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ビジュアルレビューマガジン

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福島の「自然」が語るもの「FUKUSHIMA SPEAKS-アートで伝え考える福島の今、これからの未来」三木学

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展覧会場に入ると、福島民報の震災前から震災後の一面がずらりと展示されており、刻々と変わる原発事故や被災地の状況が伝わってくる。

aube.kyoto-art.ac.jp

昨日は、京都造形芸術大学のギャルリ・オーブで開催されていた、「FUKUSHIMA SPEAKS-アートで伝え考える福島の今、これからの未来」展を見に行った。

 この展覧会は、福島各地を制作拠点とし、約20人のアーティストが参加している「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」実行委員会と、京都造形芸術大学が連携して開催された。「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」は、福島県立博物館を事務局として、県内の大学・文化施設・NPO等との連携しながら2012年より実施しているアートプロジェクトで、アートを介して地域やコミュニティの未来のあり方を継続的に模索している。

はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト

 

「はま・なか・あいづ」とは、HPで色分けられているように、福島の3つのエリア、海側の「はま」、盆地の「なか」、内陸の「あいづ」を指している。よくメディアで会津地方、浜通り、中通りと言われる地域名のことである。浜通りと中通りの間には、阿武隈高地があり、中通りと会津地方の間には、奥羽山脈があるため、古くから政治・行政的にも、文化的にも分かれていたことに起因する。だから、現代まで続くそれらの異なる文化の連携という意味も含まれているだろうし、震災と原発事故によって、分断化された文化の連携という意味も込められているだろう。

 

今回は、被災地から離れた京都・関西圏で展示することで、福島外の地域との交流・連携も視野に入れられている。実際、今回の展覧会の企画者あり、出品作家である華道家の片桐功敦も大阪在住であるし、その他にも多くの関西出身のアーティストが福島に関わりながら制作を続けている。

 

展覧会に出品したのは、港千尋さんがコミッショナーとなり、ベネチア・ビエンナーレにも参加した、フロッタージュを駆使する美術家の岡部昌生、写真家の赤坂友昭、美術家の安田佐智種、写真家の本郷毅史、華道家の片桐功敦である。同時に、会期中にはクロストークとして、参加アーティストや学芸員を含めて、多くの講演、対談、鼎談が開催された。すべての出品作品の完成度が高く、京都・関西圏にはなかなか伝わってこない福島の状況が、アーティストの視点を介して表現されており、非常に貴重な機会となっていた。

 

特に、気になったのは、滞在制作という理由もあるのかもしれないが、写真・映像作品が多いこと、それぞれが「自然」をテーマにしていることだった。岡部昌生はフロッタージュという、紙を物体に当て、上から鉛筆や墨でこすって、凹凸による痕跡を残す方法を使っているが、光を使わない手による転写であるといっていいだろう。

 

この「自然」というテーマは、同日に行われた川延安直(福島県立博物館学芸員)、ヤノベケンジ(美術家)、村山修二郎(美術家)による鼎談でも話題に挙がったが、福島は、他の被災地と違って、福島第一原発事故による、放射線汚染という特殊な被害の影響が大きかったため、逆説的に手つかずになっているということは大きい。

 

宮城や岩手は、巨大な防潮堤の建設や大規模なかさ上げ工事が進み、行政と住民、住民間の対立も起こっていることが伝えられている。町並み全体が津波で流された後、地形が大幅に変えられ、さらに防潮堤によって海への視界を阻まれたとしたら、わずかな記憶の痕跡もなくなってしまう。そこには、自然に対抗することを強化することによって、記憶や思い出の風景をなくしてしまうという心の問題も浮上しているだろう。震災遺構の保存も、人間にとって記憶の問題と大きく関わっている。

東日本大震災から5年 巨大防潮堤は何を守る? 住民「町は衰退する」

 

福島における問題はさらに複雑であるが、手をつけられないために、消去法的に保存されているエリアがある。多くのアーティストが、超人工的な事故によって、残った「自然」 に注目していることは興味深い。

 

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本郷毅史《水源地・福島》

 

本郷毅史は、福島の代表的な河川の水源をたどり、モノクロの写真と映像作品《水源地・福島》を展示していた。そこに映し出される美しい風景は、阿武隈高地や奥羽山脈を水源とし、豊かな耕作地帯である福島の大地の源を表している。その豊かな水が汚染され、また、福島第一原発に、地下水として大量に流れ込み、原発事故の収束を阻んでいることは、相容れぬ人工と自然の問題を考えさせられる。

 

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安田佐智種の《みち》

 

安田佐智種の《みち》は、被災地に残された住宅基礎を、複数枚の写真を貼り合わせるフォト・コラージュによって、等身大に近いサイズで展示していた。しかし、これらの住宅基礎はかなり取り除かれたと、居合わせた建築家の宮本佳明さんに教えて頂いた。

 

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赤坂友昭《distance》

 

赤坂友昭の《distance》は、福島の自然環境の変化を撮り続け、人が不在になった地域に、繁殖する植物や動物を追いかける写真作品であった。アラスカや僻地の遊牧民を撮影し続けている赤坂は、それらと同様に、人がほとんど行かない未開地のようになった福島の自然を撮影している。自然の王とされる、クマを探して求めた結果、その痕跡が植物に残っているところまでたどり着いていく軌跡は、人間不在後の生態系の変化を改めて突き付けられるようだった。図らずも禁足地となった地域が、聖地となっていく可能性についても言及されていた。

 

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岡部昌生《福島の記憶と記録》:上
広島の被爆樹をフロッタージュで記録した作品:下

 

岡部昌生は、広島の被爆樹をフロッタージュで転写していくプロジェクトと一緒に、福島の被曝した自然を転写する作品《福島の記憶と記録》を展示していた。擦り付けられ、浮かび上がる図像は、時代を超えて、自然に定着された人類の業が炙り出されているようである。そして、放射線と同様に見えない存在を可視化するプロジェクトであるといえる。物体の表面の痕跡をフロッタージュで定着させる岡部と、ライティングによって光に照らされた物体の痕跡を撮影する、スロヴェニア在住の盲目の写真家、ユジュン・バフチャルとの共同プロジェクトなども紹介されており、「見ること」「触ること」の根源に迫っていることがわかる。岡部のプロジェクトは、日本列島を縦断しており、あいちトリエンナーレ2016の展示で集約されるという。

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片桐功敦《sacrifice》

 

企画者でもある、華道家の片桐功敦は、被災した住宅や街並みと、浸食する自然の光景を借景にして、花を生けている様子を写真作品《sacrifice》として展示していた。人間に対する鎮魂のようでもあり、再生する自然への畏敬のようでもあり、複雑な感情を呼び起こされる。もう一つ、福島で出土された弥生式土器に生けるシリーズも、弥生式土器と花の美しさのマッチ(とアンマッチ)が、時代と用途、美学の混乱を起こさせる。その中の1つに、稲穂を生けた作品があり、川延安直さんは、自分はこの作品が一番好きで、福島がかつては米どころとして、都市に米を供給し、現在は電気を供給していたことを想起させられると述べていた。

 

出品作家のそれぞれが、それぞれの表現方法を利用しながらも、できるだけノイズを入れず、福島自体が語る、転写するというスタンスで制作しているのが印象的であった。それだけ福島の「自然」は、雄弁に様々なことを語っていることが伝わってきた。

 

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左からヤノベケンジ、川延安直、村山修二郎

 

ヤノベケンジ、村山修二郎、川延安直の鼎談では、村山さんが進めている、植物をそのまま紙に擦りつけて描く緑画(りょくが)のプロジェクトを中心に、東北に残る自然を供養する草木塔の存在について語られた。自然には恵みと猛威があり、それに感謝したり、畏怖したりする、プリミティブな思いの重要性が改めて示唆された。おそらく、その二つの面と真摯に向き合うことが、複雑な問題を少しずつ解決する唯一の道だろう。

 

ヤノベケンジは、3.11前から福島で展覧会を行っていた経緯もあり、震災後もすぐに子供のための展覧会に協力したり(震災後は放射線濃度が高く、美術館が数少ない遊び場になっていた)、2011年内に絶望的な状況を超えていく願いを込めたモニュメント《サン・チャイルド》を制作し、その後も継続的に福島の展覧会に参加している思いを説明した。

 

特に、自作の放射能防護服《アトムスーツ》を来てチェルノブイリに行った際、30km圏内の強制避難区域に帰ってきていた老人や子供と出会ったことで、表現活動に利用してしまったのではないかという罪悪感と贖罪意識を持ち続けてきたこと。警鐘するために制作した作品と似た事態が起きたことによる衝撃により、ネガティブな未来を予想するような作品制作から転換したことが語られた。しかし、現実の状況がなかなか好転しないことへの表現者としてのもどかしさもあり、現在は福島の人々と新しい発電所のためのモニュメントなども計画しているという。

 

東日本大震災、福島第一原発事故は、大きな衝撃と影響を国内外に与えたが、5年を経てメディアでもなかなか報道されなくなっていることも事実であり、アーティストが個人的な観点から継続的に関与することで伝わることも多いだろう。これからは、今まで以上に社会的な忘却との戦いになり、記憶を司るアーティストの役割はますます高くなるのではないかと思われる。福島とアーティスト、地域間の連携は、記憶を繋ぎ止めておくためのシナプスであり、想起のための重要な回路になっていくのではないだろうか。

 

参考文献

 

映像論―「光の世紀」から「記憶の世紀」へ (NHKブックス)

映像論―「光の世紀」から「記憶の世紀」へ (NHKブックス)