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カワイイブームの先駆け-濱田信義『大正着物』三木学

 

大正着物

大正着物

 

 

明治以降、日本人は元号と西暦の二つの時間を生きているといってよい。正確には太陰暦から太陽暦に変わっており、すでに太陰暦は使っていないが、干支はまだまだ現役で使われており、旧暦の影響も少なからずあるだろう。

 

 

『大正着物』と銘打たれたこの本は、まさに元号が時代性を表している象徴でもある。この本にも書かれているように、大正時代は1912年から1926年というわずか14年しかないが、様々な文化の過渡期であり、西洋由来のモダニズムと日本文化が程よく融合していた時代と言ってもいいだろう。

 

美術工芸の分野では、アール・ヌーヴォーからアール・デコが代わって流行し始めた時期にあたる。アール・ヌーヴォージャポニスムの影響を受け植物的な装飾で知られているが、アール・デコは鉱物的、幾何学的とも称される装飾になる。アール・デコは、「アール・デコラティフ(装飾芸術)」の略称で、1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際展」に出品された作品群の特徴から名付けられた。

 

簡単に言えば、まだまだ手作業が中心だったアール・ヌーヴォーに対し、産業化した製品における意匠・装飾に変化したということになる。それは、日用品から建築に至るまでそうである。

 

アール・デコが日本に流行したのは厳密には、20年代から30年代なので、大正から昭和初期にかけて、ということになる。また、モガ・モボという言葉が流行したように、昭和初期になれば洋装も交じってくるので、着物のアール・デコというのは意外に期間が短い。だから、この本でいうところの『大正着物』とは、厳密な大正時代というわけではなく、時代精神のようなものを指していると思われる。

 

そこには他の製品のように、技術革新が大きく関係している。明治後期には、海外から輸入した化学染料の技術を日本でも作れるようになり、色彩がいっきに鮮やかになっていく。特に、昨今のアンティーク着物ブームで注目されているのは銘仙だろう。銘仙については本書の解説を引用しよう。

 

銘仙は埼玉県の秩父群馬県の伊勢崎地方で、江戸時代から作られていた太織(太い練り糸を用いて織った着物)の一種で、無地または縞を主とした実用的なものとして、大衆織物として独自の色と柄が生み出されていった」

 

本書では、銘仙のモダンなデザインは、関西の百貨店で採用されたヨーロッパからの輸入ではなく、アメリカ経由のものであり、特に昭和10年頃があか抜けて鮮やかで大胆と記されている。このことからも、本書で指す「大正」がそのまま元号の意味ではなく、明治後期から昭和初期にかけて、大正デモクラシーなど民主化が進み、大衆文化が花開いた時代精神だということがわかるだろう。

 

そのため、大正ロマンの画家として知られ、明治後期から昭和初期にかけて活躍した竹久夢二や『吾輩ハ猫デアル』で装幀家としてデビューし、アール・ヌーヴォーの画風で知られる樋口五葉などが描いた挿絵や百貨店広告を挿入しながら、当時の雰囲気とともに、『大正着物』を紹介している。

 

文様は、植物、動物、器物、鉱物に分けられているが、全体に一貫する鮮烈な配色とモダンなデザインに目を見張るだろう。着物は、今では地味で落ち着いたものという印象であるが、明治後期から昭和初期にかけて、色彩・文様革命があった痕跡が克明に残されている。

 

それは、女子学生や若い女性の間で流行し、今日でいうところの原宿で起こったカワイイ文化の原形だといってよい。実際、現在の若い女性に本書を見せれば、カワイイと言うに違いない。

 

時代は一周回って、今日、本書で紹介されているような色鮮やかな着物が見直されるようになっている。この時代の色彩感覚が熟成されていたら、現在のように地味か派手かに二極分化した日本ファッションではなく、西洋由来の化学染料を上手く日本文化に溶け込ますことが可能だっただろう。戦争を挟んだことでこれらは衰退し、戦後になると洋装に一変してしまうので、この時得られた色彩感覚も失われてしまったのが残念でならない。

 

だが、今日『大正着物』を顧みることで、この時代に獲得したものを土台に、新たなファッションや色彩文化を築く糧になるに違いない。本書の企画・編集は元京都書院、アムズアーツプレスの濱田信義さん、デザインはアートスクールで同級生だった、谷平理映子さんである。京都の美術出版文化が脈々と受け継がれていることも喜ばしい。

 

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