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マガジンからポスト・インターネットへ―ヴォルフガング・ティルマンス「Your Body is Yours」三木学

www.nmao.go.jp

 

ヴォルフガング・ティルマンスの大規模個展が大阪の国立国際美術館で開催されている。ティルマンスの個展が行われたのは、2004年の東京オペラシティ以来だと思う。 

 ティルマンスは、『i-D』や『Interview』など、雑誌での表現で注目されるようになったことはよく知られている。また、その展示もギャラリーや美術館の空間に、大小サイズの違うプリントを上下左右に「レイアウト」し、額を使わずピン止めしたり、ダブルクリップで吊る手法を用いたりしてきた。それは杓子定規なモダニズムの展示と比べて、空間を丸ごと雑誌化しているようで斬新であった。影響を受けた若手写真家も多かったことだろう。

 

壁面に大小の写真が上下左右に貼られていると、ティルマンスの意図したように動かされ、視線を誘導させられているように感じる。それは空間と視線のエディションとでもいえる。

 

もし額を使っていたら、それは窓のメタファーになり、その奥に空間を見出すだろう。しかし、ティルマンスの場合は、あくまで平面的に処理しており、空間が外部ではなく、内部を志向しているように思える。雑誌からイメージを抜き出して、貼り付けたようであるため、イメージは外部への扉ではなく、紙面のように我々を包む薄い被膜のように感じる。

 

しかしその志向は、LIFEのようなフォトジャーナリズムによって発達してきた、写真史や写真展示史から言えば、実は古典回帰かもしれない。エドワード・スタイケンが企画した展覧会「ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)」展は、まさに写真パネルと文章によって立体的に展開した雑誌の空間的展開だったともいえるからだ。

 

その後、写真は美術の文脈に回収されていったため、美術品のように額に入れられ、目線の高さに直線的に展示されるようになった。ティルマンズに新しさは、スタイケンからモダニズム的な展示に移行した後、再びパーソナルな関心によって空間を雑誌的に展開したことにあるといえるかもしれない。

 

ただし、それにもましてこの11年の間に写真に起きた変化はあまりに大きい。デジタル化が加速し、デジタル写真が膨大に普及し、同時にフィルム写真の制作環境は年々厳しくなっている。当時、プロカメラマンでさえ、今日の状況を予想してなかっただろう。

 

さらに、インターネットは、SNSが主流になり、特にFlickrを皮切りに、YouTubeTumblrInstagramPinterestなど、画像や映像を中心としたコミュニケーションがインターネットを牽引していると言っても過言ではない。2005年のiPhoneの登場はその状況を加速させた。

 

アートシーンでも、「ポスト・インターネット」というタームが使われ、すでにリアルとヴァーチャルという二項対立はそこにはない。常時接続、常時携帯をしている状況において、インターネットはすでに仮想空間ではないし、その存在感はネットで流通するイメージの量と比例して等比級数的に大きくなっているといえる。どちらに主軸があるかという議論はあるようだが、それはあまり意味がないかもしれない。どちらにせよ、リアルな空間の出来事はネットに回収されていくし、ネットの存在感はリアルな空間へとはみ出していく。

 

ティルマンズの今回の展示も、それらの状況を受け、11年前とは様相が違っている。もちろん、雑誌的な要素は現在も残っているが、インターネットで普及しているイメージや記事、路上のスナップを混ぜ合わせ、テーブルに配列して展示しているのは特徴的だった。その中には、ちょうど来日している最中に、美術館の付近でデモをしていた学生たちの姿を捉えた写真もある。

 

また、インターネットのブラウジングだけではなく、膨大な距離を移動して世界中のイメージを捉えている様子もみてとれる。ベネチア・ビエンナーレ建築展で展示して話題になったという、2台のプロジェクターを使って、部屋のコーナーの左右両面に、開いた本のように世界中の建築の写真をスライドショーで見せる《Book for Architects》も、膨大なデジタル写真を空間において書籍的に見せる新しい方法として優れたアプローチだった思う。

 

あるいは、白い壁に下着だけを着た男性が、後ろ姿で永遠とステップを踏み続ける映像と、その影を映した映像を、二つのプロジェクターで上映し、実は実体と影が少しずつずれているという作品も興味深いものだった。性と身体が乖離しているという、ジェンダーセクシャリティのメタファーとしても捉えられるし、意識と身体がずれるという、現象学的テーマを持つ過去の美術作品と比較することもできる。これが今回、唯一の映像作品であり、ステップを反復する音が美術館に響く様子も印象的だった。

 

ティルマンスの関心も、個人的な出来事から、社会で起こる様々な出来事まで、乖離せずに拡張し続けているように思える。しかし、声高に何かプロテストするような、断定的な物言いでは決してない。テーマ性のある写真が現われたかと思えば、一見、関連がないような写真が次に展開されるなど錯綜しているように思えるが、どこかで繋がっている。膨大な展示を一つ一つ注視するというより、記憶をたぐりよせながら見ることになる。展覧会内において記憶を喚起させられ、ティルマンズの脳や記憶に放り込まれるような気分になる。

 

具象と抽象、個人や社会の境界の区別をつけず、容易にすり抜けていくイメージのクラスターを浴びるように見ることは心地よさもある。展覧会全体がイメージ同士にハイパーリンクが付けられたインターネットのような網目構造をしているといってもいいのかもしれない。

 

そこから何か共通のものが感じられるとすれば、視覚と触覚が分かちがたく結びついていることだろう。見ているこちらも触覚がざわめくような気持ちになる。写真に触れられる。という独特な感覚だ。

 

西洋において、風景画よりも人物画が伝統的に価値が高かったことが関係あるかどうかはわからないが、抽象的な写真であれ、建築のような写真であれ、そこに身体的な比喩を感じてしまう。マガジンからインターネットに媒体が移ったとしても、すべての写真は身体に還元されているのかもしれない。

 

展覧会のタイトルも「Your Body is Yours」となっており、身体と所有への関心を強調している。それは身近な仲間たちを被写体に、ジェンダーセクシャリティを問い続けてきたティルマンズの変わらない姿勢だろう。アメリカでは、連邦最高裁の判決により、全州で同性婚が認められたのは記憶に新しい。それでもなお偏見は満ちている。「Your Body is Yours」と改めて言わなければならないほど、我々の身体は他者によって縛られていることも多い。ティルマンスは、写真を巡る状況が著しく変化しても、一貫して写真によって自由と多様性を表現し、何かを固定して見ようとする社会や我々の眼差し自体を問うているのかもしれない。

 

 

参考文献

 

美術手帖 2015年 06月号

美術手帖 2015年 06月号

 

 

関連文献

 

ヴォルフガング・ティルマンズ Wolfgang Tillmans

ヴォルフガング・ティルマンズ Wolfgang Tillmans