「大阪万博-もう一つの主役」三木学
日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑---EXPO’70 GIRLS COLLECTION (らんぷの本)
- 作者: 大橋博之
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/06/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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東京都の観光ボランティアのユニフォーム「おもてなし東京」のデザインがネットを中心に酷評されたのは記憶に新しい。同時に、デザイナーの藤江珠希さんが自身のブランドで発揮しているセンスとのあまりの落差にも衝撃を受けたコメントも多かった。
その中に、大阪万博のコンパニオンのユニフォームから後退しているのではないか?という意見が見られた。1970年に大阪の千里丘陵で開催された日本万国博覧会(通称:大阪万博)では、世界各国の著名な建築家が参加し、先進的なパビリオンが立ち並び、未来都市のモデルと言われていた。いわば、建築のオリンピックと呼べるべきもので、日本人では、丹下健三、磯崎新、菊竹清訓、黒川紀章、前川國男など早々たる建築家が参加している。
一方で、万博では会場をガイドする多くのホステス(現在でいうコンパニオン)が活躍しており、それらのファッションも、コシノジュンコや森英恵を含めた多くの世界的なファッションデザイナーが参加しており、もう一つの主役であった。そのことを記憶している人も多いのだろう。
私は、万博後の生まれであるが、2002年~2003年に大阪万博の資料調査の仕事に従事していたので、そのユニフォームが現在の視点から見てもいかに洗練されていたかよく知っている。当時、資料庫には一部のユニフォームの現物も残されていた。それより、すべての国、地方自治体、企業のユニフォームの写真が記録されていたので、すべて比較して見ることができた。
当時は、ミニスカートが流行っていたので、スカートの丈がかなり短いものが多く、現在のボランティアに着てもらうのはやや過激になってしまう恐れがあるが、スカートの丈を調整すれば、現在でも十分に使用できるだろう。
ご存知の方もいるかもしれないが、東京オリンピックは1940年、皇紀2600年記念として日本万国博覧会と同時開催される予定だったが、戦時下になったため中止になった歴史がある。結果的に、戦後になってから1964年の東京オリンピックと、1970年の大阪万博とに分かれて、実施されることになった。
ただし、今日おいて、万国博覧会はかつてほどの影響力はなくなっている。逆にオリンピックはマスメディアの発達とともに、巨額なお金が動く、一大ビジネスになっている。そして、オリンピック憲章では、文化プログラムを実施することも必要条件になっており、オリンピックが、スポーツだけではなく、万博で開催されていた文化イベント全体を包含するものになっていると解釈した方がいいのかもしれない。
その視点から言うと、2020年の東京オリンピックは、1970年の大阪万博と比較して考えることは十分に意味がある。新国立競技場を含め、開催施設が最大の問題になっていることからもそれは証明できるだろう。
同様に、大阪万博のユニフォームと、東京の観光ボラティアのユニフォームを比較することもあながち間違ってないばかりか的を得ているといえる。少なくとも、当時の大阪万博のユニフォームは、個々のパビリオンのテーマや、未来志向などのメッセージ性があった。
一方、今回の東京の観光ボランティアの「おもてなし」は志向性のあるメッセージとは言い難い。ガイドは「おもてなし」が仕事だからだ。いかに「おもてなし」することが大事であるし、それ以上に日本・東京の現在・未来を表象する必要があったはずだ。
凡庸なアイコンと配色になった要因はそこにもあるだろう。デザインが退行しているとすれば東京や日本がこれからどうなっていくべきかビジョンがないまま、ユニフォームを作成したことことに起因しているのかもしれない。
大阪万博のユニフォームについては、下記の参考文献を参照してほしい。すぐにでも使えそうなものが見つかるだろう。
日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑---EXPO’70 GIRLS COLLECTION (らんぷの本)
- 作者: 大橋博之
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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筆者の経験を元に、万博の経験を小説化したもの。参考まで。
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