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大和絵・琳派・デザインそして自然「20世紀琳派田中一光展」三木学

 

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www.dnp.co.jp

「今のデザインはスピードが早く、頭でっかちでつまらないマーケティング優先。すぐゴミになる。でも琳派の作品はどうだろう。時を超えて丁寧に時間をかけ、計算して構成されたものは、その古びた質も含めて楽しめる。いまのデザインが一番気にし、影響されるべきは琳派なのではないか。」

 

今、デザイン業界にとって、最も重要な展覧会が開かれている。ご存知のようにデザイン業界の信用は失墜しているといっていい。日本のデザイナーが営々として築いてきたものは何だったのか?どのようにすれば信用を回復できるのか?少なくともその答えのヒントが、示されているといってよい。デザイナーをはじめ、日本でデザインに従事するすべての人が見に行くべきだと思う。

 

それは京都、太秦にある京都dddギャラリーで開催されている「20世紀琳派田中一光」展である。ご存知の方もおられるかもしれないが、今年は琳派400年記念祭として、京都を中心に数多くの琳派がらみの展覧会やイベントが開かれている。本展覧会も、その一環であるが、「20世紀琳派」と冠されているように、そのタイトルに現代、少なくとも20世紀において琳派をもっとも体現していたのは、デザイナーであり田中一光であるという声明に近い思いが込められている。

 

田中一光は、戦後を代表するグラフィックデザイナーであり、亀倉雄策とも並び称される巨人である。そして、その個性は琳派に裏打ちされている。「デザイン」という概念を日本が輸入してから、職業としても確立された歴史はそれほど長くない。そもそも西洋においても、近代デザインの確立はドイツの総合芸術学校、バウハウスの影響が大きく、1919年に開校していることを考えると、1920年代がその黎明期であるといえる。日本では少し遅れて1930年代くらいから普及し始めたといえる。

 

デザインという思想をどこまで輸入できているかはいまだに難しい問題である。とはいえ、新しい技能、職業としてのデザインを輸入することに精一杯だった黎明期を経て、日本におけるデザインを確立させた代表的人物が、田中一光だといっていい。田中一光は、タイポグラフィとして格調高い光朝を作り出し、色彩においては、DICの色票の策定にも貢献している。

 

その田中一光は、デザインという外来概念ともっとも近い試みをしていた日本美術として琳派を見出した。そのことは今や当たり前と思われているかもしれないが、田中一光が執拗なまでに琳派を模倣し、エッセンスを抜き出したことによってその事実が浸透したといってよい。

 

そもそも田中一光が、自身の作風に琳派的なものを秘めながら、自覚的に発見したのは、1972年に東京国立博物館の創立百年記念として開催された「琳派展」だとされる。今でこそ琳派という名称で知られているが、それ以前は「光琳派」「光悦派」など名前が定まっていなかった。

 

というのも、琳派はいわゆるお抱え絵師のような派閥、流派、工房のようなものではない。本阿弥光悦が、1615年に徳川家康から洛北鷹ヶ峰の地を拝領し、様々な職人を集めた芸術村を作ったことに端を発する。本阿弥光悦と俵屋宗達は、現在で言うところのアート・ディレクターとデザイナー・イラストレーターのような関係で、様々な作品を共同制作した。それが日本のデザインの源流といわれる所以である。

 

応仁の乱で荒廃し、戦国時代を経て、江戸に幕府が移って以降、京都の町衆は公家との積極的な交流をする中で、かつての王朝文化を憧憬し、古典回帰を行った。京都はプロダクト製造の中心地であり、多くの職人が揃っていた。その中で起こったある種の京都ルネッサンスが琳派であり、貴族趣味を持ちながら、一方で町衆の自由な発想で制作されている。それらは武家や公家、豊かな町人に購入され、消費社会における生産のシステムの中で磨かれたこともデザイン的だといえる。そして、大和絵などからの引用、四季のモチーフ、自然の大胆なデフォルメ、単純化が一貫してテーマになっており、それを外しては琳派を語れない。

 

約100年後に俵屋宗達に惹かれて影響を受けた尾形光琳も、弟の陶芸家の乾山と共同制作をしている。その約100年後に酒井抱一が尾形光琳を尊敬し、大きくな影響を受けて作品を作る。いわゆる私淑という直接的ではなく、尊敬し慕うことで受け継がれてきた美意識の系譜なのである。

 

琳派のデフォルメ、単純化、様式化、専門性と分業などは、近代デザインに通じるものがある。同時に、違うところも多い。西洋のモダニズムを経た我々の眼から、「琳派はデザインである」と軽々に言うと的が外れるかもしれない。逆に言えば、そこからはみ出したものが琳派の可能性だといってよいだろう。

 

田中一光は、奈良で生まれ、京都の京都市立美術専門学校(京都市立芸術大学の前身)で図案(デザイン)を勉強した。その後、大阪で鐘淵紡績の意匠科で染色デザインを担当した後、産経新聞大阪本社でグラフィックデザインに携わる。そして、57年に上京してライトパブリシティを経て、日本デザインセンターの創立に参加し、63年に独立する。そして名実ともに日本のグラフィックデザイン界を牽引してきた。

 

田中一光のデザインが、外国のデザイナーと違うとしたら、琳派の流れを汲む自然との親和性だといえるだろう。それは田中一光が奈良で生まれ、京都で勉強をしたという、琳派を生んだ歴史や自然に親しんで育ったことも大きい。今回の展覧会でも、田中一光の123点の作品が、参照した琳派などの絵画と比較され、自然を中心としたモチーフ別に分類されている。山、動物、波、花、水、雲、顔である。さらに、琳派と通じる技法である、文字、ちぎり、ぼかし、独創的な曲線と分かれる。この自然の形象の抽象化、単純化は、田中一光のデザインを西洋のモダンデザインとは一味違ったものにしている。

 

では田中一光の業績が、琳派のパクリといえるのだろうか?琳派は俵屋宗達の『風神雷神図』を、尾形光琳が模写し、さらに、酒井抱一が模写している。言い方が悪いが、パクリの系譜であるともいえる。創始者の一人である、俵屋宗達の代表作『舞楽図屏風』ですら大和絵に描かれてきた「舞楽図」から、かなりそのままに近い形で写し取り、大胆に再構成した作品である。しかし、日本美術も、中国美術と同じように、模写によって技術を得るというのはあたり前のことだった。

 

かつては著作権の概念などない。模倣、模写は、技術習得のためでもあり、新たな付加価値をそこに付ける素材でもあった。田中一光もそれに倣っているといえる。もちろん、琳派はすでに著作権が切れているので、模倣、模写であったとしても著作権侵害にはならない。

 

そこで今日のパクリの問題に移ると、一つは模倣と著作権侵害という犯罪の間には、非常にグレーな領域がある。同じような要素でデザインした場合、結果的に似るケースが出てくる。一方、特定の著作物をヒントにした場合、程度問題によるが著作物の複製や翻案をしたと捉えられることがある。一つ一つの事例は裁判でしか答えはでない。模倣、盗用、盗作など類似した言葉がたくさんあるが犯罪かどうかがまず問題である。ただ、デジタル著作物のコピーなどは著作権侵害に当たる。パクリの定義を著作権侵害に当たらない模倣まで含めるかで印象はかなり変わるだろう。

 

次に道義的にどうかという問題である。著作権が切れた過去の著作物だと道義的にも問題はないだろう。著作権という概念が存在しない時代の作品も、模倣であっても犯罪ではない。また、琳派や田中一光はその影響をまったく隠してないので、道義的にも問題はないだろう。

 

そもそも完全なオリジナリティというのはない。芸術も科学と同じで、常に先人の創作物の影響下にある。著作権法は、無方式主義(申請や登録の必要がない)なので、公表した時点で権利が付与される強い権利である。それだけに著作権法ではよほど依拠性と類似性が認められるか、そのまま転用したりしている場合ではないと著作権侵害にはならない。

 

特許法においては、特許権取得のためには先行事例と比較して、新規性があるか、進歩性があるかが必須条件である。著作物においても、先行事例がない場合はあるかもしれないが、ほとんどの場合、幾つもの先行事例を参照しているので、そこから新規性や進歩性、創造性があるかがポイントだろう。もちろん先行事例が一つであり直接性が強いと、著作権侵害にはなる可能性はある。

 

しかし、広義に捉えるとほとんどすべての著作物は過去の著作物のパクリになる。ただ、例えば、ドラゴンボールは西遊記、北斗の拳はブルース・リーの映画やマッドマックスのように影響関係を言うことはできるが、誰でもそのことは知っているしパクリとは言わないだろう。では人々が指すパクリは何を意味しているのか?

 

少なくとも、琳派は積極的にパクることで、新たな付加価値を生み出してきた。それが日本の創作物に対する寛容さともいえるかもしれない。琳派はパクることで、時を超えて大きな日本の美意識の潮流を引き継いできた。積極的な関与なのである。

 

それは日本の自然に対する美意識を引き継ぐことでもある。現行の法律下においても、著作権侵害をせずに、美意識を引き継ぐ方法はたくさんあるということが田中一光展を見れば一目瞭然だろうし、まだまだ他にも道はあることもわかるだろう。

 

あまり好きではないデザインや、素人目で第三者の著作物に似ているものを提示されたクライアントに対して、デザイナーがどれほどロジカルに説明しても納得は得られないだろう。重要なことは、新規性や進歩性、創造性なのである。そして、もっとも大事なのは作品が素晴らしいかどうか、人々の心を掴めるかどうかである。おそらく現在の人々のいうパクリは、犯罪かどうかよりも以前に、創作者として卑怯な行為を行っているかどうかを指しているのだろう。つまり、新規性や進歩性、創造性がなく、第三者の作品を模倣をしている場合、それが犯罪と認定されなくても、卑怯な行為であるとし、侮蔑的な意味も込めてパクリと言っているのだろう。

 

田中一光は、琳派の伝統に沿い、多くの絵画の図柄をモチーフにしながら、デザインとして新規性、進歩性、創造性を十分示している。そこに新たな付加価値、オリジナリティが発生しているのである。そして、その元となる自然の形象の単純化が、琳派の芸術家と現代の人々との価値観の継承や共有、共感を生んでいるのだろうと思う。抽象性や単純化がデザインだと捉えると、人々の心は離れてしまいかねない。記号操作がデザインではない。この展覧会は、人々と対話し、共有できる価値観を表現することがデザインであることを雄弁に物語っている。

 

ちなみに、この展覧会の展示構成、ポスター、カタログデザインは、今回の騒動の中心人物である佐野研二郎氏が担当した。カタログの中に「あなたにとって琳派とは何か?」というアンケートがあり、著名なグラフィックデザイナーたちが答えている。琳派をいかに捉えているかが、各自の咀嚼力やデザインにおける制作姿勢を恐ろしいほどに明確にしており、リトマス紙のようになっているので必読である。このブログの一番上に記載しているのは、佐野氏の回答である。まさに現代におけるデザインの危機を端的に表した言葉であり、本人は自覚的であったことがよくわかる。

 

さらに佐野氏は

「今回の展示のグラフィックを依頼されるまで、正直にいうと恥ずかしながら琳派のことをあまり知らなかった。デザインの原点、というとかつての琳派の方々には笑われるかもしれないが対象を大胆にデフォルメし、余白をとって見やすくする様はまさにデザインだ。すくなくとも、かわいい、とか、かっこいい、しみじみする、という反応を意識してつくられているのは確かだ。しかし簡単にMacでつくる現代と決定的に違うのがその質感と密度だ。」

とも答えている。

 

また、カタログの中で、日本美術史家の山下裕二氏は、永井一正氏との対談で以下のように述べている。

「西洋における絵画とデザインはまったく別物ですが、日本の絵画と現代のデザインという概念は極めて親和性が高いと言えます。いまの人たちがどれくらい気づいているかわかりませんが、日本美術はデザイナーにとってネタの宝庫でしょう。血肉化する必要があるとはいえ、宗達や一光先生のように過去のものを大胆に取り入れていいと思うんです。そこに気付き始めている人もいるでしょうね。先日、佐野研二郎さんの作品を見ましたが、彼もそういった意識を持っていると感じました。そういう人がもっと出てくることを期待しているのですが。」

 ※太字は筆者による

佐野氏が琳派についてもっと早く知っており、今日の著作権との整合性をちゃんととることができていたならば、今回のエンブレム盗用騒動もなかったかもしれないと思うと残念である。佐野氏が指摘しているように、「いまのデザインが一番気にし、影響されるべきは琳派」なのだ。デザイナーやデザイン業界の関係者は、必ず見なければならない展覧会であり、カタログを読むべきである。そこに今の状況を脱するための何かしらのヒントがあるはずである。

 

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