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畠山容平監督「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」三木学

昨日、大阪のブックカフェ、カロで上映された「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」を見た。畠山さんは、言うまでもなく、今や世界のアートシーンの中でも非常に重要な位置を占めるアーティストである。日本では、写真家と言われるが、海外においての認識はアーティストである。写真をメディウムとするアーティストということになる。

 

 

畠山さんは、岩手県陸前高田市の出身で、石灰石鉱山の採掘現場や工場を撮影したシリーズ『ライム・ワークス』で木村伊兵衛賞を受賞し、注目されるようになった。その後、ベネチア・ビエンナーレの出展をはじめ、世界の美術館で展覧会が開催されるようになっていく。

 

『ライム・ワークス』のあとがきには、自分は個人的な記録として写真を撮影することはない、と述べており、あくまで世界を観察するための道具として写真を使っているとしていた。その姿勢は、ついこの間まで一貫していた。

 

しかし、2011年に東日本大震災が起こり、畠山さんは陸前高田の湾岸に流れる気仙川沿いに住んでいた母親を亡くした。この映画は、畠山さんが地震の後に、東京から陸前高田まで、自分のバイクで実家の様子を見に行く準備をしてい時、たまたまノルウェーの放送局にインタビューをされるところから始まる。その時は、二人の姉の無事は確認できたが、母親の様子はわからない、と答えている。そのときの状況や、畠山さんの心の動きは写真集『気仙川』に克明に記述されているので参照されたい。

 

写真集『気仙川』では、陸前高田が震災に合う前に撮影していた、甘美な陸前高田の風景や町、お祭りなどの写真と、震災後のすべてが崩壊してしまった写真の二つの時間から構成されている。それは、畠山さんが、震災前に実家を改築するにあたり、何度となく家に帰る機会があり、その際に作品として発表することを考えずに、撮影していた写真だった。

 

「こういう個人的な写真を発表することは今まではしなかった。これらの写真はとても穏やかな写真に見えます。ここに笛を吹いている女の子がいるでしょう?とてもかわいらしい」

「ええ」と畠山さんのスタジオに見に来ているキュレーターは笑顔でうなずく。

「でも、この子のお父さんは震災で亡くなってしまったのです。その父親は僕の友達なのです。それを知ればこの写真の意味はまったく変わってきますよね?」

そこでキュレーターは、言葉を詰まらせてしまう。

 

畠山さんは価値観が転換し、こういう写真も見せるべきなのではないか、と思うようになる。今までは美術館で見せるものとして撮影してなかったものであるが、それを作品として見せたときに、作品とは何か?根本的な問いをしなければならなくなるとインタビューでは自問している。写真集『気仙川』で掲載されている写真は、震災の半年後、東京都写真美術館で開催された大規模回顧展『ナチュラル・ストーリーズ』において発表されたものである。

 

その後、陸前高田に畠山さんは通い続ける。性急に答えを出すのではなく、ひたすら体を動かし、観察することで、自分の脳と体に刻み付けるように、変わり果てた陸前高田を歩き、写真を撮り、地元の人たちと会話を交わす様子が撮影されている。1ヶ月に1度は陸前高田に通い、その生活を4年近く続け、写真集『陸前高田2011-2014』にまとめられた。

 

フランスの美術館に呼ばれ、キュレーターがなぜ畠山さんを呼んだか説明するシーンがある。「悲惨なカタストロフィーの後に、宗教的なものではなく、心を癒してくるものは畠山さんの写真しかないと思った」そういうような趣旨を言ったと思う。

 

陸前高田は変わり続けており、今や町の痕跡もなくなるほど大規模嵩上げのための土木工事が進んでいる。それでも畠山さんは、陸前高田に通い続ける。それは過去の記憶を取り戻すための行為じゃないとしたら、「未来をなぞる」行為だといっていいのかもしれない。

 

「母はとても楽観的で物事をポジティブに捉える人でした」

畠山さんが母親の思い出を語るシーンがある。言い尽くせない悲惨な出来事が起きて、現在もまだ深刻な状況は変わらないけれど、畠山さんが母親に持っていたポジティブな印象と、港大尋のアコースティックな音楽が、見るものの気持ちをほぐしてくれる。

 

長く見続けるからわかることがある。持続的な視線の力が、見えなかったものを徐々に明らかにしていく。悲惨で複雑な出来事を、時間をかけて心の中で処理していく。畠山さんの個人的な視線を通して、見ている我々も、それを追体験していくような気分になる。性急に答えを求められる時代だからこそ、畠山さんのような長い視野から得られる写真の価値があるのだとこの映画を通して痛感させられる。

 

映画監督、畠山容平くんは、畠山さんの教え子であり、血縁関係はない。ただ、畠山容平くんの父親も、気仙川出身だということで、二人の静かでいながら、強い意志のあるやりとりにも共感を覚える。彼らの視線は、個人的なものかもしれないけれど、彼らが見ている視野はとても広く、世界につながっている。震災から4年を過ぎた今だからこそ、この映画の持っている持続的な視線から得るものは大きいだろう。

 

この映画は、海外でも配給を考えており、そのためのクラウド・ファンディングを実施中なので、関心のある方は是非、ご協力頂きたいとのことなので紹介しておきます。

motion-gallery.net

 

参考文献

 

 

ライム・ワークス LIME WORKS

ライム・ワークス LIME WORKS

 

 

 

気仙川

気仙川

 

 

陸前高田 2011‐2014

陸前高田 2011‐2014