使い方によってかなり思考が影響されるということが研究によって明らかになったことが報告されている。
言語が思考と知覚のフレームをある程度決めるのは確かだろう。それが決定的な差ととるか、大した差ではないととるかは人によるだろう。バイリンガルは、それを確認するために重要な存在であるといえる。
色の知覚においても、バイリンガルの場合は、どちらの言語にも影響を受けているだろう。しかし、片方の言語が優位な状況下において、知覚が変わるのかどうかはわからない。そのようなことが実験で証明できれば面白い。
ただ、知覚のカテゴリーの範囲は、言語によって変わるので、バイリンガルといっても、色彩語の場合は、両方の言語の知覚のカテゴリーの範囲を把握しているのか、単なる記号として言語を知っているのかではかなり条件は異なる。
この問題は、後天的に異文化の色彩感覚を習得できるのかどうか、という問題とも大きく関わってくる。さらなる研究を待ちたい。
参考文献
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