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「『天然の禁色』からの解放」三木学

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民俗学者柳田国男は「色彩にも一つの近代の解放があった」と述べている。柳田は天然染料による発色の制約のことを「天然の禁色」を称した。明治以前は天然の禁色のために、日本は色彩の種類に貧しい国という認識だったのだ。
明治以降に化学染料技術が輸入されたが、最初はきわめて耐久性が乏しいため悪評をかった。その後の研鑽の結果、実用に耐えるようになったのは大正~昭和初期を待たねばならない。色彩が「解放」され、着物が鮮やかになったのはその頃である。
現在、注目されている「アンティーク着物」はその当時作られたもので、アール・ヌーヴォーアール・デコの模様も取り入れられた。色鮮やかな配色の組み合わせは、今日の日本でもあまり見られないものであり、あえていうなら、現在の「カワイイ」文化の原点といえるかもしれない。

天然染料による彩度の制限は、大正~昭和初期に化学染料が発達したことによって解放されることになった。その当時とコンピュータの色が普及し、物体の色(反射光)の制限からも解放された現在とは極めて似ている。しかし、「物体の禁色」がなくなったために、自由度が高くなり過ぎて、結果的に使用する色が誘目性の高い原色だけの貧しい色彩環境になっているのが現在の日本の倒錯である。

化学染料による着物が流行し、闊歩していた時代を想像してほしい。おそらく、モガ・モボと徐々に重なっていったのだろう。これほどの配色は現代の日本でも、相当な派手好きな若者ではないと着ないだろう。この時代は、わずか大正時代から昭和初期の20年弱である。ここから戦時下になり、急速に派手な色は消えてく。


もし、大正期~昭和初期の化学染料が日本の色彩文化に連続性を持ちながら溶け込んでいたら、現在の日本の色彩環境は、建築、ファッション、看板、デザイン、インテリア、料理のすべてが変わっていたことだろう。

 

港千尋さんが撮影したフランスの日常風景を色彩分析して、配色の法則を解読した本です。配色のヒントや日仏の色彩感覚の違いを知りたい人におススメです。

フランスの色景 -写真と色彩を巡る旅

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