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ビジュアルレビューマガジン

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「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」勝又公仁彦001

f:id:shadowtimes:20150502174303j:plain Japanoscape 「2002年7月31日 京都府与謝郡伊根町」 

 

シャドウタイムスがレビューを中心とした形で復活した。

 

「批評的なことばによるくらい、芸術作品に触れえないことはありません。」というリルケの言葉を範としてきたということもあり、批評することには関心も能力もない。私の号については単なる雑感やエピソードの紹介となることをお断りしておく。

 

現在、東京六本木のサントリー美術館で「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展が開かれている。2000年以降の若冲の主要な展覧会はほぼ全て観てきたし、相国寺の承天閣美術館や相国寺の塔頭である鹿苑寺(金閣)の若冲作品の奈良博での複製の撮影にも関わったことがある。蕪村の優品も折々に観ては来ている。しかしこのような形での展覧会は初めての企画であり、展示替えの度に数度足を運ぶこととなった。今回は蕪村に絞る。

 

私は昨年京都に移転した。それにあたって立てた目標に蕪村の「夜色楼台図」を自分なりに翻案した写真を撮る、というものがあった。もともと関西の都市の夜景から私の作品発表は始まっているので、京都もそれなりに撮影してきた(発表はしていないが)という自負はある。しかし雪の東山と人家を遠望するような機会には恵まれてこなかった。私は春先から夜間に撮影をしながら、その作品のための撮影地を探した。

 

例年であれば旅行に出るか実家に戻る年末年始であるが、昨年から今年にかけてはなぜか京都に留まっていた。孤独な年末を襲うかのように、大晦日の京都は数十年ぶりの降雪に見舞われた。私にとっては早速の僥倖である。仕事も休みで次の日も安心。夜色楼台図へのオマージュも含めた雪景を心ゆくまで撮影することができる、と勇んで出かけた。夜色楼台図のイメージを眼前のフィルターとして、深夜の京都を彷徨った。近く遠くの人家の灯りは暖かくも、シンと静まりかえった町に降る雪は己の孤独を一層強める。しかしそれ以上に辛い京都の夜の冷え込みに数時間で降参して帰宅した。

 

f:id:shadowtimes:20150503090132j:plain “Unknown Fire” 「#52 axis」1999年 
大阪府大阪市都島区毛馬町にて撮影

 

実は住む場所などで多少俳句と関連してきた。親族の多く住む深川は幼少の頃から馴染みであったし、大学入学で上京して住んだアパートは関口の芭蕉庵の直近だった。師の関係で国学院の俳句のサークルに所属し不承不承ながら下手な俳句を捻ったこともある。大阪に移った後に住んだのは蕪村の生誕地である毛馬で、ここでは多くの作品が生まれた。私がそこから東京に移った後、関電の使っていた土地に蕪村を顕彰する公園が出来たが、当時は彼に関するものは淀川改修100年を記念して建てられた句碑以外は何もなかった。現在私が暮らしている家の近くに金福寺という寺がある。京に至った芭蕉は住職の鐵舟を訪ね、滞在した建物は芭蕉庵と呼ばれたが後に荒廃した。蕪村は芭蕉庵の再建に尽力し今に残っている。芭蕉庵の傍らには蕪村自身も眠っている。墓所からは京都の街中を遠く見晴らすことができる。

 

その京都の街の中心で若冲が青物問屋桝屋の主人であり隠居であったことは知られているが、江戸の写本『画家伝』によれば蕪村も魚屋を営んでいたとされている。『平安人物誌』によれば錦市場に程近い四条烏丸東入町に住したと記録されているが、ここは現在でも丹後や若狭からの魚や乾物を扱う店のある処である。これは京都に戻る前の蕪村が丹後におり、その地の女性を娶ったとされるため、丹後との縁で魚を扱ったと推測されている。丹後は蕪村の母の出身地であったという説もあり、与謝の姓を名乗るのも丹後にちなんでのことだ。半径500m足らずの近所に住んでいたはずだが、若冲と蕪村の直接の交流を示す物は残っていない。

 

京都を出ることのなかった若冲とは正反対に、各地を転々とし、俳諧と書画の研鑽に努めた蕪村は十代で出奔した毛馬に2度と赴くことはなかった。淀川に面した毛馬の地は京都から決して遠くはない。若冲の出品作である『乗興舟』は京都伏見から淀川で大坂天満橋へと至る川下りを楽しんでの拓版画である。それにも関わらず蕪村が帰らなかったのには強い理由があったのだろう。望郷の念を少女に託して歌い上げた『春風馬堤曲』は長詩である。俳句の五七五ではその思いは表しきれなかったのだろうか。

 

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“Panning of Days” 「4Days in 4Months」2002年 
大阪府大阪市都島区毛馬町にて撮影

 

サントリー美術館では晩年の三横物と呼ばれる3点の作品がまとめて展示されている。軸の2点、夜色楼台図の右には私の故郷の富士山と松原を力強く描いた「富嶽列松図」がある。その前の少し離れたケースの中に巻物の「峨眉露頂図」が置かれていて三点のパノラマ画を同時に観ることができる。私はかなり長い時間この場所に立ち続けた。モチーフとなった李白の峨眉山月歌は川を下る旅の七言絶句である。蕪村はこの絵に川を描かなかった。

 

www.suntory.co.jp

 夜色楼台図は4/29~5/10出品

 

参考文献

夜色楼台図 己が人生の表象 (絵は語る)

夜色楼台図 己が人生の表象 (絵は語る)