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ビジュアルレビューマガジン

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写真が変えた町に住む-玉村雅敏、小島敏明 編著『東川スタイル』三木学

 

東川スタイル―人口8000人のまちが共創する未来の価値基準 (まちづくりトラベルガイド)

東川スタイル―人口8000人のまちが共創する未来の価値基準 (まちづくりトラベルガイド)

 

 

僕はこの本を読んで2つの出来事を思い出していた。1つは、一昨年末、メキシコの著名な写真家、グラシエラ・イトゥルビデが来日した際、奈良の撮影の案内をしたとき、「今まで日本に来たことがあるか?」と聞いたら「ヒガシカワ」と答えたのだ。

 

ヒガシカワ—東川。芸術写真に造詣が深いものならば、ヒガシカワが北海道の東川町のことであることはすぐわかる。グラシエラは1990年に東川国際写真フェステバルの東川賞海外作家賞を受賞しており、その時来日していたのだ。僕は東川どころか、北海道にも行ったことがないが、ヒガシカワが世界の写真家に認知されていることを痛感した。しかし、北海道の中央部にある小さな町、東川がなぜ「写真の町」になったのか?そのことは知らなかった。その疑問に『東川スタイル』は答えてくれている。

 

もう1つは、「フランスの最も美しい村」の運動のことだ。フランスでは、1982年にコレーズ県で協会が設立され、人口が少なくとも、歴史的遺産や景観が優れているところが認定されており、観光が促進されている。日本でもこれをまねて、「日本で最も美しい村連合」が設立され、全国の村が加盟している。 北海道美瑛町で始まったこの活動に、東川町は加盟していないが、どちらも北海道中央部の大雪山の麓にあり、隣接しているため環境は似ているだろう。「フランスの最も美しい村」は、港千尋さんとフランスの色彩環境、感性を分析した共編著『フランスの色景』に、ルシヨンとその近郊の話が出てくる。港さんは、ルシヨンという人口千人程度の村が、写真や絵葉書によって、昔ながらの石造りの家、ラベンダー畑の紫、向日葵畑の黄色の美しさが広く知られていると述べている。小さな村や町であっても、「写真」の持つイメージの力は、多くの人々の心に浸透するのである。

 

東川は、まさに写真とイメージの力を最大限に利用し、北海道中央部にあり、8000人程度の人口でありながら、存在感を発揮している。しかし、「写真の町」の道のりがそんなに簡単だったわけではないことがこの本を読むとよくわかる。1985年、「写真の町宣言」が行われたが、バブル経済を目前にし、大型リゾートが各地で開発される中、ハコモノではなく、文化で町おこしをする試みは異例のことだった。しかし、行政職員が一丸となり、写真関係者やメーカーに足を運び、少しずつ環境が整っていった。さらに、高校生を対象とした「写真甲子園」の開催は、被写体となる住民の心も変えていくことになる。

 

訪問者のカメラアイとイメージが、住民の心を変え、町を変えていったわけである。そして、訪れる人々は町の魅力を感じ、移住が増えていった。「写真の町宣言」から始まった、行政職員や住民のホスピタリティは移住を促し、カフェやショップ、工房などの、仕事と生活が一体となった、スモールビジネスが盛んになることでさらに魅力的な町となっていっている。過疎や人口減少で悩む自治体がある中、東川町では国内外から移住者が増え、1994年から20年の間に14%も増加している。そして現在の約8000人を適正規模として、その維持を目標にしているという。本書では、そのような東川で徐々に育まれた価値基準=スタンダードが、40の事例を通して紹介されている。詳しくは読んで頂いた方がいいだろう。

 

東川町が「写真の町宣言」を行った30年前と違って、現在では文化・芸術による町おこしは日本各地で開催されており、すでに弊害も指摘され始めている。現在、地方で行われている地域アートプロジェクトは、アートを介して、地域を発見してもらい、観光客や移住者を誘致することが目的であると思う。しかし、地域の魅力は、たいてい自然環境の豊かさであり、現代アートは時にその環境に介入し、変えてしまうことがある。もちろんそれが功を奏することもあるが、個人的には、まずは自然環境に対する人工的な介入はできるだけ控え、もっとその場所の魅力を最大化するべきだと思っている。そうでなければ、見方は限定されてしまうし、芸術祭やアートイベントを定期開催して頼らなければならなくなる。成功しても開催期間外をどうするかという課題が残る。

 

その意味で、写真や文章(エッセイや小説など)はもっと活用すべきであると主張してきた。滞在制作も、フォトグラファー・イン・レジデンスやライター・イン・レジデンスなどによる成果物の方が、地域の魅力は外部に伝わりやすいだろうし、イベント開催時に限定されなくてすむだろう。1994年に始まった「写真甲子園(全国高等学校写真選手権大会)」などは、まさにフォトグラファー・イン・レジデンスと言え、本戦に進んだ10数高校が東川に滞在し、町を被写体にセンスと技能を競う。写真甲子園を機会に東川の虜になり移住した人もいるという。

 

最後に、30年前から「写真の町」を推進してきた元職員、山森俊晴(東川振興公社取締役顧問)さんのインタビューを紹介しよう。

「僕は常々「文化でまちおこしをするなら、住民から20年の担保をとるべき」と言っています。文化の事業には時間がかかる。それを待てるかどうか。僕も何度もくじけそうになりましたが、情熱を傾け続けていればきっと理解されるはずだと信じていました。
  まちというのは、人です。写真を介して人と人がつながり広がっていくとともに、協力者が増えていきました。あれから30年経った今、東川に自然と人が集まるようになり、町民が独自にさまざまな物事を進めている。まだ成功したとはいえませんが、やっと結果が出つつあるように感じています。」

 

地域振興政策は、産業支援や企業誘致、起業支援が基本である。観光も地域振興政策の1つであるには違いないが、アートを中心に据えるなら相応のビジョンと時間を必要とする。ハコモノより安上がりだという安易な理由で、アーティストを呼び、地域アートプロジェクトをすると淘汰されるだろう。東川においても、写真の町が最初から受け入れられてきたわけではない。一度は廃止が決まったこともある。しかし、世界的な写真家や写真関係者、メーカーへの浸透や職員との深い信頼関係がそれを覆し続行を促したのである。また、職員は世界的な写真家の風格に感化されたともいう。町おこしのテーマにアートを据える場合も、アーティストへの尊敬が重要である。それでも地域との葛藤は起こるだろう。それを想定した上で、続けるという意志がないと、アーティストも住民もお互いに不幸であろう。


また、東川も企業誘致や起業支援も並行して行っている。そして、写真、人、環境の前向きな相互作用が起きてることがわかる。「文化の事業には時間がかかる」という言葉は、地道に活動し成果を上げてきた人の言葉だからこそよりいっそう強く響いてる。