知覚と認識の余白-鈴木里理策写真展「意識の流れ」三木学

「人はたいてい写真に写っている対象が何かわかると、見るのをやめてしまいます。無意識のうちに写っている内容を言葉に置き換えて、たとえば「熊野の風景だ」「桜だ」「雪だ」という具合に対象を認識したとたん、それ以上見ようとはしません。でも見るという行為は、ゆらぎを含んだ動的なものであるはずです。そこで私は…