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「赤と青の呪縛」三木学

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昨日、東京都観光ボランティアのユニフォームが発表されて話題になっていた。もちろん、2020年の東京オリンピックに向けて「おもてなし」を向上するために、観光案内に力を入れていくということである。

 

しかし、そのユニフォームのデザインがあまりにカッコ悪いのではないかと、ツイッターなどで騒ぎになっていた。しかし、このユニフォームのデザインをした藤江珠希さんの経歴をみると、「アントワープ王立芸術アカデミーを経て、セントマーチン美術大学ファッションプリント科を卒業。アレキサンダー・マックイーンでの研修を経て、ブランドを立ち上げる」という、これ以上ない経歴の持ち主である。当人のブランドのデザインを拝見するとさすがにセンスが高い。

 

では、なぜこうなったか?舛添知事が「色々なデザインを出してもらい、分かりやすいということからこのユニフォームを選びました。ユニフォームを活用して、観光客の方に向けたサービスを展開していきたい」と述べているように、クライアントである都の要望に応じた結果、一番カッコ悪い案が選ばれてしまったのではないかということが邪推される。

 

そこでデジャヴュを感じるのは、現在、国・都・建築家・都民などで紛糾している、国立競技場のザハ・ハディドの流線型のプランが、実装段階において亀型の「遅さ」感じるデザインに変更されたように、クライアントの要望によって、デザインが劣化したことを想起させられるからである。

 

ザハ・ハディドのデザインについての賛否はあるだろうし、予算の大幅な超過や、工期が間に合わないことによる全面的な見直しについては、仕方がない面はあるにせよ、もし新しい国立競技場の案が浮上し、どんな高名な建築家が提案しても、カッコ悪くなってしまうのではないかという一抹の不安を覚えてしまうのは僕だけではないだろう。

 

それにしてもなぜこのようなデザインになったのだろう?「わかりやすいということからこのユニフォームを選びました」と知事が述べているように、「わかりやすさ」の弊害が露骨に出てしまったという可能性はある。「わかりやすさ」をかみ砕いていえば、形と色を、富士山と日の丸をモチーフにしたことが容易に想像できるからだ。

 

しかし、それは外国人の教養のレベルをあなどっているのではないだろうか。今時、「富士山・芸者・寿司」を日本の代表的イメージとする人ばかりではないし、また逆に、そうじゃない日本の良さを知ってほしいとするなら、そこから脱却すべきだっただろう。要するに、オリエンタルな日本を手前勝手に演じることになってしまっているのだ。それは外国人も日本人も今時誰も望んでないだろう。「わかりやすい」を良しとする風潮は、様々なところで見られるが、誰にとってわかりやすいのか、わかりやすいことが質の高さに繋がるのか、もう一度検証した方がいいだろう。逆の場合も多いはずだ。

 

とはいえ、もう少し抽象的にする余地はあったはずで、これほど記号的にベタにデザインする必要もなかっただろう。そして、この配色についても色彩センスが良いとはとてもいえない。配色ではなく、色ありきのように思える。少し色彩分析してみよう。

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画像からJISの慣用色名で分析すると、青は群青色、赤はスカーレットが一番上に抽出される。赤は和色名では紅緋が一番上になる。群青色は、日本画において代表的な岩絵の具の名前であり、色名である。原料は、鉱石のラピスラズリ、日本語では瑠璃であり、非常に高価である。ラピスラズリから抽出される顔料は非常に少ないので、藍銅鉱のアズライトの粉末から作られることが多い。

 

西洋ではラピスラズリを原料にして出来た青色は、ウルトラマリン(ブルー)と言い、地中海を越えたアフガニスタンなどから輸入されたので「海の彼方」という意味になった。一方に日本はインドから渡ってきた瑠璃(ラピスラズリ)が原料となって群青色になったので、ルーツは同じである。

 

19世紀にはフランスの化学者のギメが、人工のウルトラマリンを作って席巻した。江戸後期にはすでに人工のウルトラマリンが日本に輸入されていた。しかし、日本を代表する青と言えば藍になるだろう。

 

18世紀にベルリンでプルシアンブルー(紺青)、通称、ベロ藍(ベルリン藍)の製法が発見される。大量に輸入されたプルシアンブルーは、北斎や広重に利用された。藍に近い青紫よりの濃い青が、日本の伝統的な藍染と親和性が高かったといえるかもしれない。

 

とはいえ、ウルトラマリンは群青色に対応し、プリシアンブルーは紺青に対応しており、日本固有の色というわけではない。一見、その文化圏の伝統的だと思われる色も、グローバルな色彩流通の中にあることを覚えておくべきだろう。逆に、人工顔料や合成染料の方が総じて鮮やかであるため、天然染料しかなかった江戸時代までの日本の彩度の低い伝統色よりも、ヨーロッパ起源の色が今日では「日本的」と思われている可能性も高い。

 

スカーレットは、コチニールという貝殻虫による黄みの赤だが、和色名で対応するのは緋色ということになる。緋色は茜染の最も鮮やかな黄みの赤である。一方で、紅緋は紅花から作られた紅と、茜染の鮮やかな黄みの赤である緋色との中間の色である。紅花染に支子、黄檗鬱金などの黄色染料を交染した緋色が、紅緋となったともされている。どちらにせよ、鮮やかな黄みの赤である。「日の丸」の日章は紅色なので、紅緋よりも紫よりで、明度ももう少し低い。

 

群青色とスカーレット(緋色)という、藍や紅より明るめの色を選択したことが、配色が軽薄に見える要因になっている可能性はある。少し配色に工夫すれば少しはましになったかもしれない。とはいえ、この形や配色は、富士山の青や、日の丸の紅からとられていることはほぼ間違いないだろう。このようなステレオタイプにする意図はどこにあるのか?64年のオリンピックの制服のジャケットは赤であったが、国旗や日本のステレオタイプなイメージ、特に描かれている平面の絵から、服に適用させるにはかなり工夫がいるだろうし、そこに囚われる必要もなかっただろう。未だに日本代表のスポーツ選手のユニフォームなどは、赤と青を基調にするのが主流だが、そろそろそこから脱却してもよいのではないか?先に書いたように、我々が伝統的だと思っている色は案外、外来の場合も多い。

 

余談だが、太陽が赤色だと世界中が思っていると日本人は錯覚しがちだがそうではない。西欧圏では、太陽は黄色であり、月は白である。理由は、緯度によって太陽の見えが異なるなど、幾つか考えられるが、実際のところはわからない。太陽=赤のイメージは、世界の主流ではないので、日の丸が太陽をモチーフにしているとわかっていない外国人も多いということになる。

 

そして、最大の問題は、決定のプロセスだ。国立競技場の責任と意思決定のプロセスを言及するなら、このようなパブリックイメージも、コンペや、都民の投票などの民主的なプロセスを経て決定されるべきだったのではないだろうか?

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参考文献

新版 色の名前507―来歴から雑学、色データまで 日本の色、世界の色が見て読んでわかる
 

 

 

日本の色を歩く (平凡社新書)

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日本の色・世界の色

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色名事典

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フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

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