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ビジュアルレビューマガジン

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聖地の遺伝子「大阪万博とEXPO CIYT (エキスポシティ)」三木学

mainichi.jp

大阪万博の開催に合わせて開園され、2009年まで営業されていた遊園地、エキスポランドの跡地に大型複合施設「エキスポシティ」が11月19日に開業されるという。

 エキスポランドが開園された当時は、ジェットコースター「ダイダラザウルス」などの目玉施設によって長い間、関西の遊園地として確固たる地位を占めていた。しかし、ディズニーランドやUSJなどの映画やアニメーションなどと連動した新業態のアトラクションの進出などによって、入園者数は年々落ち込み関西の遊園地は次々と閉園していった。

 

近鉄あやめ池遊園地、奈良ドリームランド、神戸ポートピアランド、PLランド、フェスティバルゲート、天保山遊園、宝塚ファミリーランドなど枚挙にいとまがない。阪急や近鉄など、沿線開発型の歴史ある遊園地がある一方、神戸ポートピアランドなどは、博覧会後の遊園地として近いビジネスモデルだったといえる。

 

大阪万博は延べ64220万人という破格の動員数を誇り、千里丘陵の約330万平方メートル、広大な敷地を有していた。動員数は2010年に開催された上海万博まで破られていない。エキスポランドは、その中の南東約17万2500平方メートルの敷地を占めていた。エキスポシティは、17万2000平方メートルということなので、ほぼエキスポランドの同じ敷地を有している。

 

通常、万博のパビリオンは仮設なので、会期終了後は解体される。大阪万博では、日本庭園、太陽の塔、鉄鋼館、国立国際美術館(元万国博美術館)などの一部を除いて解体された。太陽の塔も解体予定であったが、保存運動が起きたことと、耐震的に問題ないことが調査でわかったので残ることになった。しかし、太陽の塔はあくまでテーマ館の一部として作られており、地下や空中や内部展示があったが、巨大なモニュメントに役割が変わったといえる。最近になってようやく内部展示もあったことが最注目され、公開に向けて準備中だそうだが、資金不足のため予定が延びている。

 

ともあれ、戦後最大、もしかして日本史上、最大のお祭りが開催された万博記念公園は、パビリオンが解体された後に植林され、長い時間をかけて、森林公園になっていた。お祭り広場などでは、フリーマーケットが開かれたり、コンサートが開かれたりしていたが、往時の賑わいとは異なり、概ね穏やかな憩いの場所であったといってよい。

 

中国自動車道を挟んで南西側にある、エキスポランドは初期においては賑やかだったかもしれないが徐々に動員数は減り、2000年を超えたあたりでは閑散としていたといっていいだろう。しかし、そのエキスポランドの跡地には、大型水族館や日本最大の観覧車をはじめ、西日本最大のショッピングモール「ららぽーと」と、8つのエンターテイメント施設が作られるという。万博と同じと言わないまでも、かなり賑わうことが予想される。近接しているガンバ大阪のスタジアムも注目されている。

 

このような土地には繁栄の遺伝子が組み込まれていると僕は考えている。というのも、僕は万博記念公園内にあった会社で、2年程、万博のアーカイブ調査を行い、万博記念公園のある千里丘陵の歴史をかなり踏み込んで調べた経験がある。そのことは、太陽の塔に関する論文として以下にまとめているので参照されたい。

db.10plus1.jp

簡単にいうと、万博記念公園のある千里丘陵は、長らく開発されてない農地であった。しかも竹林の山林になっており、水捌けも悪かったのであまり良い土壌ではなかった。戦後になり大阪市内に近いため千里ニュータウンができ、国土計画の一環として大阪万博も誘致された。それは一見、偶然に思える。

 

しかし、万博記念公園のある山田は、伊勢の山田の深い関わりがあり、伊勢神宮が現在の場所に行くまでの一つである元伊勢であるとされている。そのため現在も伊弉諾神社がある。しかも、平安時代には、円仁が建立した圓照寺があり、大阪万博をしのぐ、広大な寺院を築いていた。その中心の本堂が、ちょうど太陽の塔あたりにあり、千手観音が祀られていたという。その後、応仁の乱で荒廃し、水捌けが悪く竹の多い丘陵のイメージに変わっていったのかもしれない。

 

しかし、そのような聖地としての遺伝子が流れており、それだからこそ国家的なイベントが開催されたのではないかと僕は思っている。それはある種の聖地であり、「聖地はわずか一センチたりとも場所を移動しない」という宗教学者、植嶋啓司の定義とも合致する。だから、廃れたように思えても何度も復活する。もしかしたら、聖地には繁忙期と閑散期のようなものがあるのかもしれない。

 

エキスポシティは、聖地の遺伝子が脈々と流れていることの証だろう。今再び聖地が目覚めようとしている。それはオリンピックにもあてはめられるかもしれない。国立競技場の場所は狭く、他の場所で競技場やセレモニーを行う案は1940年に誘致されたオリンピックの頃からあった。しかし1964年の東京オリンピックでは結局、神宮外苑の国立競技場で開催されている。

 

オリンピックはいくら近代化しようが単なるスポーツの祭典ではない。ゼウスを奉るために開催された祭典の側面を今でも残しているのだ。我々は我々の意志で動いているように見えて、場所の力に動かされているのかもしれない。それを聞き取る能力が今求められているのだろう。

 

参考文献

 

10+1 (No.36(2004)) 特集 万博の遠近法

10+1 (No.36(2004)) 特集 万博の遠近法

  • 作者: 五十嵐太郎,小田マサノリ,椹木野衣,原田祐馬,大場美和,三木学,笠原一人,内田隆三,メディア・デザイン研究所
  • 出版社/メーカー: INAXo
  • 発売日: 2004/09/25
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