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ニール・ハービソン「僕は色を聴いている」三木学

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「色聴」という言葉がある。意味は文字通り、色を聴くことかと勘違いするが、正確には音を見ると言った方がよい。つまり、「黄色い声」に代表されるように、音を色として認識することを言う。

 

 

これは共感覚の一つで、音の情報を脳内の視覚野で処理して、色として認識する現象である。共感覚は他にも幾つかあるが、もっともポピュラーなものだろう。「黄色い声」は、正確には共感覚ではなく、比喩の域を出てないかもしれないが、ある程度誰でも音に色を感じることはある。例えば、カンディンスキーやクレーなどは、音楽を「描く」ことをテーマにしていたし、特に画家の中には共感覚が発達した人がいるのは確かだろう。もっと強く共感覚が働く人がいることがわかっているが、その程度を調べるのは難しい。

 

しかし、ここで紹介されているニール・ハービソンの例は、「色を聴いている」ことには違いないが共感覚ではなく、直接的に聴いている。正確に言えば、色の周波数を可聴領域に変換し、変換された音を聴いていることになる。だから、色の違いを認識しているが、色自体が見えいるわけではない。

 

ニール・ハービソンは、もともと全盲として生まれており、錐体などの目のセンサーが色を認識していないわけではなく、脳の色彩情報処理を行う部位が欠損しているのだろう。だから、世界をグレースケールで見ている。正確に言えば色のない世界であり、それがグレースケールといえるのかはわからない。

 

しかし、2004年、21歳から色を音に変換するセンサーを装着し、後頭部にあるチップより骨伝導で音を聴いている。頭の前に触覚のように突き出した変換センサーに、色のある物体をかざせば、音に変換されて色を認識することが可能だ。極端に言えば、目をつぶっても色を認識できる。

 

彼は、はじめは色と音の対応をメモして認識する必要があったが、今では音のみで色を考えずに聴き分ける(見分ける)ことができると述べている。そして、今やセンサーとソフトウェアが、自分の体・脳と一体化しているという。実際、パスポートでは、センサーを身に着けた証明写真が認められている。そして、美術館においては、オーケストラのように色を聴き、スーパーマーケットでは、賑やかな色を聴いている。

 

驚くべきは、色を認識できない、ということを補うために、色を音に変換して聴くようにしたのだが、音楽や演説などの音も「色」として認識するようになったことだ。もちろん、変換された音としての色なのだが、色情報と音情報が深く結びつき、すべての音を色に逆変換できるようになっている。それは拡張された脳の機能といっていいだろう。音と色との変換式が、どのようなっているか不明なので、その対応自体が正しいかどうかはわからないが、音楽や演説から変換された色彩構成は興味深い。マーティン・ルーサー・キングヒットラーの演説から変換された色彩構成が、どちらなのか当てられる人はいないかもしれない。少なくともヒットラーの方が陽気に見える。

 

現在では彼は色相環の360色を認識できるらしい。それだけではない。可視光線を超える、紫外線や赤外線までセンサーが認識できるようにしているという。紫外線が多い日かどうか、音によって理解できるということになる。

 

彼がいうように、もはやこれは感覚の補完ではなく、感覚の拡張であり、サイボークとしての新しい可能性であるといえる。

 

参考文献

 

色彩の心理学 (岩波新書)

色彩の心理学 (岩波新書)

 

 

 

人はなぜ色に左右されるのか―人間心理と色彩の不思議関係を解く (KAWADE夢新書)

人はなぜ色に左右されるのか―人間心理と色彩の不思議関係を解く (KAWADE夢新書)