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漫画と集団制作の可能性「浦沢直樹の漫勉」三木学

www.nhk.or.jp

NHKEテレの「浦沢直樹の漫勉」が面白い。浦沢直樹が注目する漫画家の制作過程を詳細に記録し、それを元に対談をするという構成で出来ている。

 

漫画というよく知られたメディアの制作過程がそれぞれかなり異なることが明らかにされている。何よりも白い紙から絵とストーリーが浮かび上がる過程は魔法のようであり、浦沢直樹の言うとおり瞠目に値する。将来的にも貴重なアーカイブになるだろう。用事があったため、初回の東村アキコと、第四回のさいとう・たかをの二回のみしかまだ見ていないのだが、十分に見ごたえたがあった。

 

東村アキコと言えば映画化された『海月姫』など、今人気の漫画家であるが、美大受験のための絵画教室の先生との思い出を自伝的に描いた『かくかくしかじか』はアーティストにも評判がよく、美大漫画としてはもっともリアルで共感を得ている作品だろう。

 

また、最近Web上で連載が開始され、冴えない男性アシスタントを、いけてるアラサー、アラフォー女性のヒモにするまでの過程を描く実録漫画『ヒモザイル』も話題だ(なれるかどうかはわからない)。

www.moae.jp

 

四回目のさいとう・たかをは言うまでもなく『ゴルゴ13』で知られる漫画家であるが、早い段階からプロダクション制にしたことでも知られている。プロダクション制というのは、漫画家が個人事業主として受注し、繁忙期にはアルバイトのアシスタントと作業分担をする一般的な体制と違って、法人格にして制作プロダクションとして受注することをいう。

 

どう違うかというと、法人格にした場合、著作物の著作権は法人ものになる。コピーライトも法人名か、社長である漫画家の名前と法人名の併記になっているケースが多い。それ以上に、制作体制として、ストーリーのアイディアから作業に至るまで共同制作の度合いが高くなり、アシスタントは社員として雇用されることになるので、正社員になれば給料やボーナス、福利厚生までつくことになる。

 

プロダクション制は、さいとう・たかを始め、手塚治虫赤塚不二夫水木しげるなど、黎明期で活躍した多くの漫画家たちが取り入れていた。それはさいとう・たかをが、指摘していたように、漫画という表現が、絵とストーリーなどの異なる技能が詰まっているからでもある。すべてが得意な人はそうそういない。さいとう・たかをが、手塚治虫を見て、1人でも映画が作れると気付いたように、日本の漫画は映画をいかに紙と絵で表現するか、ということで発達したところがある。それは必然的に、映画監督、脚本家、カメラマン、役者、照明、音声など複数のスペシャリストで構成される映画のような分業制を模倣することに繋がる。

 

手塚治虫宮崎駿がアニメーション映画『白蛇伝』を見て感銘を受けたことは良く知られているが、手塚治虫は初期からアニメーション映画を想定していたといっていいだろう。結果的に、漫画を原作に、セル画の枚数を減らしてアニメーションを作る日本独自の「アニメ」が手塚治虫自身によって発明されることになる。そもそも、漫画自体に映像作品の原作としての要素が含まれているといってよい。今日のテレビドラマや映画のかなりの割合が、漫画が原作なのも必然だといえるだろう。

 

そこで、東村アキコに戻るが、『ヒモザイル』では、おそらく正規雇用ではなく、アルバイトもしくは個人事業主として受注しているアシスタントを、アラサー、アラフォーのOLのヒモにする内容だ。それはアシスタントが、すでに30歳を過ぎているものもおり、個人として連載を持ったり活躍できる可能性がほとんどない、ということを前提としている。そのことを、漫画はママ友にその事実を指摘されることに端を発している。

 

しかし、よく考えれば、漫画で食べていける才能は一握りであり、それでも得手不得手はある。黎明期の漫画家のように、プロダクション制にして彼らを雇用すればある種の解決にはなるだろう。

 

それには課題がある。一つは漫画産業が成長期で、仕事がどんどん増えていること。漫画家としてデビューしたいアシスタントが、独立するほどの才能がない事実を認識し、特定の漫画家のサポートをすることに生きがいを感じられるようになること、である。

 

東村アキコが懸念材料として挙げているように、漫画というより出版業界が斜陽になってきており、成長期を過ぎていることがある。だから、プロダクション制を採用するのは、これからは難しいのかもしれない。しかし、さいとう・たかをは、まだまだ漫画を発展させることができる、ということを述べていた。

 

漫画が雑誌連載、コミック販売というサイクルではなく、新たなビジネスモデルを築けるか、それがこれからの課題だろう。件の『ヒモザイル』がWebで連載されているというのは象徴的である。

 

しかし、要素の詰まった漫画を複数の才能で集団制作するという可能性はまだまだ試されていない気がする。ディズニー映画が何人もの脚本家によってストーリーが作られ、複数のスペシャリストによって作られているように、漫画でもそのような可能性はある。ジブリ宮崎駿高畑勲を中心とした作家主義であるがために、制作体制を維持できないことと同じことは漫画でも起こっている。作家主義ではない漫画の可能性はこれから試されていいのではないか。その人材が豊富にいるのも日本だけであり、新たな革新が生れる土壌はある気がしている。

 

ストーリーに関しては、雑誌編集者がその代わりを果たしていたこともあり、当の浦沢直樹も元編集者と共同原作にしている場合がある。漫画の持っている可能性はまだ発掘しきれていないのかもしれない。

 

参考文献

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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