shadowtimesβ

ビジュアルレビューマガジン

スポンサーリンク

和田三造が牽引した色彩調和論の結晶『配色辞典 応用編 大正・昭和の色彩と商品デザイン』三木学

 

配色事典 応用編 (青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)

配色事典 応用編 (青幻舎ビジュアル文庫シリーズ)

  • 作者:和田三造
  • 発売日: 2020/03/23
  • メディア: ペーパーバック
 

 

日本は柳田國男が「天然の禁色」と指摘したように、江戸時代までの日本は基本的には天然の染料・顔料を使って、絵画や織物などを制作しており、鮮やかさには自ずから限界があった。ただし、その中においても、ベロ藍(プルシアン・ブルー)などの化学染料が少しずつ入ってきて、若冲などが先駆け、江戸末期には北斎や広重などの浮世絵に多用されている。

 

明治に入ると、19世紀に西洋で発達した化学染料や顔料が大量に入ってくるが、それらを受容し自分のものとして使えるようになるには時間がかかった。江戸時代には奢侈禁止令の影響で、「四十八茶百鼠」と称されるように、茶色や灰色の種類は豊富にできたが、高彩度の色の配色をコントロールする感覚は備わっていなかったからだ。鮮やかな色を駆使できるようになったのは、大正や昭和初期になり、自国で化学染料や顔料が作れるようになってからのことだ。「銘仙」などの今見ても鮮やかな着物の斬新な配色はまさに一つの成果といえよう。

 

そのような西洋由来の色彩科学を取り入れる中で、和田三造の果たした役割は大きい。和田三造という名前は知る人は多くないかもしれないが、第1回文部省美術展覧会(文展)で、最高賞を受賞した《南風》は、一度は見たことがあるのではないだろか。教科書などにもかなり掲載されており、小舟に乗る筋骨隆々な半裸の男性らの絵から、西洋絵画の描法を見事に会得していることがわかる。

 

和田三造は画家として一流なだけではなく、装飾工芸や色彩研究にも力を注ぎ、日本標準色協会を創立し、当時日本にはなかった色見本の作成を行っている。日本標準色協会は改組し、日本において唯一の色彩研究の財団法人、日本色彩研究所になり、現在も続いている。

 

東京美術学校図案科教授にも就任し、若いデザイナーと一緒に、色見本に基づいて実践的な配色のカタログ『配色總鑑』を刊行しており、以前、『配色辞典 大正・昭和の色彩ノート』として青幻舎から復刻された。

 

今回、続刊として『配色總鑑 B篇』(昭和9-10年)、『五百選新作図案集』(昭和13年)の中から、日本の季節をイメージした72パターンの多色配色、昭和初期の服飾・インテリア・グラフィックデザインなどから161点の配色例を掲載した『配色辞典 応用編』が刊行された。

 

フランスに留学していた和田三造の配色理論は同色調と異色調からなり、類似と対照からなるシュヴルールの配色理論に近いものがあり、どこまで影響を受けていたかわからないが、西洋的な配色や染料と、日本的な季節感をうまく統合しているように思える。

 

現在の人々と好みは違うかもしれないが、大正・昭和初期において、西洋と日本の色彩調和理論とその実践が結晶化していることがわかるのではないだろうか。その後に戦争が激化してまさに灰色の時代となり、ひるがえって戦後は新素材の開発やアメリカ文化の流入によって、色彩文化は大きく変化していった。ただ残念ながら、原色が氾濫した景観や看板などの色彩環境はお世辞にもバランスがとれているとは言い難い。そういう意味では、ここで示されている大正・昭和初期に築いた配色文化は、和と洋のバランスがとれており、現在の我々にとっても示唆に富んでいるのではないだろうか。

失われた「未来都市」を求めて。建築が都市に、都市が建築になった時代を描く―橋爪紳也監修編著、高岡伸一・三木学編著『新・大阪モダン建築-戦後復興からEXPO'70の都市へ-』(青幻舎)三木学

Webスナイパーに『新・大阪モダン建築』を少し違った角度から紹介させていただきました。是非ご高覧下さい。

http://sniper.jp/011review/0111book/expo70.html?utm_content=posttweet&utm_source=sample&utm_media=twitter

 

『新・大阪モダン建築 戦後復興からEXPO'70の都市へ』ができるまでー三木学

 

新・大阪モダン建築 -戦後復興からEXPO`70の都市へ-

新・大阪モダン建築 -戦後復興からEXPO`70の都市へ-

 

 

すっかりこのブログに投稿するのも久しぶりになってしまった。この間、さまざまな媒体に寄稿したり、アプリを制作したりしていたので、まったく暇がなかったのだが、久しぶりに本を制作したのでご紹介したい。

 

この本は、2007年に出版し、現在でも新装版として増刷されている、『大大阪モダン建築』の続刊という位置づけになっている。ただし、その造りは全く違うものだ。『大大阪モダン建築』を制作していた頃は、リーマンショックの前で大阪も少し景気が上向いてきていた。そのため、都心部の再開発が再び動き始めていたのだ。そうなると、土地の狭い大阪では、最初に壊されるのは古いビルだ。

 

だから、戦前の貴重な建築もその対象になっていたのだ。そのため、僕たちは有志で、戦前の近代建築を利活用して、できるだけ残るよう運動をしていた。運動といっても、古いビルでフリーマーケットをしたり、街歩きをしたり、近代建築のオーナーを集めて、座談会をしたり、とできるだけ楽しむことを心掛けていた。

 

大大阪」という聞きなれない言葉は、戦前、関一市長が大阪の本格的な都市計画を着手し、1925年の第二次市域拡張の結果、東京市の人口を抜いて国内一位、世界6位という規模になったとき名乗っていたのものだ。グレーター大阪と言う意味でもあり、偉大な大阪と言う意味でもあっただろう。

 

大阪には、明治から昭和初期まで、大大阪の都市の記憶を残す近代建築が都心部に多数残されていた。しかし、大阪は横浜や神戸のような居留地があったわけでもないし、銀座のような街並みが形成されていたわけではなく、民間主導で作られた建築が多かった。だから中之島を除いては、船場地区を中心に点在していた。それをめぐるにはガイドブックが必要であったし、それまで建築専門家向けに作られたものしかなく、絶版のものが多かったのだ。そして、橋爪紳也先生に監修になってもらい、高岡伸一さんと79件の建築を、エリア別に紹介していく本を作ったのだった。

 

戦後になって、大阪都心部のモダン文化の記憶がなくなっていたので、大阪の人もこんなにモダンでハイカラな建築があったのかと新鮮な驚きを示してくれて、メディアによって下町文化ばかりが注目されてきたので、とても好意的に受け入れてくれたのだった。それ以降、NHKの朝の連続ドラマも、大大阪時代を舞台にすることが多くなり、すっかり日本中に浸透するようになった。また、レトロ建築を案内する本もたくさんの種類が出るようになった。それからすでに12年である。

 

戦後から高度経済成長期の建築を紹介する本も増えてきていた。何より、大阪では2014年より、はじめは大阪市が音頭をとり、現在は民間主体で橋爪先生や高岡さんらが中心となって「生きた建築ミュージアム」という事業が行われており、街中の建築を公開する生きた建築ミュージアムフェステバル(イケフェス)が開催されるようになった。毎年、延べ3万人以上を動員する日本最大級の建築公開イベントに成長しており、充実したガイドブックも出版されている。

 

だから、現在、戦後を対象とした本を作るとしたら、ガイドブックではなく、歴史をたどる本にした方がいいと思ったのだ。「生きた遺産」という概念を援用し、現存する建築を「生きた建築」として、街の誇りにする運動は素晴らしいと思う。もう一つ参考にしたものとして、「オープンハウスロンドン」という、建築公開イベントがある。それはもともと「オープンガーデン」という、イギリスのガーデニング文化から援用されたものである。その日は古い建築から、著名な建築家が設計した新しい建築まで、一般市民に公開される。「生きた建築ミュージアムフェステバル」はかなり市民に根付く建築公開イベントになっているのではないかと思う。

 

ただ、「生きた建築」も貴重であるが、解体された建築も都市にはたくさんある。現存している建築が素晴らしく、解体された建築が良くなかったということでは当然ない。2007年からの12年間でも随分と建築が解体されている。だから、その年代の街を追体験するには、現存・解体に関係なく、都市のランドマークになっていたりするシンボリックな建築を取り上げ、竣工当時の写真を使いながら紹介してみたい、と思ったのである。

 

また、戦後のシンボリックな建築は、都市インフラと結びついることが多く、作家性が希薄なことも多いため、現在、戦後モダニズム建築として世界で評価されている建築の枠に入らないので、そういう建築をもっと世界の人にも知って欲しい。
高速道路のような土木的建造物なども都市を織りなす重要な「建築」として取り上げたい。
大阪万博は、メタボリズムの建築が大活躍した博覧会として世界中で知られるようになったけど、戦後の都市計画は大阪万博の関連事業で推進したとろもあるし、意匠に関しても無関係ではないので、もう少し連動していた状態を紹介したい。

などなどいろんな思いがあった。

 

実は、最初の企画書では『大阪プログレス建築』と命名していた。理由は、大阪万博のテーマである「人類の進歩と調和」の進歩=プログレスが、その時代を表す言葉として適していると思ったからである。実際、当時の建築業界でもプログレスは頻繁に使われている。ただ、「プログレッシブ・アーキテクチャー」というアメリカの建築雑誌があり、そことの関係を問われるということと、建築史の用語として「プログレス建築」というものはないので、別に定義づけが必要になるという指摘もあり、戦前の「大大阪」に変わる言葉として「新・大阪」となった。高岡さんがあとがきで書いているように、新を冠したビルは戦後とても多い。
同時に、「伸」と言う言葉もたくさん使われており、戦後の大阪市の広報誌は「伸びゆく大阪」であり、最高にデザインがかっこいい。実は「伸びゆく大阪」の現代版を作りたいという思いもあったのだ。そういう意味では、「シン・大阪」とするのがよかったのかもしれないが…。

 

それで、最初は『大阪人』という、大阪都市協会が作っていた雑誌で「戦後建築」を特集したこともある大阪歴史博物館の酒井一光さんに建築紹介の本文を書いてもらうよう依頼した。ただ、依頼した当時すでに病気が発覚しており、5本の記事を書いた段階で病状が悪化し、大変残念なことに2018年6月に亡くなられてしまった(うち3本収録)。

 

そのため、高岡伸一さんにその続きを書いてもらうよう依頼し、リストを再検討してもらい企画を継続することになった。とはいえ、高岡さんは建築史が専門ではないうえ、この本がテーマにしているのは、建築と都市の間の、本来取り上げられることが少ない建築が多い。また、昨年から近畿大学准教授に就任していて授業も忙しく、この本を書きおろすのは大変な作業であった。そして、すでに解体されている建築も多く、図版の収集がこれまた苦労した。

竹中工務店大林組大阪府には、かなりの図版を提供してもらい、感謝してもしきれないくらい協力してもらったのだが、それでもたりない。所有者・公文書館大阪歴史博物館・新聞社などからかき集めたのだった。すでに解体された建築もさることながら、今でも残る建築も竣工当時の街の中で見るとかなり新鮮であることがわかっていただけるだろう。

 

そして、2年半かかってようやくできたのが本書である。その間、2025年大阪万博の開催が決まったが無関係に作ったもので、どちらかといえば解体された建築、忘れられた都市の記憶を引き継ぐためのものだ。

ここまでまとまった戦後の大阪の建築を扱った本は初めてだろう。同時に、都市の歴史を知ることになり、現在の大阪の姿がなぜこうなったのか、それからどう変わったのか、いろんな発見があるだろう。今までに類例のない本で、ガイドブックでもないため、そのまま街歩きに使えるわけでもないから、前のような実用書というわけではないが、ちょっとしたタイムトラベルを味わえると思う。大阪の新しい側面を発見できるので、是非、大阪の人も他県の人も見て、読んでいだければと願っている。ひょっとしたら未来は過去の中にあるのかもしれないのだから。

 

参考

 

新装版 大大阪モダン建築  輝きの原点。大阪モダンストリートを歩く。

新装版 大大阪モダン建築 輝きの原点。大阪モダンストリートを歩く。

 

 

大阪人 vol.59

大阪人 vol.59

 

 

生きた建築 大阪

生きた建築 大阪

 

 

 

生きた建築 大阪2

生きた建築 大阪2