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ビジュアルレビューマガジン

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アートが与える価値とは何か?『現代アート経済学』三木学

 

現代アート経済学 (光文社新書)

現代アート経済学 (光文社新書)

 

 

先日、アート大阪という、アートフェアを見に行った。アートフェアというのは、ギャラリーが集合して、コレクターに売るための見本市のようなものだ。世界的にはアートバーゼルなどがよく知られている。日本でも近年、アートフェアが行わるようになり、アートを購入するということが特別なことではなくなってきた。アート大阪でも10数年続き、世界のギャラリーが少しずつ参加することで変化がみられた。

 

 

著者は、日本にはまだ少ない現代アートのコレクターとして知られ、海外事情にも精通している。価格の高いことも多く、海外の財閥や資産家が多く購入する現代アート作品を、一般企業に勤めながら購入しているというのも珍しい。

 

2000年代に入ってから、特にギャラリストとコレクターを強力に結びつけるアートフェアと、ベネチア・ビエンナーレやドクメンタに代表される国際展が各地で開催れている。特にアジア圏の増加は著しい。

 

本書では、世界と日本のアートとお金にまつわる事情を、コレクターという重要なプレイヤーの一人として網羅的に紹介しており、現在のアートシーンを理解するための指南書になっている。

 

本書で、都市おこし型として定義されている、ベネチア・ビエンナーレはもっとも古い国際展である。イタリア王国に遅れて編入されたベネチアは、1895年、政治的、経済的な低迷を脱するために国王夫妻臨席のもと、「第一回ベネチア市国際芸術祭」を開催した。それが会期中22万人の動員に成功したため、隔年の芸術祭が決定し今日に至る。万国博覧会をモデルとした事業の拡大を図ったという。

 

これが世界各地、日本各地で開催されている「都市おこし」、「地域おこし」型の芸術祭のモデルであると言える。僕は瀬戸内国際芸術祭の小豆島、醤の郷+坂手港プロジェクトの記録集でもある『小豆島にみる日本の未来の作り方』に寄稿した際、大阪万博の大成功の後、80年代まで地方博覧が行われたが、バブルとともに頓挫し、その後、小規模からできる地域おこし型の芸術祭が盛んになった経緯を述べた。そういう意味でも万博と芸術祭は、一過性と継続性という違いを持つ二つの現代の祭りの形だろう。

 

一方、ドクメンタは、ナチス政権下に前衛的表現を弾圧した反省に基づき、激しい空爆のあった戦争の記憶の残るカッセルにおいて、先進的なアートを紹介する国際展として1955年に開始された。万博の型式をなぞり、基本的に国別のパビリオンで国を代表するアーティストが選出されるベネチアとは異なり、一人のディレクターがテーマとアーティストの選出をして、強いメッセージを打ち出すドクメンタは、対照的な国際展とされている。

 

アジアでは、光州事件の記憶を残す、ドクメンタ的な韓国の光州ビエンナーレが1995年に始まり、1996年に上海ビエンナーレ、1998年には台北ビエンナーレが開催されている。日本では、2001年に横浜トリエンナーレ(3年に1回)が開催されたのが最初といっていいだろう。その前にも東京ビエンナーレや京都ビエンナーレなどが行われていたが、国際性の度合いが今とはかなり異なる。

 

著者のいう観光地ツーリズム型国際展である、大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレが2000年に、瀬戸内国際芸術祭が2010年に開催され、地域こしの手段として、日本各地の地域がモデルとするようになった。

 

基本的には、芸術祭にかける予算に比べて、経済波及効果がはるかに高いため町おこし、地域おこしとして注目されるようになったのだが、昨今のように乱立するようになると、それぞれ工夫していかないと継続するのが難しくなるだろう。

 

また、「ベネチアで見て、バーゼルで買え」という格言めいたものがあるように、国際展はかなり作品の価値にも影響を与える。90年代、森村泰昌さんなどが世界的に知られるようになったのは、ベネチア・ビエンナーレがきっかけだった。そのように、今日における国際展は、作品の信用度や価値を高めるために機能している部分もある。

 

最近では、ファンドビジネスなどが積極的にアートを購入するようになっており、アートの資本的価値は非常に高くなっている。今やアートはコンテンツ市場では、映画や音楽と比較しても一番大きいと言われている。その理由は、映画や音楽の市場がデジタル化で縮小したことで、物質性を残すアートに資本が集中し始めたということもあるだろう。もちろん、そこには投機性も帯びてきている。作品の価値が数年で何倍にもなる可能性のあるアートは、投資としても特別な商品であることは間違いない。

 

一方で、地域の芸術祭では、そのような世界的な美術市場にのらず、地域や社会の問題に向き合いながら、ソーシャル・プラクティスと言われるような、作品というより継続性のあるプロジェクトを続けるアーティストも増えてきている。ただ、そのようなアートであっても地域に与える有形無形の価値は大きいだろう。

 

そのようなグローバル市場における中に資本としてのアートと、ローカルな市場にのらないアートが、時に交わりながら、経済的価値やソーシャルキャピタルとでも言えるような無形の価値を生んでいる複雑な状況が今日のアートを取り巻いている。一概に正しい答えなどはないが、その環境を知っておくことは、アートの価値を見定めるためにも重要だろう。

 

また、そのような有形無形の価値を持つアートに対して、行政だけではなく、民間、個人がどのように支援できるかも鍵である。財閥解体や農地開放によって、資産家が圧倒的に少なくなった今日の日本において、戦前のようにアートをコレクションする習慣を復活させるには、税金の優遇など様々な施策が必要だ。もちろん海外に通じるコンテンツとして産業化のための支援も必要だろう。

 

筆者は身分を問わず参加を許し、茶の湯の文化の普及に貢献した「秀吉の北野大茶会」の現代版が必要だと主張する。そして、今日のおいてそのような影響力を有するのは企業経営者だと指摘する。

 

その例として、カルロス・ゴーンが日本への恩返しとして、ビジネスではなく、アートでの創造力の支援として開始した、第一回日産アートアワードの例をだしている。筆者はゴーン氏に直接、現代アートの楽しみ方をレクチャーし、アワードが開催されただけではなく、ゴーン氏は個人的にもアート作品を購入したという。政府も2014年には、ようやく「優れた現代美術の海外発信事業」を立ち上げ始めた。

 

アートの良し悪しを国や行政が直接峻別したり、政治的意図の代理をさせたりするのは危険であるが、民間の芸術活動を支援することで、結果的に国の格式や存在感は上がり、平和に貢献したり、経済的な効果にも繋がることもあるあろう。混迷する社会におけるアートの役割はますます広がっている。その審美眼を養うことが、コレクターや支援者にも求められている。 

 

参考文献