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勝又公仁彦「the dimensions of“Right Angle”?」秋丸知貴(美術評論家)

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「the dimensions of“Right Angle”?」展

 

展覧会名「the dimensions of “Right Angle” ?」
会  期 2016.5.17.tue – 2015.5.29.sun
会  場 ギャラリー富小路

※今週日曜日まで。

 

 現在、京都市内のギャラリー富小路で開催されている、勝又公仁彦展「the dimensions of“Right Angle”?」が面白い。

 見所は数多いが、何と言っても第一の見所は、一階会場左壁面に展示されている「Panning of Days -Syncretism/Palimpsest-」シリーズの大型写真作品《3Days》(2015)である。この新作シリーズが、本年1月に東京銀座の資生堂ギャラリーの「BEAUTY CROSSING GINZA~銀座+ラ・モード+資生堂~」展で広く注目を集めたことは記憶に新しい。この新作シリーズを関西で実際に鑑賞できる上に、東京での展示よりも一層その本質を同じ作家の他のシリーズと併せて多角的に享受できる点に本展の大きな魅力を指摘できる。

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「Panning of Days -Syncretism/Palimpsest-」《3Days》(2015) 
町屋を改装したギャラリーの壁面を覆う三幅一対の作品

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1Fと2Fの階段踊り場に展示されている「Panning of Days」シリーズの小品《3Days in 3Years》(2008〜2010)

まず、「BEAUTY CROSSING GINZA」展は、日本の明治時代以来の最新文化の中心地である銀座を拠点とする資生堂がトレンドセッターとしての自らの世界観を提示しようとする企画展であった。そうした趣旨に合わせて、勝又は銀座通りの夜景写真を新たに定点観測的に三日間撮影して組み合わせ――文字通り混合(シンクレティズム)して重ね書き(パランプセスト)した――三枚の大型作品を出品した。画面では、夜空に映える高層建築のネオンや自動車のライトが地上の天の川のように輝き、行き交う人々は束の間の陽炎のように冷ややかな詩情を漂わせている。その三連画の形式はすぐに誰にでも宗教画を連想させるものであり、作品全体は無機質で刺激的な大都会を称える巨大な三連祭壇画のように見える。

 しかし、実は勝又によれば、《3Days》は明治初期に文明開化の象徴として最先端の銀座通りを描いた三代歌川広重の浮世絵「東京名所」シリーズを踏まえている。つまり、この作品はいわば写真による風俗浮世絵の翻案であり、元々その三連画形式は続絵の典型である三枚続きを大判錦絵ならず大判写真で試みたものである。その点で、この作品は、歴史的・文化的な文脈を豊かに備えつつ最新の銀座の姿を現代的な手法で捉えた同時代日本の記念碑的肖像といえる。

 そうした《3Days》の視覚効果上の注目すべき点は、重ね合わされた写真が微妙にズレているために視界が揺れ動いて見えることである。そのため、本来凝固的な平面映像であるはずの写真に、今正に自分がその現場に足を踏み入れたような臨場感が生まれ、その分だけ三次元的な奥行が回復している。また、多重露光や長時間露光により建物や自動車や通行人は全て物質感が透過的に希薄な実体のない幻影のように見えると共に、そうした触知感の欠如は鑑賞者である自分自身もまた肉体のない透明な精神体としてその場に立ち会っているような錯覚を起こさせる。その一方で、そうした画面の透過的多重性はかろうじて生理現象の近似範囲内に留まっているので鑑賞者に一定の身体感覚を繋ぎ止めてもいる。このように、この作品はただ風景写真的に現代日本の写絵であるだけではなく、写真における二次元と三次元の往還や、そうした写真映像の常態化による身体感覚の欠落という現代的な感受性の似姿ともなっている。

 

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「Right Angle」シリーズ

次に興味深いのは、画廊の一階会場右壁面でこの《3Days》と向き合って展示されている「Right Angle」シリーズである。一見したところ、幾何学的な直線あるいは色面で画面全体が構成され、ハードエッジ・ペインティングを想起させるそれらの作品は、何一つ具体的な客観的再現要素を示していない。そのため、それらは遠目にはあたかも完全に抽象的な油彩画のように見える。しかし、近付いてその表面の均一な肌理をよく観察すると、実は具体的な現実空間を撮影した写真作品であることが分かる。この一種のトリック的な視覚効果の面白さが、まずこの「Right Angle」シリーズの魅力である。

 その上で、この「Right Angle」シリーズについてより興味深いことは、15年以上も前の2000年から撮影開始されていたこの連作が本展で初めて発表されたことである。このことは、勝又が長らく未発表だったこの連作を本展に展示する何らかの内的必然性を感じたことを意味している(実際に、そのことは展覧会名にこのシリーズ名が疑問符で強調されつつ引用されていることにも表れている)。また、その内的必然性は、実際の展示構成から考えて、この「Right Angle」シリーズを《3Days》と対形式で展示していることと何か関わりがあると推測される。しかし、やはり一瞥しただけでは、左側の写実的な都市風景写真と右側の抽象的な幾何学的構成写真にはまるで共通点がなく、むしろ客観的再現性という点では真逆の方向性を示しているようにさえ見える。このある種唐突で寡黙な視覚的謎かけが、本展の第二の見所である。

 

 この謎を解くカギは、勝又の写真観にある。勝又によれば、写真のメディアとしての特性は三次元を二次元に還元することである。つまり、あらゆる写像は、奥行のある立体空間のようにも完全に真っ平らな平面にも見える。そうした視覚的両義性が最も明瞭に現れるのが、建物内の側面同士と天面(あるいは床面)が直角に接する隅角部を撮影した写真である。そうした写真における隅角部の一点に集中する三つの線分は、消失点に収斂する放射線のように立体空間における奥行を暗示するが、印画紙上の写像自体はあくまでも薄やかな平面に過ぎない。言わば、写真では本来三次元を構成するはずの縦・横・高さからなる三つの直角(ライト・アングル)が同一平面上に押し潰されている。勝又は、これらの「Right Angle」シリーズでそうした自らの写真観を凝縮的に表現しているのであり、本展の展覧会名もまたそうした三次元と二次元を往還する写真の不思議な視覚的特性に改めて注意を惹起するものといえる。

 さらに、今回展示されている「Right Angle」シリーズは、いずれも画面内の線分相互になるべく角度を付けず、直線あるいは平行線を示そうとする傾向がある。その結果、その分だけ画面には視覚効果において三次元性よりも二次元性の度合いが相対的に強まっている。そうした三次元的な奥行感のますますの欠損により、この連作でもまた鑑賞者の空間内存在としての自らの存在感も寄る辺がなくなり、身体感覚が一層希薄になるように感じられる。

 これらのことから、なぜ《3Days》と「Right Angle」シリーズが対面的に並べられているのかが分かる。つまり、一見全く正反対の表現様式に思える両者は、実はどちらも写真の空間表象における視覚的特性を表現している点で共通している。より詳しく言えば、多重露光による平面映像の立体化も、隅角部撮影における三直角の同一平面化も、どちらも三次元と二次元の往還的表象という点では呼応しているのである。これが、意識的にしろ無意識的にしろ、勝又が最新作の《3Days》と共に長年温めていた「Right Angle」シリーズを本展で発表した展示意図だったといえるだろう。

 

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ギャラリー2階で展示されている「Skyline」シリーズ

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町屋の風情が残るギャラリー富小路

 

ここにおいて、本展の第三の見所として、「Skyline」シリーズが展示されている会場二階とこれら一階展示との一貫的連関性も理解できる。「Skyline」シリーズでは、横長の画面に空を示す余白部分がかなり大きく取られ、最下辺にだけほとんど地平線のように背の低い小さな建築物が並んでいる。一見すると、それらは童話的なイラストレーションのように見えるが、よく観察するとやはり現実の都市風景を撮影した写真であることが分かる。とはいえ、それらはあまりにも遠く離れ過ぎているために平板な書割のように見える。また、それらはあまりにも極小であるために実体感や現実感の稀薄なミニチュア玩具のように見える。すなわち、ここでもやはり、写真の視覚的特性である三次元と二次元の往還が表象されており、そうした写真映像における自然な身体感覚からの逸脱が感得される。その意味で、この二階展示の「Skyline」シリーズもまた、一階展示の「Panning of Day」シリーズや「Right Angle」シリーズの問題意識を別の形で表現したものであると解釈できるのである。

 

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