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進化し続ける現代の祭り「よさこい祭りとその系譜」三木学

 

よさこい祭りサウンドトラック2007

よさこい祭りサウンドトラック2007

  • アーティスト: 雑音軒,山岡修一,堀麻夫,アイリーン・フォーリーン,三谷章一,野瀬眞誠,平岩嘉信,梅田修平,村田博久,浜田善久,下元博司
  • 出版社/メーカー: よさこいサウンドLLP
  • 発売日: 2008/08/08
  • メディア: CD
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www.nhk.or.jp

先日、増田セバスチャン氏に「よさこい祭り」のことを紹介して頂いたことを書いたが、昨日、偶然NHKBSプレミアムで「よさこい祭り」の特集が放送されることを知ったので視聴することにした。

 

中継されていたのは、追手筋本部競演場という、高知城とその前の高知城演舞場に連なるメインストリートで350mあるという。有料桟敷席があり、高知放送でも生中継されているそうなので、多くの高知県民が見ているのかもしれない。桟敷席があるメインストリートということでは、阿波踊りにも似ているが、より近いのはリオのカーニバルかもしれない。以前、コシノ・ジュンコが衣装で参加した、リオのカーニバルのドキュメンタリー放送で見た雰囲気にかなり近かった。

http://www.cciweb.or.jp/kochi/yosakoiweb/stage/outesuji.html

 

YouTubeでは何度も最優秀賞よさこい賞を獲っている「ほにや」と、増田セバスチャン氏がアートディレクターを務めたダイヤモンドダイニングよさこいチームしか見てなかったので、全体の雰囲気や他のチームがどのようなレベルにあるのかわからなかった。NHKの放送では、約30チームほど紹介されていたので、その雰囲気を掴むことができた。

 

一つ一つのチームの、踊り、衣装、音楽のどれをとってもレベルが高く、そしてなによりバラエティに富んでおり、ここまで自由度が高く規模の大きな祭りは、日本にはほとんど存在しないだろう。その要因は幾つかある。

 

元々、よさこい祭りは、阿波踊りに対抗して作られた、と書いたが、本当はそんな単純な話ではなかった。高知市も空襲により壊滅的な被害を受け、さらに、終戦の翌年、1946年に起こった昭和南地震により、追い打ちをかけるように市街地も甚大な被害を受けた。

 

疲弊した経済や地元の人々の気持ちを盛り上げるために、地域振興策として商工会議所の有志が中心となって企画したのがよさこい祭りである。音楽と踊りに関しては、料亭「濱長」を経営していた会議所観光部会の濱口八郎氏が、職業柄、歌と踊りには詳しいのではないか、ということで担当することになった。

http://www.k-hamacho.com/okami/chiyoko/entry-51.html

 

その際、濱口八郎氏が作詞作曲を依頼したのが、かつて山田耕筰に師事し、NHK京都放送局和洋管弦楽団の初代指揮者であった、武政英策である。武政は自宅の大阪が空襲で焼けたため、高知に疎開しそのまま移住していた。武政は高知に代々伝わる「よさこい節」をモチーフにして、「よさこい鳴子踊り」を作曲する。

 

よさこい節とは、高知県に残る民謡で、囃子詞として「よさこい、よこさい」と歌われるところに特徴があるが、起源自体は諸説ある。よさこい自体の意味は、夜さり来い(夜にいらっしゃい)から変化した古語が変化した言葉のようだ。

 

よさこい節の歌詞は、300くらいあるという説があり、坂本龍馬も歌ったという逸話があるそうだ。代表的な歌詞「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」などは、武政英策の「よさこい鳴子踊り」にも採用されている。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~yohta-1/ysaodori.htm

 

踊りの方は、濱口八郎氏が、花柳、若柳、藤間、坂東、山村の日舞五流派に依頼して振り付けを作ったという。濱口八郎氏が料亭を営んでいたということから、お座敷踊りを元に野外及び集団で演舞できるように変化したといってもいいかもしれない。その流れは1954年の第一回よさこい祭り以前からあったようで、1950年の南国博の際、芸能館においてお座敷踊りから脱皮した「新しいよさこい踊り」が披露されており、濱口八郎氏もそれが念頭にあったのかもしれない。博覧会を機会にお座敷踊りが集団芸能化するという意味では、明治5年の京都博覧会の特別企画として演じられた祇園の芸・舞妓による都をどりに近いものがある。

http://www.cciweb.or.jp/kochi/yosakoiweb/k_yosakoi/

http://www.kyoto-okoshiyasu.com/see/odori/

 

そうして、1954年の4月に商工会議所と、高知市の共催で8月10、11日「よさこい祭り」が開催されることが決定し、わずか4カ月で実施されることになった。歌と踊りが発表されたのが7月15日というから、ほぼ1カ月の練習で、第一回目のよさこい祭りは行われたことになる。なんとも驚くべきスピードである。それでも21団体750人の踊り子が参加したというからその瞬発力が凄い。

 

また、8月10日、11日は、高知の伝統文化や風習と関係があると思われがちがだが、降水確率の一番低いということで決定されたというからいかにも現代的である。そのため現在でも、土日に合わせるということはないようだ。しかし、前夜祭と後夜祭・全国大会が前後に加わっているので、9日から12日までの全4日ということになる。したがって、お祭りの発祥、期間から考えても、各地に残る盆踊りとは一義的にはまったく関係がない。

http://www.cciweb.or.jp/kochi/yosakoiweb/schedule/

 

衣装がどこから来たのかわからないが、当初は普通のお祭り風の衣装に見えるが、どんどん派手になってきている。お座敷踊りから派生したので、振り付けにはその片鱗が今でも残っているが、衣装に関してはもっと踊りやすく、大胆な配色になっているのが面白い。ただし、和服の要素が残っているため、大正時代に流行した銘仙のような、派手な配色と模様の系譜を受け継いでいるように思える。

 

よさこい踊りには、幾つかの転換期がある。テレビ放送がされるようになったこと。大阪万博に参加したこと。次にフランスのニースで行われたカーニバルに招待され、サンバ調にアレンジされたよさこい踊りを披露したこと。大形トレーラーの地方車が取り入れられるようになったこと、などである。特に、地方車のセンスは、デコトラに近いものがあり、戦後のトラック輸送の文化も入っているし、ラテン系のカーニバルの要素も入り、国際化している。今回の放送でも、ラテン系のカーニバルの衣装と音楽、ダンスを採用した「かにばる」や「Obrigado花山海」というチームが紹介されていた。

 

90年代後半になると、よさこい祭りに魅せられた北海道の学生が「YOSAKOIソーラン祭り」を開催することになり、それを皮切りに全国に独自色の強いよさこいが急速に普及していった。12日に全国大会が開催されるようになったのは、全国によさこいが普及したことによる。2000年代になると、原宿表参道でスーパーよさこいが開催されるようになり、80年代の竹の子族の系譜と繋がるようになったといえる。そういう意味では、原宿のカワイイ(Kawaii)文化と結びついたのは必然だったともいえる。

http://cgi2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009030167_00000

 

よさこい踊りは、戦争と震災によってもたらされた経済的、精神的ダメージから、祭りの力で克服しようと始められたものであることを考えると、東日本大震災後の今日の日本社会にとってもとても重要な役割があるといえる。

 

特に全国各地の若者に伝播しているという国内地方での広がりと、世界のカーニバルなどとのつながりがある、国際性を持つお祭りとして希少な価値がある。国内、国外の様々な文化を貪欲に取り込みながら、参加者たちの努力で進化し続ける祭りとして、今後のさらなる発展を期待したい。

 

放送ではネットで募集し、それぞれがDVDで自宅学習?をして、高知で1回だけリハーサルをして本番に臨むという、新しい形態のチームも紹介されていた。高知の地域振興が最初にありながら、祭りに魅せられたコミュニティは地域を超えて作ることができるというよい例になっている。それもよさこいを生み出した高知の寛容さ、それに魅力を覚えた人々の精神的なつながりのなせるものだろう。

 

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参考文献

日本のファッション 明治・大正・昭和・平成

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日本服飾史 女性編 (趣)

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