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「人工知能の見る夢と記憶」三木学

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最近、人工知能に関するニュースが多くなった。しかし、かつて人工知能が流行した70年代~80年代とは様相が大きく異なる。当時は、脳のような演算を、コンピュータによる人工知能によって再現しようと、幾つかの手法が提案されたが、目標があまりに遠く挫折していた状態だった。

 

 

それが復活したのは90年代後半から2000年代に入ってからかもしれない。インターネットによって大量にデータが集積されることによって、質が向上し始めたのだ。コンピュータの処理は、脳の処理と違うが圧倒的なデータ処理によって、チェスや将棋などの限定された状況においては、人間の知能に勝つケースが出てきた。埋められなかった人間の脳との差を、量によって補えるようになったのだ。

 

だから、人工知能の性能は、データをどれだけ持っているかに依存する。その意味では、GoogleFacebookなどのインターネット企業がその最前線に位置することは間違いない。

 

Facebookは、保有している大量の画像を組み合わせて、本物と見分けのつかない、まったく新しい画像を作り出せることを発表した。

www.nikkei.com

 

Googleは、それとは逆であるが、画像認識の範囲を広げることで誤認識をあえて起こさせ、それをフィードバックさせることで、奇妙な夢のように見える画像群を発表した。

japanese.engadget.com

 

一見、「本当だと見間違うことを目的に作られた嘘の画像」と「本当(似ている)と勘違いさせることによって作られた嘘だとはっきりわかる画像」という、真逆なアプローチであるが、大量の画像群から、新しい画像を作成するということには変わりはない。

 

人間の記憶や想起が、固定されたデータの再現ではなく、都度、新たに組み合わせて生成されることを考えれば、アプローチの違いはあれど、その工程は似てなくはない。二つの画像を見たときに、感じる気持ちの悪さは、似て非なるものを見た時のものだろう。

 

それは、チェスや将棋において棋士が、コンピュータに知性に似たものを感じるそれに近いのかもしれない。創造性の領域まで、コンピュータが犯すようになったとき、人間に残る領域は非常に少なくなる。コンピュータが創った創造物を選択するだけになるかもしれない。それが悪夢なのかどうかはまだわからないが、その日が訪れるのは近いだろう。

 

参考文献

 

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)

記憶―「創造」と「想起」の力 (講談社選書メチエ)